魔界一日戦争
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会議が決裂して数日後。ついに開戦となった。後世でいうところの『魔界一日戦争』である。
馬魔種は魔都を目指して一直線に進撃。緑鬼種、青鬼種は合流してから魔都へ向かった。名目としてはマレンゴが総大将であったが、実際には種族の寄せ集めである。
対するジンは先行する馬魔種の相手をマリオン以下の吸血種に任せ、自身は単身緑鬼種、青鬼種混成軍の前に立ちはだかった。
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マリオンは燃えていた。それは対峙するマレンゴが先々代の魔王をーー彼の祖先をバカにしたからだ。燃えているのは彼だけではない。吸血種全員が燃えていた。
吸血種のルーツはエルフといわれている。人間が魔界の濃い魔力環境に適応したのが人魔種、エルフが適応したのが吸血種なのである。それは互いにそれほど差がないことも、そのような説に正当性を与えていた。人間と人魔種には平均的な魔力量の違いしかない。エルフと吸血種の間にも尖った耳の長さ(エルフは長く、吸血種は短い)、犬歯の長さ(エルフは短く、吸血種は長い)、血を吸うか吸わないかの三点しか違わない。そのせいか個々の能力は高いが出生率は低いというエルフの特性がある。数が少ないために家族としてのつながりを重視する。いわば種族全体が家族なのだ。そのため一族が侮辱されたことには並々ならぬ怒りを覚えていた。
「なんだい、あれは……?」
待ち受ける吸血種を見たマレンゴは思わず呟いた。彼らから異様な闘気が溢れている様を幻視したのだ。
このように一種の異様な軍団になっている吸血種に対して、マレンゴ率いる馬魔種は腰が引けていた。魔王に逆らうという前代未聞の行為に、多くの者が抵抗を覚えていたためだ。
両者には士気の点で大きな隔たりがあった。そんな味方をマレンゴは鼓舞する。
「ユーたち! この戦いに勝てばミーが魔王だ! ミーが魔王になればユーたちには幸せな暮らしを約束しよう! そして、ミーたちは千。魔法バカどもは三百しかいない! 三倍以上だ! 勝てるッ!」
「「「おおーッ!!!」」」
彼の鼓舞に若者を中心とした者が応える。一方、歳をとった者たちはあまり元気がなかった。しかしマレンゴはお構いなし。あるいは気づかないフリをしているのか。
「さあ、行こう!」
マレンゴがまず走り、程なく全軍が動きだす。馬魔種の常套手段である錐型隊形(三角形)による突撃だ。
これに対して吸血種たちは、雨あられと魔法を浴びせる。火が、水が、雷が、あらゆる魔法が馬魔種を襲う。
吸血種は全員が魔法を使えるのに対して、馬魔種は一割を切る。魔法は軍事力に大きく影響する重要なファクターだ。いわば戦国時代における鉄砲の多寡である。それは損害比率に直結する。
彼我の距離はおよそ五百メートル。それを四百メートルに詰めるまでーーつまり百メートル進む間ーーに全体の一割が傷ついた。一方の吸血種は銀を含む魔法をほぼ完璧に防ぎ、ほんの数名がやられただけだ。
マレンゴは勢いづく。
「魔法バカはろくに狙いもつけられないのか! これならミーたちの弓の方が優れているね!」
未だに距離が遠く弓の射程(馬魔種の最大射程は三百メートル)には入っていないため真偽のほどは定かではない。ただ戦場で興奮し、冷静さを著しく欠いている者たちには、潜在的に感じる恐怖感を忘れさせてくれる、一種の麻薬のような役割を果たした。
「やってやる!」
「最強種族は俺たちだ!」
「ヒャッホー!」
手に持つ弓を掲げ、声高に叫ぶ馬魔種の若者たち。それを比較的後ろに固まっているベテラン勢は、それを冷ややかに見ていた。
彼らは幾度かの死線を潜り抜けた猛者である。経験を積んだ彼らは命がけの突撃を行う極限状態にあっても冷静さを保ち、マレンゴの扇動には乗らなかった。
以後も吸血種の一方的な攻撃にさらされ続け、三百メートル地点に到達するまでにその数を二割五分ほど減らしていた。ちなみにこれだけの損害を出せば、近現代の軍隊は撤退を検討するレベルである。
しかしマレンゴたちはなおも突撃を続ける。ようやく弓の射程に入った。各々が弓弦を引き絞りーー発射! ヒュン、ヒュン、と軽快な音を立てて矢が飛んでいく。
馬魔種の弓術は非常に優れていることで有名であった。特にその強さは魔界で最高峰とされている。長距離での攻撃手段(魔法)には乏しい馬魔種であったが、中短距離での弓術、零距離での槍術においては他の追随を許さない。これは他種族のみならず、馬魔種もよく自覚し、誇りを持っていた。
「なにっ!?」
だからこそマレンゴは驚いた。自分たち自慢の矢が、吸血種に当たる直前にすべて止められてしまったからだ。
