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お約束破りの魔王様  作者: 親交の日
魔王様の日常編
50/95

せいさい

 



 ーーーーーー


 アンネリーゼ。


 吸血種の種長マリオンの娘。父親を降して魔王となったジンとの関係修復のため、彼に嫁ぐ。ジンの優しさと知勇に富むところに惚れる。その度合いはもはや宗教である。


 そんな彼女は激怒していた。敬愛しているジンが傷ついている。経緯なんてどうでもいい。大事なのは今、彼がどうなっているかだ。その考え方は麗奈が予想した通りのものだった。


 地上に降り立ったアンネリーゼはジンの怪我の具合を確認し、深刻な状態でないことに安堵する。が、それはそれ、これはこれである。とりあえず事情を知っていそうな麗奈を問い詰めた。


「ドウイウコトカ、セツメイシテクレマスヨネ?」


「あ、はい」


 その迫力に麗奈は頷くしかない。だが、彼女も何があったのかは知らないのだ。説明しろと言われても、別れて狩りをしていて、終わったらこんな状態だったーーそう説明するしかなかった。


「……ふざけているんですか?」


「でもーー」


「『でも』じゃありません!」


 釈明しようとした矢先、アンネリーゼが言葉を被せてそれを封じる。理不尽な、とは口が裂けても言えない麗奈。そんなことを言えばどうなるか想像もつかない。


「アンネリーゼ?」


 激昂している愛妻に声をかけるジン。だが、惚れ惚れするような笑みで『ジン様のお心を煩わせて申し訳ありません。ですがこれは必要なことなのです』と言われてしまえば退くしかない。美人の笑顔は一周回って怖い、の法則だ。


 ジンの介入を鉄壁の笑顔で謝絶したアンネリーゼは、再び絶対零度の冷たさを瞳に宿し、麗奈を見る。麗奈は震える。それはアンネリーゼの視線が冷たいからというだけではない。


「まったく。ジン様にお怪我を負わせるなんて信じられません」


「それ私のせい!?」


「はい」


 そもそも別行動だったし、責任はないと主張する麗奈。だが、アンネリーゼは至極当然とばかりに『有罪』であると首肯する。


「そもそも、別行動をとった時点でダメなのです。玉体に万が一のことがあれば、どうなると思っているんですか?」


「悲しいに決まってるじゃない」


 愛する人が傷ついて悲しくないはずがない。それはジンを敬愛してやまないアンネリーゼはもちろん、ユリア、フローラそして麗奈も同じだ。


 しかし、その考え方はいささか視野が狭いと言う他ない。地球における一般人の恋愛観ならばそれで問題はないのだ。だが、ここは異世界。そして想い人のジンは魔王だ。ことは悲しいだけでは済まない。


「あなた、本当に言っているのですか?」


 アンネリーゼは呆れたように彼女を見る。怒りに震える一方、今後は色々と『教育』が必要だと実感した。このままだと危険だ。獅子身中の虫となりかねない。


「なによ」


 一方、麗奈は馬鹿にされたような気がしてーー間違ってはいないーームッとする。その声もやや硬いものとなった。


 アンネリーゼはため息ひとつ吐いてから、ジンに何かあったときの想定を話す。


「……ジン様に万が一のことがあれば何が起こるか。ひとつ確実なことは戦争です」


「?」


 麗奈は何を言っているんだこいつ、という目をする。それは怪しげな宗教の勧誘をする人に向ける目と同じようなものだ。アンネリーゼはさらにため息追加。それでも見放すことなく、根気強く説明する。


「ジン様が魔族を統一し、人間勢力をも屈服させたことから、今は戦争がない状態です。それは嬉しいことでしょうか?」


「当たり前じゃない」


 戦争をしていて嬉しい人間なんているものか、と言わんばかりにはっきりと肯定する。だがアンネリーゼの答えは否であった。


「どうして?」


「世界から戦争がなくなると、それを快く思わない人がいるからです」


 例えば武器商人。戦争の危険があればそれに備えなければならない。そのために兵士を増やし、訓練する。その際に新たな武器や防具を調達するし、訓練で破損した武器や防具を補充する必要がある。実際に戦争となればより大量の需要が見込め、その恩恵を受けるのが武器商人だ。


