海からの使者
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たまさか漂着した船が幽霊船であった。事実は小説よりも奇なりというが、まさしくこのためにあるような言葉だ。
「麗奈。警戒を怠るなよ」
「わかってる。でも、本当に幽霊船ってあったのね」
「幽霊船というよりは、難破船といった方が正確だろうな」
漂着した船はあちこち壊れていた。マストは中央からへし折れ、舷側には水面ギリギリのところに大穴が開いている(内側から板が打ちつけて応急修理がされていた)。また船体には所々矢が刺さっており、ひと言で言えば悲惨な状態だ。よく浮いていたな、とジンは感心した。
相手はどこから来たのかもわからない未知の存在だ。だからジンたちは近寄らず(近寄ろうとした者は静止して)、随行してきた王国騎士の到着を待っていた。だが騎士が到着するよりも早く、船に動きがあった。
「ジン!」
「ああ」
麗奈が警告し、ジンも頷く。難破船に人が現れ、小舟を下ろし始めた。漂着したといっても、船の喫水はそれなりに深い。漂着したところは、まだ水深が数メートルあるところだった。だから小舟で岸に着こうというのだ。
ジンは素早く魔法を使い、スケルトンを召喚した。急増の軍隊である。さらにそのうちの一体に【フォーン】の魔法を付与し、会話可能にした。
『余は魔王ジン。この地の支配者である。お前たち、上陸したら岸から動かず、両手を挙げろ。指示に従わない場合、こちらへの侵略行為と見なす』
そう一方的に告げる。もしかすると言葉の壁により伝わらないかもしれないが、その際はスケルトンたちによるバリケードで阻むつもりだ。
彼らがどう動くのか注目されたが、幸いにも言葉は通じたらしく、上陸するや指示通り両手を上げた。
そんな彼らにスケルトンによる身体チェックを実施する。武装を取り上げることはしない。ただ、何を持っているかを調べるだけだ。やはりスケルトン受けは悪いのか、顔を引攣らせながらも身体チェックを受けている。
(嫌かな、スケルトン? でも、ゾンビなんかよりはマシだと思うんだ)
ジンが使っているのは、理科室の標本のような綺麗なスケルトンである。決して、墓場から出てきたような汚いものではない。だからとても清潔。匂いもない。だがゾンビになると、見た目醜悪で匂いも最悪。どちらを取るべきかはいうまでもない。
なお、この副次的な効果としては、本当に敵意がないのかを見極めるという効果もある。冒頭に高圧的な命令で従わされ、挙句(ジンとしては不本意ながら)生理的嫌悪感を催すスケルトンに身体を弄られている。これでキレるかどうかの、一種の我慢大会となっているのだ。
(これも全部、一向に来ない王国騎士たちが悪い)
彼らがいればこんなことやらずに済んだのに、と心のなかで文句を言うジン。まあそれを表立って言わないだけの分別はあった。
身体チェックの結果は全員、特におかしなところはないというものだった。極めて穏当かつ面倒がない結果だ。ここまでの確認がとれ次第、ジンが近づいて直接言葉を交わす。
「それで、本日はどのようなご用件かな?」
何はともあれ、まずはそこである。ジンはいきなり核心へと切り込んだ。とはいえ、あまり大きなことにはならないだろうと考えていた。見た目からして難破船であるし、故郷へ帰るための手伝い程度だろうと。
「我々は交渉にきました」
だが、いきなり予想外のことを言われて、ジンは戸惑った。
「交渉だと?」
「はい。我々はここより南の地にある島で商いをしておりまして。新たな支配者がこの地に誕生したと聞き、誼を結ぶべく参りました」
「ふむ……」
ジンは彼らの狙いを考える。
(身体チェックでの様子から、友好を通じたいという考えに嘘はないだろう。しかし……)
「ひとつ訊きたい。お前たちが誼を通じたいというのはわかった。だが、それは国としての意思か?」
そう訊ねると同時に、プレッシャーを高める。嘘は許さないという意味を込めたものだ。彼らもその意味はわかっていたようで、神妙に頷く。
「はい。国としての意思です」
「ならばこちらとしても異存はない」
一部の商人が勝手にやったことならば、まずは国内の意思統一をしろ、話はそれからだ、と言って終わっていた。他国の面倒にはなるべく巻き込まれたくないからだ。それはどこの国でもだいたい同じだろう。例外は、世界の警察を自認する某国だ。
その後、到着した騎士たちに彼らが客であると伝え、適当な宿をとるように命じた。また、船員には騎士の監視の下での上陸を許すのだった。