……彼はすっかり失念しているようだが、これまで戦争を行うなかでは種族ごとの役割分担というものが存在した。例えば今行っている野戦の場合、遠距離の魔法戦と防御を担当するのは吸血種。馬魔種は敵に突撃をしかけて敵陣に楔を打ち込む。そこから牛魔種が侵入して敵陣をズタズタに裂き、人魔種、緑鬼種、青鬼種が細かな敵を殲滅するーーといった具合である。さて、ここで防御を担当していた吸血種が敵に回るとどうなるか。答えは事実上のノーガード突撃を敢行し、固い防御を誇る敵に向かっていくことになる。
防御魔法はゲーム的に解説すると相手が撃った攻撃魔法の威力を打ち消すものだ。例えば攻撃魔法の平均的な攻撃力が五。するとこれを防ぐためには五の防御力が必要になる。攻撃力と防御力が等しい場合には対消滅という現象が起こる。個人同士の魔法戦ではこの対消滅を目指すことが理想とされる。消費する魔力を抑えられるからだ。
一方、集団戦の場合は防御力は高ければ高いほどいい。一般的な比率としては攻撃に七、防御に三が割り振られる。これは魔法を使える場面が序盤と追撃、あるいは撤退の場面に限定されているからだ(それ以外は敵味方が入り乱れていて同士討ちの恐れがある)。攻撃偏重なため、防御に魔力消費云々と効率を求めてはいなかった。吸血種が全力で防御に回れば、その防御力は平均でも二〇以上。一方、馬魔種が放つ弓矢の威力は攻撃魔法に換算して一ほど。攻撃力千に対して防御力一二〇〇。防御を抜くことができず、矢は防がれてしまったのだ。
「も、もう一度!」
驚いて次の矢をつがえるのを忘れていたため、馬魔種の攻撃に一瞬の遅滞が生まれる。そしてその一種が勝負を分けた。
突如、馬魔種の隊列の横合いから魔法が放たれる。
「横からだとっ!? ーー淫魔種か!」
マレンゴは新たに出現した敵が吸血種と淫魔種の混成部隊であることに気づいた。そして同時に今まで気づけなかったことにも納得する。
淫魔種は吸血種に匹敵する魔法の才能を持つが、攻撃魔法はあまり得意ではない。むしろ【魅了】に代表されるような支援系の魔法が得意だった。気づけなかったのは【潜伏】の魔法で姿を隠していたためだ。
新たに出現した吸血種の部隊と馬魔種の部隊との距離は二百とかなり近い。正面と側面から魔法が放たれることによって密度が上昇。距離が縮まったこともあって被弾する者が増えた。特に側面から放たれた魔法は事前に十分な狙いをつけていたのか、精度が高い。数度の攻撃で馬魔種の半数が倒れていた。
これこそジンがマリオンに託した対馬魔種の必殺戦法。その名は十字砲火。例によってミリタリー好きの上司に教わったものだ。二方向から魔法を浴びせることで命中率を上げるーーその画期的な戦法を考えついたジンに、マリオンは尊崇の念を新たにした。そして目をキラキラさせている彼に、ジンは本当のことを言うことは躊躇われたようである。
マレンゴをはじめ血気盛んな者たちは隊列前方に、ベテラン勢は後方に集中していた。そして現在、前方にいた者たちはその多くが倒れ、残るは後方の者ばかり。そんな彼らはというとーー武器を捨てた。
「降伏する」
ひとりの馬魔種が進み出てそう宣言した。マリオンはそれを受諾し、速やかに抵抗する者たちの制圧にかかる。死者は放置され、生存者に関しては拘束された後に回復魔法がかけられた。そのなかにはマレンゴもいた。
「くそっ! ユーたち、離したまえ! ミーに触れるな!」
全身ズタボロになりながらも拘束から抜け出そうと足掻いている。その姿はとてもーー滑稽だった。マリオンはふと【選王戦】のときにジンも今の自分と似たような光景を見ていたのだろうか、という疑問を持つ。すると少しだけ彼に近づけたような気がした。
自然と緩んでしまった頰を引き締め、マレンゴに向き直る。そして皮肉たっぷりに、
「土の味はどうだい?」
と訊いてみる。
「とっても美味しいよ。いますぐユーに味合わせたいくらいだね」
「それは遠慮しよう。少し前に嫌というほど味わった」
「……」
「……」
そこで言葉は途切れ、互いに沈黙する。再び話し始めたのはマレンゴの方だった。
「ミーはどうなるんだい?」
「魔界で種族同士の殺し合いなんて初めてのことだから、誰にもわからない。でもきっと魔王様が裁かれるだろう」
魔界には成文法が存在しない。慣例としては種長が裁くことにはなっていた。ただそれは種族の構成員が紛争などを起こした場合であって、戦争行為や種長自身が裁かれる対象になったことなどない。しかしジンがマリオンに語って聞かせた話から推測して、ジンが裁くのだろうと言った。
「……そうか」
マレンゴのその言葉を最後に双方に会話はなく、戦後処理が粛々と行われた。
最終的に吸血種の死者は五名、負傷者は二三名。馬魔種の死者は一六八名、負傷者は三四三名。吸血種の大勝利で終わった。