 また、武器や防具を実際に作る鍛治職人や、傭兵なども割りを食う。よりわかりやすいのは、ジンに反感を持っている者が蜂起することだ。


 ジンはその圧倒的な力で魔族、人間の王として存在しているが、逆にいえば彼がいるからこそ戦争がなくなったということだ。ジンがいなくなればすぐさま戦争が始まる。アンネリーゼは自身の欲望もあるが、世の安定を考えてジンの軽挙を諌めているのだ。


「そうなんだ」


 そんなことなど思いもよらない麗奈はほえ〜、とただ頷くのみ。アンネリーゼのこめかみが引き攣る。


「そんな危険があることを認識した上で、今後は行動するように。あなたが一番ダメなんですから」


「わかった」


 麗奈は神妙に頷いた。自分が割と世界の危機をもたらしていたことをようやく自覚したーーわけではない。日本人特有の、なんとなく空気を読んだ行動である。無難な上、相手にはなんとなくわかったような印象を与える、まあ厄介な民族的癖であった。


 とはいえ、麗奈を責めるわけにはいかない。割といい教育を受けられるのが日本という国だが、学校においてよほどアウトローな行動を取るか、複雑な家庭に育たなければ、おおよそ悪意というものとは無縁に育つ。いわば一種の箱庭なのだ。だから理想的でお花畑のような思考の持ち主が多い。麗奈もその口だった。


 事なかれ主義の日本人精神によって辛くも虎口を脱した麗奈だったが、彼女の幸運もここまでだった。アンネリーゼより厳しい罰が下ったからだ。


「ーーというわけで、あなたは罰として一週間、ジン様との夜はお預けです」


「ええっ!?」


 それはないよ、と抗議する麗奈。しかしアンネリーゼは取り合わない。現在、夜はアンネリーゼ、ユリア、フローラ、麗奈でローテーションしている。週一度から二度とというペースだ。麗奈が抜けると残り全員に週二回が担保されることになる。さらに、今週は麗奈が二回の順番になっていたので、彼女は都合二回の損をした。逆に特をしたのが、一回だったアンネリーゼである。


「なんで!? 謝るから! 許して!」


「謝っても必ず許されるわけではありません! 誠意を見せてください!」


 縋りつく麗奈を一蹴するアンネリーゼ。取りつく島もない。麗奈はなりふり構わなかった。本人に自覚がないため、とにかく己の罪状(と考えたもの)を思いつく限り述べていく。その多くはアンネリーゼも知っていて一週間の罰で事足りることだったのだが、やがて墓穴を掘る。


「ジンにカレー作ってもらったこと謝るから!」


「なっ!? 追加で一週間です!」


 異世界で初めてカレーを食べたのはーージンを除けばーーアンネリーゼ。その美味しさに魅了された人物でもある。カレーは何度か食卓に上ったことがあるが、ジンはカレールーとして作ったため、料理人が作ったものだった。ジンお手製のカレーはプレミアなのである。


 二人きりで出かけただけでなく、プレミアムカレーを食べたとなればーー到底看過できない。よってアンネリーゼ脳内裁判にて、罰の一週間延長が満場一致で可決された。


 ガックリと四肢をつき、気落ちする麗奈。ジンもフォローしかねる。アンネリーゼに口出し無用と言われているし、何より食べ物の恨みは根深い。故人曰く、触らぬ神に祟りなし、だ。


 こうして麗奈には正妻からの制裁が課されることになったのである。


 ーーーーーー


 アンネリーゼという少女はジンのことになると暴走することもあるが、基本的には真面目である。魔王の正妻として後宮の管理をしたり、彼を補佐すべくジンが行う政策の趣旨を学んだり……。何事も正面から取り組む優等生タイプだ。


 せかせかと忙しく動いている彼女だが、某王女のごとく過労で倒れたりすることはない。それは、上手く休暇をとっているからだろう。


 魔界ではジンの改革によって休暇が取れる仕組みが普及している。同一の役職に複数名を任意し、月番制で交代させる。ひとりしか置けない役職については週休二日制といったように。休みすぎてはいけないが、適度な休暇はむしろ仕事効率を高めるのだ。


 無論、こんな制度は魔界以外に存在するはずない。だからフローラはーー説明は受けたもののよく理解できずーー休暇なしで働き続けた。逆にこれを知っている麗奈はきっちりと休んでいたが、カルチャーギャップである。


 そんなアンネリーゼの休暇では二週間に一度、疲れなど一発で吹き飛ばせるイベントがあった。聞くからに怪しい触れ込みだが、麻薬とかそういう危ないものではない。ではどうするのか? それは、ジンとのデートだった。