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使者を受け入れた後、ジンたちは宿に戻った。そのころにはさすがに二日酔い組の体調も少しはよくなっている。そんな彼女たちに、幽霊船騒動の顛末を聞かせた。
「なるほど。そうだったのですね」
フローラはなるほどと頷いている。一方、レナはというと、
「人騒がせな」
と迷惑そうにしていた。
「そうね」
麗奈も同意する。が、彼女はそれだけではない。
「ほんのちょっと前にも、お城に強引に侵入した騎士がいたかしら」
「なっ!?」
不意打ちがレナにクリーンヒット。それはもうノーカンだろ、とあたふた。しかし麗奈は知らん顔。一度犯した罪は消えない。そして、そういう弱みなんかをねちっこく追求するのが大得意なのが日本人である。
武闘派二人がワーギャーと喧嘩するのを見て、どうかこれが口喧嘩で終わることを祈りつつ、ジンはフローラに水を向けた。
「というわけで交渉は任せたぞ」
「…………え?」
この人何言ってるの、といわんばかりの目で見られるジン。まあ脈絡のない話なので無理もない。なので順を追って説明することにした。
「これまで対王国外交はフローラに任せてきた。だからこの件も任せる。以上だ」
「全然説明になってませんよ!?」
わけがわからない、とフローラは抗議する。彼女の言う通りまったく説明していない。まだツーカーの域は遠かった。
「はははっ。冗談だ」
「もう、ジン様」
ジンは冗談ということで片づける。フローラはぷくっと頰を膨らませて可愛らしく拗ねた。その姿に苦笑しつつ、今度はちゃんと説明する。
「いわば業務の拡大だ。これまでは王国が唯一の外国だったが、これからは新たに商人たちの国……仮に『商国』と呼ぶが、これが加わるわけだ。となると新たに担当者を任命しなければならないが、正直面倒だ。だからこれまで外交を担ってきたフローラに、一括して任せようと思ったんだよ」
「なるほど。そういうことでしたか」
「おお。わかってくれたか」
「はい。よくわかりました。なのでお断りします」
「なぜ!?」
今のは完全に引き受ける流れだろう、と困惑するジン。ブルータスに裏切られたときのカエサルもかくやという表情だ。だが、フローラにも言い分はある。
「そのような大役を任せてくださるのは嬉しいことですが、これでは要らぬ反発を買うことになります」
フローラが危惧しているのは、人間に対する反発が強くなることだ。実態は妃のひとりとして扱われているが、本来は戦利品として連れてこられた、いわば『囚われの姫』なのである。よくて愛妾、下手すれば性奴隷のような扱いを受ける存在だ。上層部はともかく、多くの魔族はそう思っている。そんな者に外交を統括するような大役を任せるなど、人間への反発を招き、ひいては人間を取り立てたジンのカリスマを損なうだけだーーそれがフローラの考えだった。
しかし、ジンは引き下がらず、むしろ強く就任を勧めた。
「フローラ。俺の方針は知ってるな?」
「適材適所、ですよね?」
「それと、実力至上主義な」
ジンは抜けている点をつけ足す。これはかなり重要な要素だ。実力至上主義ーー力ある者が上に立つというのは、魔族社会に根ざした絶対の価値観なのだから。
現在、魔族は人材不足である。国家を運営するためにはそれなりのインテリジェンスが必要だ。では魔族にそんな人物がいるのかというと、いないーーというわけではないが、かなり乏しいと言わざるを得ない。
具体的に種族別で見ていくと、
緑鬼種、青鬼種、牛魔種、馬魔種は脳筋集団であるから戦力外。
淫魔種は諜報で忙しい。
吸血種はマリオンの治世が長く、政治に疎い者が多い(しかし頭は悪くないので成長待ち)。
人魔種もアベルが長く仕切っており、政治経験が乏しい(成長待ち)。
となる。教育を施して魔族の知識レベルを底上げしようと図ってはいるが、実を結ぶのは当分先のことだ。
ジンは魔界を統治するにあたって、特にマリオンの力を借りてきた。ジンが方針を示し、マリオンが実現化するというリレー方式。分野は政治のみならず軍事や経済にも及ぶ。ゆえにマリオンの仕事は膨大であり、ときには机に書類が乗り切らないという。
魔界の内政でこうであるのに、ここに外務の仕事を加えるなど鬼の所業である。ジンもそこまではできない。マリオンの代わりを務められそうなアベルは『寄る年波には勝てぬ』と言って隠居している。ジンの治世の最初期を支えた功労者であり、無理に引っ張り出す気にもなれなかった。
