魔王の店
短めです
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悪徳商会撲滅キャンペーンが始まった。自由な競争はジンも否定するものではないが、脅迫行為は立派な犯罪である。というか、交渉ですらない。ーーそんな理由を並べ立てたジンは最後に、
「このような悪徳商会を野放しにするのは、民の生活を脅かすものである! 先ずは見せしめに、この商会を壊滅させる!」
という強い言葉で以って断固たる意志を示した。
魔界の上層部はーー意図したわけではないがーージンに対するイエスマンで固められている。彼らに否はなかった。
まず最初に行ったのが、街の巡回強化である。大通りのみならず、裏路地まで細かく見て異常がないかを確かめるようにした。
さらに巨費を投じて魔都に公営住宅を建設する。治安対策として、スラムの人々を収容するための施設だ。ここにスラムにいる人々を住まわせ、職業訓練を積ませる。要は、手に職をつけて社会に出そうということだ。日本史的にいえば石川島人足寄場である。
公営住宅の建設には、建設中にもスラムの人々を使えるという効果もあった。ワルのボスは市井の人間だが、実際に動く鉄砲玉はだいたいが金に困ったスラムの人間だったり、上手く社会に馴染めなかった人間である。これらを労働に駆り出し、悪事を働く暇をなくさせるのだ。公営住宅事業の実態は塀のない刑務所だった。
これをひとまず魔都で実施し、効果を確かめ、工夫した上で他の主要な都市でも実施する。
「これはいいですね」
フローラもこれに興味を示した。
「王国でも同じことができませんか?」
「できるはずだ。スラムの人間が百パーセント悪いわけではない。真に糾弾されるべきは、彼らを使嗾する親玉だろう。が、それも確たる証拠を掴まなければ摘発することは難しい。そして、そういう輩は悪事を隠すのが上手い」
「もどかしいですね」
「ああ……」
フローラの言葉に、ジンも深く頷いた。本当にどうにかならないものかと思う。しかし根本を叩けない以上は、場当たり的な対処をする他に手段はない。
「とにかく、スラムを減らすしかない」
ボスたちはすぐに代わりになる鉄砲玉を確保するだろうが、時間稼ぎにはなる。その間に救われる人だっているはずだ。そう考えないとやってられない、といのがジンの偽らざる感想だった。
しかしこれだけでは例の悪徳商会を壊滅させることはできない。よってそれを狙った直接的な裏アプローチを実施する必要があった。そこで例によって淫魔種諜報部隊を動員する。とはいえ、事は組織の闇につながる。さすがに今回は厳しいかと思われたのだが、報告は即日上がってきた。
「……早すぎないか?」
俺の心を読んだのか? とばかりに訊ねるジン。その相手は報告書を持ってきたマルレーネである。その質問には、誤報ではないかという疑いのニュアンスも入っていた。それを、マルレーネは否定する。
「いえ。これは以前より持っていたもので、裏もとれています」
「では、なぜ報告しなかった?」
「この手の輩は取り締まらない方が、かえって治安がよくなりますから」
清濁併せ呑むのが為政者である。ジンはそういうことかと頷き、それ以上この件を追求することはなかった。むしろ、よくまとめていたものだと感心した。
「それにしても、お前たちはよく働いてくれるな」
「とんでもございません。すべては魔王様のおかげでございます。飢えていたところをお救いくださり、職も与えてくださいました。さらに、人間に囚われていた同胞をもお助けくださり……わたくしたちは、魔王様に海より深い感謝と、山より高い忠誠を誓っております」
ジンの賛辞に対して、マルレーネは片膝をついた最敬礼を以って応えた。ジンは彼女を立たせ、気にしないように言う。それがさらにマルレーネの忠誠心を上げることになる……。
「何か秘訣があるのか?」
「いえ、特には……。ですが、強いて挙げるなら人気でしょうか?」
「人気?」
「わたくしたちは食事も兼ねて仕事をしておりますから、他の種族よりも情熱的だという声を聞きます。その評判ですからお客も多く、情報源が多いのです」
「なるほど……」
要するに下手な鉄砲数撃ちゃ当たる理論だ。淫魔種は男の精がエネルギー源である。だからより多く絞りとるため、行為にも熱が入ろうというものだ。
対して多種族は、多くの場合嫌々やっている場合が多い。借金返済の足しに売られたとか、他所からさらわれたといった理由で娼館で働いているからだ。証拠がある場合は開放できるが、なければ何もできないのが現状である。しかも治安などの関係で必要不可欠といってもいい存在であり、わからないからとりあえず禁止、というわけにはいかないのだ。
「魔王様も、ユリアで実感されていると思いますが?」
「よくやってくれている」
何が、とは言わない。
「気持ちいいですか?」
「………………ああ」
(折角はぐらかしたのに!)