 魔都。その中心にあるのは魔王城ではなく、懐かしの闘技場コロッセオだ(魔王城は街の外縁部にある)。【選王戦】の舞台となっているこの場所だが、実は初代魔王の墳墓の一部だ。というより、魔都そのものが墳墓であった。初代魔王の墳墓はなんと街ひとつ分の大きさなのである。いかにその権力が強大であったかがわかろうというものだ。


 そんな初代魔王の墳墓には、闘技場意外にも様々な施設がある。そのうち魔王城を除いて最大の面積を占めるのが庭園だ。太古から壊れることなく稼動し続ける壮麗な噴水、枯れることなく育っている植物、多種多様な生物が生きる池など。見どころは様々ある。そしてここは、魔都でも一、二を争うデートスポットでもあった。


 庭園の入り口には仕立てのいい服に身を包んだ美男子がいた。ジンである。魔王と気づかれないようサングラスをかけ、魔道具で魔力を制限し、流行りのファッションに身を包んで変装していた。それでも周囲の女性の目を釘づけにしている。ただどこか近づき難い雰囲気もまとっており、遠巻きに見るに留まっていた。


 声をかけようとする勇者もいたが、周りの女性陣が同調圧力をかけてその行動を制止している。そのおかげでひとりポツンと立っているジンは不安になる。


(似合ってないのか?)


 麗奈やフローラ、ユリアには好評だったんだが……と内心で呟く。とはいえ、今さら着替えに戻れないので覚悟を決めるしかなかった。


「ジーク様!」


 そのとき、女性陣の同調圧力など夏に吹く微風も同然! とばかりに駆け寄ってくる少女がいた。パタパタとサンダルを鳴らし、可愛らしく走る。サラサラの金髪が陽光に照らされ黄金のように輝き、フリルのついた膝丈のワンピースの裾がヒラヒラ。すらっとした素足と太もも辺りを揺れる裾に男性陣の目は釘づけだ。が、ここはデートスポット。そんなところに非リアはいないわけで、彼らは例外なくお供の女性から制裁を受けていた。


 そんな悲劇を(無自覚に)引き起こした少女は、やがてジンの胸に収まった。二人は少しの間見つめ合い、どちらからともなくキス。周りの女性陣から黄色い声が上がる。


「やあ、ハンナ。いきなりだね」


「遅れたお詫びです」


「貰いすぎだな。だからーーお返しだ」


 今度はジークことジンが少女の頤を掴み、顔を上げさせてキス。再び外野からの黄色い声。アンネリーゼなどが見れば激怒すること間違いなしだが、問題ない。なぜならジンがハンナと呼んだ少女は、アンネリーゼが変装したときの偽名だからだ。つまり、ここにいるのはジークとハンナではなく、ジンとアンネリーゼなのである。


 コーラなんかをさらに煮詰めたときのような甘ったるさを感じさせるやり取りをする二人だが、美男美女のカップルであるためまったく嫌味な感じがしない。周りの女性陣は、自分の彼氏に『あれくらいやりなさいよ』と無言の圧力を送る。男性陣はたじたじになった。


「幸せです」


「オレも、ハンナみたいな彼女がいて幸せだよ。今日の服も似合ってる」


「本当ですか? ジーク様もお似合いですよ」


 彼氏彼女どころかこの二人は既に夫婦なのだが、そこに突っ込んではいけない。アンネリーゼがリクエストしたシチュエーション(麗奈の影響を受けている)に沿っただけなのだから。


 挨拶を終えると、アンネリーゼはすぐにジンの腕に抱きつく。それなりに豊かな膨らみが形をむにゅっと帰る。腕に柔らかく幸せな感触が生まれた。アンネリーゼの整った顔は至近距離にある。ちょっと顔を動かせばキスもできてしまうほど。


 周りの男性陣は思った。彼女は可愛くて、あんなにラブラブで、身なりからして金持ち。自分たちにはそのどれもない。彼女は可愛いと思うがアンネリーゼと比べればちょっと……。色々とご機嫌とらないといけないし、金なんてまったくない。世の中にこんな不公平があってなるものか! 彼氏もげろ、と。