このような事情なので、マリオンやアベルといった優秀な魔族は投入できない。マルレーネも先述の通り忙しく、アンネリーゼもジンの補佐で手一杯(彼女が外れると間違いなく政務が滞る)。ユリアは(政治的に)ようやく独り立ちしたよちよち歩きの赤ん坊である。外交など任せられない。
そこで白羽の矢が立ったのが、王族として教育を受けたフローラであった。幼少期から陰謀渦巻く宮廷社会に生き、ジンの下では対王国外交を担当して実績を残している。まさしく『適材適所』『実力至上主義』という、ジンが掲げる方針に合致する人物であった。
「姫様。お受けなさいませ」
「そうよ。受ければいいじゃない」
レナと麗奈は喧嘩を止めてフローラの説得に回る。しかしフローラはあまり乗り気ではない。
「でも他に適任者が……」
と、あくまでも固辞しようとする。
「フローラ。俺のことなら気にしなくていいぞ。たしかに反発はあるだろうが、これはむしろ、将来のより大きな反発をかわすためのものだ」
「どういうことですか?」
「これは先の話なんだがーー」
と言ってジンが話したのは、将来の魔界と王国の関係について。ジンはいつまでも戦勝国と戦敗国に分けておくつもりはない。なるだけ早く、互いの禍根を水に流して新たな関係を築きたいというのが正直な思いだ。そこで、戦争の結果を何よりも象徴する宗主国と従属国という関係性を打破すべく、フローラの女王即位を機にジンとの同君連合にすることにした。これで王国を名実ともに魔界へと組み込み、彼我の優越感と劣等感とを解消しようというのだ。みんな同じくジンの臣下、という理屈で。
「どの道、人間の政治参画は必須要件だ。広大な領域を魔族だけで統治するのは不可能だからな」
正確にはインテリ層が足りない。人間の手助けなしには、広大な版図を統治できないのだ。そして先鞭をつけるにあたっては、是非フローラにと。(人間から見て)家柄、人格ともに問題ないからだ。これほどの適任者はいない。
「ということで受けてくれ」
「はぁ……。わかりました」
フローラは、ジンの押しに屈した。こうなったら自分ではどうしようもない。受け入れるしかないと経験で知っていた。
こうして魔界初の外務大臣が誕生することになった。その座に就任したフローラの最初の仕事は、未知の国との外交交渉であった。
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翌日。ジンは会談場所に同行している首脳陣全員を引き連れて現れた。ジンとフローラが出席することになると、仕事上、護衛の二人ももれなくついてくるからだ。
「まずはこの場を設けていただきありがとうございます。わたくし、アントルペン商人連合代表のジョンと申します」
「余はジン。この地を支配する王だ。あなたたちの言う、新たな支配者だな」
「左様でしたか。おお、なんと幸運なことか……。遭難したときは死も覚悟しましたが、漂着した先で最良の出会いがあろうとは」
ジョンは感動していた。手を合わせ、天に祈っている。
「やはり遭難していたのか?」
「こちらへは地元の商人の船と向かっていたのですが、嵐に巻き込まれまして。はぐれてしまったのです。わたくしはなんとか健在ですが、その方はどうなったのでしょう?」
そう訊ねられても、今聞いたばかりなのだから知るはずもない。国内の情勢は当然、支配者たるジンの耳に入る。だがある商人の船が遭難した、などという報告がいちいち上がってくるわけではないのだ。
しかし、仲間のことを心配する気持ちはわかる。さほど手間でもないので、ジンはあとでジョルジュのところへ行って照会することにした。
「わからないが、調べさせよう。数日のうちに返答できるだろう」
「お手間をかけて申し訳ありません」
「気にするな。当然のことだ」
ただしそのような報告がなかった場合は諦めてほしい、とジンは心のなかで言い添えておく。さすがにそこまでやる気にはならない。この世界に衛星はないのだ。どこにいるかもわからない存在を探すほど余裕はない。
「そのお礼といってはなんですが、王にはこれらをお贈りしたく思います。どうぞお納めください」
そう言ってジョンは部下に持参した貢物を運ばせた。これは貢物という体をとってはいるが、実態は試供品のようなものだとジンは解釈した。そしてそれは間違っていない。ジョンの狙いはまさしく商品の売り込みにあったからだ。
「嵐に見舞われた際にいくらか失われましたが、どうかご容赦を」