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一方、ジンである。彼はたったひとりでだだっ広い平原に陣取り、緑鬼種、青鬼種連合三万と対峙していた。
一対三万。正気を疑うような戦力差である。連合軍も大いに困惑した。オニャンゴ、クワシは特に。
「あいつ、正気か?」
「わからない。とにかく踏み潰す」
魔王の思惑はわからないが、行く手を塞いでいる限りは排除しなくてはならない。二人は疑念を頭から追い出し、攻撃することを決めた。
「攻撃」
「いけ」
緑鬼種、青鬼種の慣例では、種長と貴重な魔法使い以外は、その生まれにかかわらず一丸となって突撃する。三万が突撃する様は壮観だ。
「おー、すげー」
ジンはそれを呑気に眺める。それだけでよかった。なぜなら既に仕込みは終わっており、敵が突撃を敢行した時点で勝利は確定したのだから。
飛んでくる魔法はすべて【バリア】が防いでくれる。この魔法は『あらゆるものを防ぐ』という子どもじみた概念が具現化したものであるから防御力は数値化不能。あえていうなら無限だ。
ジンはそっと目を閉じる。そして次の瞬間ーー世界を光が満たした。
オニャンゴとクワシはまったく予期しなかった閃光に目をやられ、
「「目が、目が〜!」」
とのたうち回る。目を開けても太陽を直接見たあとのように何も見えない。しばらくしてようやくまともに見えるようになると、今度は我が目を疑った。
消えている。三万の軍勢が、綺麗サッパリ消えている。残ったのは焼け野原だけであった。
「「……」」
残された者たちは言葉もなく呆然とした。何が起こったのかわからない。ひとつ確かなことは三万の軍勢が消滅したということだ。
「うっ」
「がっ」
さらに側にいた魔法使いたちが苦悶の声を上げながら倒れていく。
「どうした!?」
「何があった!?」
立て続けに起こった不可解な出来事にキャパをオーバーしたか、二人は恐慌状態に陥る。残されたのは彼ら二人だけ。ここまで五分とかかっていない。慌てる彼らに、後ろから声がかけられる。
「どうした?」
ーーゾクッ!
二人は背中に氷を予期せず大量に突っ込まれたような錯覚を覚えた。
「ま、魔王!?」
「なぜここに!?」
二人は反射的に飛び退る。一方のジンは平然と、当然のように、
「敵の軍勢を撃破し、大将のところへ乗り込んできただけだが?」
と言った。ジンは人前につき魔王モードである。二人は撃破なんて生易しいものじゃない、と内心で毒づく。もちろん口には出さない。
「オラの、仲間、どうした?」
「アデの仲間を返せ!」
「反乱を起こしておいて随分な要求だな」
そう言いつつジンは雷球を発生させる。オニャンゴは斧を、クワシは槍を構えて応戦の姿勢をとった。二人は全金属製の得物を軽々と扱う。もしこれが当たればジンの体ではひとたまりまないだろう。しかし今回ばかりはそれが裏目に出た。彼らの武器は鉄製。そして鉄は電気を通す。つまり、
「「ギャアアアッ!!!」」
二人は感電して倒れた。なんとも間抜けな最後である。
これで緑鬼種、青鬼種も鎮圧された。結果はジンの圧勝である。しかも死者はゼロであった。というのも、
「見事だった、魔王。これほど大規模な幻惑の魔法を行使するとは」
現れたのは牛魔種の種長・ティアラだった。中立を宣言した彼にジンは自身の闘いぶりを見せるために呼んでいたのだ。その姿は淫魔種の種長・マルレーネが【潜伏】の魔法で隠していた。
ティアラが言った通り、ジンが行った攻撃は【幻惑】と呼ばれる魔法だ。これは映画のように幻を見せるだけの魔法だが、極めると相手の五感に直接干渉できる。ジンはこの魔法で大爆発を再現して三万の軍勢を昏倒させ、オニャンゴたちには一面が焼け野原になった幻を見せたのだ。
ジンは昏倒した敵をせっせと拘束していく。ティアラも手伝った。程なく軍勢がやってくるはずだ。作業をしながら話す。
「吸血種のマリオンは間違いなく勝つでしょう。となればあなたの勝ちだ。あしらは大人しく従いましょう」
「いや、まだ終わりではない」
「え?」
ジンの謎めいた発言は数日後にその意味が明らかになる。
戦争に参加しておきながら戦場に出ていない人魔種はどこで何をしていたのか。答えは敵(馬魔種、緑鬼種、青鬼種)の種領である。人魔種を主力に若干名の吸血種や淫魔種を含んだ軍が各領を占領していたのだ。彼らは若干の抵抗を排除しつつ種領を占領し、ジンから託された布告文を読み上げていた。そこには魔王に逆らった種族と味方する種族とが戦争をしたこと、魔王側が勝利したので種領を占領して種長の職権を停止する代わりに魔王が直接統治することなどが書かれてある。現職の種長たちは囚われているので代わりに次の種長に、布告文への署名をさせた。
反乱種族の敗北と種領の占領とをもって、魔界一日戦争は終結したのだった。