 そんな風に思われているなどと露知らないジンは、アンネリーゼに導かれるままに庭園へと入っていく。花が好きな彼女は、季節が変わると必ず庭園を訪れる。同じく花が好きなフローラとは、政治の話以外にもよく花の話で盛り上がっていた。


 なお、ユリアも花については詳しい。しかし彼女の場合はどちらかというと実用性重視である。この花には麻痺毒が、あの花を乾燥させて焚くと催淫効果が……などと、およそ風情や観賞とはかけ離れた話になるのだ。だから二人とはあまり話が合うことはなかった。


 ともかく庭園の散策に繰り出した二人だったが、さすがに広い。また、季節ごとに草花が植え分けられているわけではなかった。そのため庭内すべてを回ることになるのだが、数時間ではとても回りきれるものではなかった。なんなら、一日かけても無理だろう。そんなわけで、二人は散策を中断して街へと繰り出した。


 なお、中断を言い出したのはアンネリーゼであった。普通は男の方から言い出して喧嘩になるものだが、今回はアンネリーゼから言ってきた。ジンはその意味を正確に察した。


「お腹が減ったね。どこかいいお店とかないかな?」


「! 探してみましょう!」


 アンネリーゼは我が意を得たりとばかりに頷く。そう。彼女はお腹が空いていたのだ。しかし、レディーがお腹が減ったと言うのははしたないことだ。だから大好きな庭園散策を中断することで、お腹が減ったアピールをしたのだ。


 いい店はないかな、と探す二人。ジン的には場末の酒場でもいいのだが、身なりがいい上にアンネリーゼを連れている。やはりそれなりにお洒落な店を選びたいところだった。


「さあ、開店だよ!」


 そんなとき、威勢のいい言葉が聞こえてきた。そちらを見れば、大きな店の前にできた行列が、料理人らしき男の声に応じてぞろぞろと店へ入っていく。この世界の基準では普通の飲食店の大きさの数倍はある。だがそれでも行列すべてを店に収めることはできず、店の外にある行列は解消されなかった。


 傍目に見ても大盛況であることがわかる飲食店だが、対して憐れなのが向かいにある店だ。こちらも同じ飲食店だが、閑古鳥が鳴いている。


 二人は目を見合わせる。閑古鳥が鳴いている店の看板はやや古く、いい味がでていた。歴史を重ねてきたことがわかる。魔都にーーというより、都会に出店することは名誉である。それはいい店であることの証だ。


 しかし、都会は競争が激しい。何かしら抜きん出たものがなければ淘汰されてしまう。それを乗り越えることができれば、しっかりと客を確保して営業を続けられるのである。閑古鳥が鳴く店は看板から、その苦難を乗り越えてきた歴史が感じられる。ならばこれはどういうことなのかーーそれが二人の間に生まれた疑問だった。


 そのとき、ひとりの男が閑古鳥の鳴く店へと入る。ーーいや、入ろうとした。その行く手を阻んだのは、ガラの悪い男。ニヤニヤと笑みを浮かべている。


「いらっしゃーー」


 少女が客を出迎えようとして店先に出てきたが、男たちがいるのを見て口を閉ざした。


「おっちゃん。こんなしけた店よりも、オレたちともっといいとこ行こうぜ?」


「何を言ってるんだ。わたしはこの店の味がーー」


「行、こ、う、ぜ?」


 ガラの悪い男が取り出したのはナイフ。銃刀法は武器自弁であるこの世界において制定されていない。だから持っていることは何ら問題ないのだが、使い方が問題だ。脅しに使うとそれは脅迫罪が成立する。いずれもジンが即位してからできた法律なので認知度は低いが、それでも法律は法律だ。違反者には罰を下さなければならない。


「おい」


 ジンはガラの悪い男を止める。


「あん? なんだ兄ちゃん。アンタもこの店に来たのか? だったら止めときな。不味いからな。金払う価値なんかないぜ? あ、オススメは向かいの店だ。最近安くなったスパイスを大量に使ってるんだぜ? それでいてひと皿銀貨一枚! 安いだろ?」


(高い……)


 ジンは心の中で思った。夜に営業する店ならいざ知らず、昼の店としては破格の値段だ。普通は高くても大銅貨五枚前後(およそ五百円)だ。いくらなんでも銀貨一枚(千円)は高い。それだとしがない労働者の日当が消し飛んでしまう。