「それは災難だったな。気にするな。喜んで受け取ろう」
ジョンにとってこれは外交交渉であると同時に商談でもある。いや、どちらかというと後者のウエイトが高い。彼の目的はジンとの新たな関係を構築することであり、それは既に達成されたといってもいい。ならば彼個人がどう動こうと、それは裁量の範囲内ということだ。
そして、ジンはその商談に乗ることにした。ただし、それは品物を買いつけるだけではない。ジンもまた、相手に売ろうというのである。幸い、そういった商品には事欠かない。
(だが、勝負をかけるのは早い。場面も悪い。ここは待ちだ)
ジンは焦らず、ひたすら時を待つ。故人曰く『天の時、地の利、人の和』。商談という戦いを制するには、まだそれらを得られていない。だから焦りは禁物だ。
そんなわけで、ジンはひとまず受けに徹する。ジョンの紹介する商品には、ジンの興味を引くものもあった。特にネタ枠として、粘り気のある物質が紹介された。樹液から作られたものだという。その説明を聞いて、地球組(ジンと麗奈)が思ったのは、
((ゴム?))
であった。手で弄ぶ二人。麗奈はこれで地球を懐かしんでいたのだが、ジンはまったく別のことを考えていた。
(これで色々なことができるぞ)
ジンのなかで想像が膨らむ。まず真っ先に思いついたのは消しゴムだった。魔界では主に羊皮紙が使われていたが、嵩張る上に処理が不十分で獣臭いのである。ジンはこれを嫌った。パピルスを使うという手もあったが、こちらはあまりにも高い。結果、ジンは紙を開発した。合わせて東北州から採れる黒鉛を使った鉛筆も世に出している。どちらも比較的安価であり、瞬く間に筆記具として普及した。公文書は保存の関係上インクだが、メモなどは鉛筆でとるのが一般的になっている。この状況で消しゴムが出てきたなら、利便性が向上してさらに消費は増大するだろう。
面白いものもあり、有意義な商談だった。しかし、これだけでは一方的に買うだけになってしまう。それはよくない。貿易の損失が様々な問題を引き起こすことは地球で証明されている。何か売り込みをかける必要があるーーその機会を、ジンは自然に演出した。
「なるほど。そういうものがあるのか……」
そう呟きつつ、鉛筆で紙にメモ。それにジョンが食いつく。
「王よ。それは?」
「これか? これは鉛筆だ。このように、インクをつけなくても文字が書けるのだ」
「なるほど。それは便利そうですな」
「ああ。インクの量も気にしなくていい上に、壺を倒してすべてが台なしになるようなこともない」
ジンはこれ見よがしに鉛筆をふりふり。ジョンの目が一緒に泳ぐ。その顔には『ください』と書いてあった。もちろん、ジンはその期待に応える。
「先ほどの素晴らしい品物のお礼に、いくらかお譲りしよう。帰ったら友人たちにも是非とも勧めてくれ。きっと気に入ってくれるはずだ」
副音声は『お仲間に宣伝よろしく』である。インクを使わないから、動揺する船の上でもインクが溢れる心配はない。船乗りには絶対の需要があるはずだ。その市場を席巻する。
「鉛筆はインクを使わずに文字を書ける。だからパピルスの端切れを使ったメモと一緒に懐に仕舞えるわけですか……」
「勘違いしているようだが、これはパピルスではない。紙だ」
「? 言葉の違いですかな?」
ジョンは戸惑っているようだ。ジンは黙って紙をメモ用紙から切り取った。そのとき勿体ない、というジョンの悲鳴が聞こえたが、紙は漉き直せば端切れでも再利用できるので無視する。論より証拠。直接体験してみた方が早い。
端切れを手渡されたジョンは、ペタペタと触ってみる。そして、これがパピルスとは違ったものであることに気づく。
「たしかにパピルスではない。羊皮紙でもない……。見たことのない素材だ」
(素材はありふれたものだけどな)
と、感動するジョンを見て心のなかでツッコミを入れるジン。極論、そこら辺に生えている木や草でも作れてしまうものだ。別にバカにしているわけではないが、先進的な文化を見た人間は誰しもこうなるのだと思えた。種子島で鉄砲を初めて見た日本人もあんな様子だったのかな、などとジンは考える。
「紙はパピルスや羊皮紙などよりも軽く薄い。そして何よりも安い。だから気軽に使える。これもいくらか差し上げよう。鉛筆と一緒に使ってくれればいい」
「ありがとう……ございます」
ジョンは謝意を示す。その一方で、頭のなかは混乱していた。
(こんなもの、前に来たときはなかったぞ!? どこから出てきた!?)