やるせない思いを抱えつつ、ジンは頷いた。事実だが、言わせるなと。
ともあれ、ジンは悪徳商会を潰すための材料を手に入れた。あとは正面きって乗り込むだけである。
「魔王様はどうして裏組織の取り締まりを?」
「治安が心配か?」
「はい」
裏組織が治安維持にひと役買っていたことは事実である。ジンもそれは否定しない。だが、堅気に手を出してはならないーーそれが条件である。裏は裏でやれということだ。堅気を巻き込むにしても、偶発的なものであればまだいい。だが今回は故意である。これは明らかだ。ひと昔前の無法時代の意識が未だに残っているらしい。今回の件は、やっていいことと悪いことーーその線引きを学ばせるための見せしめにする。そんな考えをジンは語った。
「そういうことでしたか」
「あとは、そういった裏組織を余の統制下に入れたいとも思っている」
ジンは別にすべての闇組織を傘下に組み入れて世界の支配者になろうと考えているわけではない。しかしひとつ組織を組み入れ、それを意のままに操ることができればいいと考えてはいた。そこにヘイトを集め、世間に目を向けないようにさせるのだ。かなりの負担がかかるだろうが、そこはジンたちがバックアップすればいい。潰さないように潰されないように、いい塩梅で裏組織同士を潰し合わせる。そんな厄介ごとをーーマリオンに押しつけるつもりだった。彼はアンネリーゼを筆頭とした崇拝組を除けば、最も忠誠心が高い。政治経験も豊富だ。まさしく適任といえる。
「わたくしたちも、ささやかながら協力させて頂きます」
「頼りにしているぞ」
という会話をする一方で、マルレーネから裏が取れていると聞いたジンは動いていた。衛兵が悪徳商会を電撃訪問。幹部を片っ端から逮捕していく。容疑は威力業務妨害、脅迫罪、贈収賄罪などなど。マルレーネの報告書には犯罪行為がびっしりと書かれていた。おかげで逮捕容疑には事欠かない。訪問された組織の側からすればたまったものではなかったが。
発端となった店にも衛兵が詰めかけている。その喧騒を、少女は呆然と見ていた。彼女の脳裏にあったのは、先日店を訪れたひとりの青年の姿。店をふらっと訪ねてきて暴漢を退治したかと思うと、自身に使い魔をつけてくれた。
少女の周りに起きた変化はそれだけではない。妙に衛兵が多くなるし、今日は衛兵が向かいの店に集まっている。もう、何が何だかわからなくなっていた。ただ、ひとつだけなんとなくわかっていることはある。
「お前がやったの?」
戯れに肩に乗っているフェレットのような使い魔の頭を撫でる。答えを期待してのものではない。ただのひとり言だ。しかし、
「察しがいいな」
「きゃっ!?」
少女のひとり言に答えたのは、彼女がまさに思い浮かべていた青年だった。驚きのあまり腰を抜かす少女。だが、青年がそっと支えてくれたおかげで転倒は免れた。
「あ、ありがとうございます」
「いや。こちらこそ驚かせたようだな」
だから謝罪は不要だという青年ーージン。しかし少女はもう一度感謝を伝えた。その強情なところに、ジンは苦笑を漏らす。そんな彼に、少女は用向きを訊ねた。すると、意外な答えが返ってくる。
「今日はどうして?」
「よく考えれば、この店の料理を食べていないことに気づいてな。暇を見つけて寄らせてもらった」
それを聞いた少女は笑った。ジンは不思議そうに首をかしげる。
「? 何かおかしかったか?」
「おかしいわよ。だって、うちの前にはあんなに衛兵がいるのよ。今日は誰も来なかったわ。だから、あなたが最初のお客さん」
その声にはやや呆れも混じっている。普通、野次馬根性で騒ぎに近づく者はいても、その近くで特に気にした様子もなく食事をするほど肝の太い者はいない。
「そうか。それは光栄だ」
その回答もどこかズレたものだった。変な人、というのが少女の抱くジンへの印象だった。ともあれ、ここは料理屋。父親もーーまさかこんなことになるとは思わずーー今朝も仕込みをしていった。料理を出す準備はできているのであって、頼まれれば出さない理由はない。少女は厨房へ引っ込み、料理を温めて出す。それをジンは美しい所作で口にした。
「美味い」
そう言って顔を綻ばせるジン。その姿に、少女もつられて笑みを浮かべる。ジンは男らしく健啖家ぶりを発揮し、多くの料理を平らげた。テーブルには皿の山ができ、これには別の意味で呆れる少女。さらに会計では『迷惑料』という名目で金貨を渡され狼狽する。そしてなんとなく気になったことを訊いた。
「もしかして、あの衛兵はーー」
「俺が手配した。まさかこんなことになるとは思わなくてな。これはそのお詫びだ」
「それならいらない。あたしもお父さんも、料理を楽しんでもらうためにやってるの。もし償いとして食べたんだったら、お金はいらない」
「……そんなつもりはなかったんだがな。今日来たのは、本当に前回食べ損ねたことを悔やんだからだ。そして食べてみて、美味いと思った。もし迷惑料として受け取れないというなら、素晴らしい仕事に対する技術料だと思ってくれ」
「ダメ」
少女はそう言って、きっちりお釣りを渡す。というか、受け取ろうとしないジンに業を煮やし、ポケットに強引に突っ込んだ。
「本当に美味しかったなら嬉しい。だから、また来て」
要は正当に払えということだろう。ジンはそのように理解した。
「わかった。あまり頻繁に来れないかもしれないが、都合がつけばお邪魔させてもらう」
「うん」
その返事に顔を綻ばせる少女。以後、ジンは約束を守って暇を見ては店を訪れるようになる。たまにアンネリーゼたちを連れて。そして俗にこの店は『魔王の店』と呼ばれるようになり、繁盛店となる。なお、少女がジンの正体を知るのは数年後のことだった……。