「余計なお世話だ」


「なんだよ釣れねーな。兄ちゃん金持ってんだろ? こんな寂れた店よりも、今イケイケの店に行ってパーっと使っちまえよ」


「金をどう使うかお前に指図される筋合いはない」


 ジンはそう言い放つ。ガラの悪い男はその高圧的な態度にキレた。


「ああそうかよ。じゃ、従ってもらおうか」


 そう言って仕舞っていたナイフを再び見せる。瞬間、ジンは動いた。男の腕をとり、投げる。背負い投げだ。男は受け身をとれず、背中を地面に強かに打ちつける。


「か、はっ!」


 肺から空気が強制排出され、苦しげに呻く男。しかしそんな事情は一切斟酌せず、ジンは事務的に告げる。


「お前を脅迫の容疑で現行犯逮捕する」


 警察官でなくとも、現行犯であれば私人逮捕可能なのは同じだ。あとは衛兵に引き渡せばいい。


「ありがとうございました」


 ここで初めて少女が声を発する。だが、その表情は暗い。ジンは苦笑しつつ、


「迷惑だったか?」


 と声をかけた。すると少女はあわあわと手を振ってとんでもない、と本当に感謝しているのだと答えた。


「それにしては顔色が優れないが?」


「いえ、そんなことは……」


 と否定する少女だったが、海千山千のジンにはバレバレだった。なおも見つめられ、怪しまれているどころかバレていることを悟る少女。観念した少女は白状した。


「実は……」


 語られたのは、向かいの店による嫌がらせだった。向かいの店は魔都では有名な大商会の直営店で、新たに店を出すにあたって用地の買収を行った。そのときに少女の店も対象になる。たしかにここは庭園からほど近い場所だ。大商会が目をつけたのにも頷ける。


 そして交渉が行われたのだが、相手は金貨の山を積んでひと言『この金でこの店を買う』というものだった。しかし、少女の父親は断る。ここは魔都に出てきた両親(少女にとっての祖父母)が必死になって発展させた店であり、いくら金を積まれても譲り渡すなど論外である、と。その結果がこの嫌がらせだった。


「あの商会は向かいに大きなお店を建てて、あたしたちのお店に来た人を脅して盗っていくんです」


「……そういえば、ご両親は?」


「この子の母親はしばらく前に亡くなっているよ。父親は、仕込みだけして働きに出ている」


「あなたは?」


「この子の叔父だよ。さっきは助かった。父親に頼まれてこの子を引き取りに来たんだけど、まさか絡まれるとは……」


「嫌です!」


 叔父と名乗った男は少女を引き取りに来たのだという。なんでも、相手はどう出るかわからない。父親は自分はどうなってもいいが、娘が酷い目に遭うのはなんとしても避けたいーーと考えたようだ。


 しかし、少女は断固拒否している。それは子どもらしい、正義感からの行動であった。悪は悪。その価値観を、ジンは眩しく思う。自分はすっかり大人の価値観に染まっている。そんなジンとしては、お節介かなと思いつつも応援したくなってしまった。


「なら、俺も少し協力しよう」


「そんな、申し訳ないです」


「好きにするんだ。気にしなくていい」


 遠慮する少女だったが、結局はジンに押し切られる。彼女には使い魔がつけられるとともに、店の周囲を衛兵が重点的に見回るという措置がとられた。前者はともかく、後者はジンの指示である。アンネリーゼに理由を問われると、


「私人として可哀想だと思うし、公人としてもそのような無法は許せない」


 と答えた。しかしアンネリーゼは納得しない。


「本当はあの娘を気に入ったからじゃないんですか?」


 そこはさすがのジンである。発言の趣旨を取り違えることはなかった。


「違うぞ。本当だ。信じてくれ」


 とは言うが、言葉数が多いほど信用ならないのはどこの世界でも一緒だ。アンネリーゼは悲しそうに目を伏せ、


「私の前で他の女に色目を遣う。ジン様は魔王として正しい行動をされました。けれど、そのようなことをされて私は悲しかったです」


 しくしくと泣き崩れるアンネリーゼ。さすがのジンも慌てる。


「いや、あの、その……」


 手をわたわた意味もなく彷徨わせ、困った様子だ。そんな彼をアンネリーゼが潤んだ目で見つめる。


「お詫びをしてほしいです」


 何をしろ、ということなのか聞いてはいけない。要はナニをしろということなのだから。そういう魂胆か、とジンは今更ながらに気づくがすべては後の祭り。


「はい」


 と答えるしかなかった。




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