答えは魔界である。ジョンが取引していた人間は、ついこの間までは魔界を『蛮族が住む未開の地』と決めつけていたのだ。知らなくて当然である。更にいえば鉛筆などの革新的なアイデアはジンや麗奈によるもので、ついこの間できたばかりだという理由もある。
だが、ジョンの驚きはこれだけではない。それは歓迎の晩餐会でのこと。参加者はジン(主催者)、フローラ(ジンのパートナー役)、麗奈(ジンの護衛)、レナ(フローラの護衛)、ジョン(招待客)、街の有力者たち。彼らに配られたのは、メニューカード。どのような料理を出すのかを記したものだ。そしてジョンは気づく。このカードの字が、手書きではあり得ないほど揃っていることに。
「王よ。このカードの文字、綺麗に揃っていますな。これほどまでに寸分違わぬ文字を書く者がいたとは……」
「それは印刷したものだ。若干のズレはあるかもしれないが、ほぼ同じになっているはずだぞ。ほら」
そう言ってジンは自らのカードを見せる。そこには、ジョンに配られたカードとまったく同じものがあった。
「これには印刷といって、このように文字を寸分違わぬように大量に書き込む技術が用いられている」
ジンが使用しているのは古典的な活版印刷である。この技術と紙が合わさって、書物が非常に安価になった。学校用の教科書や新聞などにも使われている。さらに、
(なんだこの皿は!?)
位置皿として置かれていた皿の、その色彩豊かで何よりも純白の見た目に驚くジョン。ただし、白いといっても本当の白磁ではなく、いわゆるボーンチャイナーー骨を混ぜて焼成することにより白さを生み出したものーーだ。二次焼成が低温で行われるため、高温で褪色してしまう顔料も使用でき、白磁よりも色彩豊かに作ることができる。
皿だけでも十分に驚かされたジョンだったが、これだけでは終わらない。提供される料理も見たことのない、斬新なものばかりだ。漁師町ということもあり、魚介を積極的に使っている。
まず前菜としてスプーンに盛られたタコのカルパッチョ。
スープにはエビを使ったビスク。
メインの魚料理にはサーモンのムニエル。
ソルベにリンゴのシャーベット。
メインの肉料理には牛肉を赤ワインで煮込んだブッフ・ブルギニョン。
デザート(デセール)にイチゴのショートケーキ。
食後にコーヒーとマドレーヌ。
少し簡略化したコース料理が饗された。食前酒として発砲ワイン、食事中には赤白のワインが
(美味い。ここまで洗練された料理は初めてだ。紙や鉛筆だけじゃない。酒も料理も売れるぞ。大儲けだ!)
ただし儲けるの主語はジンだが。料理は無理だが、その他の物品については自身が販売権を取得したい、とジョンは考えた。
「お願いがあるのですがーー」
ジョンはおもむろに話を切り出した。互いにカードを出した上での交渉だ。熱も入る。対するジンは、予め決めていた通りにフローラに一任した。もちろん完全な丸投げではなく、一定の方針は示している。ジンが出した条件は、料理と酒類、印刷以外は任せていいというものだ。
フローラが一切を国が直接販売するという強硬な条件を突きつけたこともあり、交渉の結果は、ジンが定めた条件に落ち着く。ジンの外交的勝利であった。




