春
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魔族と人間の戦争が終結した。結果は魔族の勝利。そのことは魔界、人間界に瞬く間に広がった。
この戦争による大きな変化としては、教会の勢力が見る影もなくなり、代わってボードレール王国の勢力が拡大したことだろう。
そして現国王ジョルジュの子息のうち、長男のグレゴリーは失脚。次男のアルフォンスは戦死。唯一残ったフローラは、ジンの婚約者。次代の王は魔族の影響が強くなる。見かけ上はボードレール王国の勝ちだが、実際は魔族のひとり勝ちといった状態である。
「さすがは魔王様です。恐れ入りました」
この状態を手放しに賞賛するのはマリオン。彼はジンの意図と、この構図に気づいていた。見かけは人間(ボードレール王国)による人間の支配のようでいて、実態は魔族の支配。なるべく魔族の存在を隠すことで、人間の反発を抑える。この考えには感心した。同時に、改めて娘を嫁がせたことに間違いはなかったと思った。
事実、教会領の統治といった面倒事はすべてボードレール王国に押しつけ、魔族は変わらぬーーいや、王国からの貢物が加わって少しく豊かな生活を送ることができるようになった。負担といえば王国に派遣する即応軍だが、見返りを思えば気にするほどのものでもない。
主戦派がもろとも消し飛んだ教会は、降伏派の聖職者を中心に再建に勤しんでいた。とはいえ、かつての教会の権威はない。こちらも主戦派たちと共に吹き飛んでいる。よってかつて信仰が興ったときのように、いや、より困難な状況下で布教しなければならない。
教会の権威を削ぎ、よりコントロールしやすい王権を強めるーージンの狙いは見事に実現した。
王国が接収した教会領については、王国でジンが行った改革と同じことを行うように命じていた。貴族にとって、これはチャンスだ。というのも、教会領には領主がいない。新たな貴族が任じられるだろうから、それを是非うちの一族に……という売り込みがジンとジョルジュに殺到していた。
「余に贈られても困るのだがな」
貴族との面会で朝から晩までみっちり埋まったスケジュールを見て、ジンは苦笑した。たしかに声をかければジョルジュは無視できないだろうが、これは王国の国内問題である。ジンは魔族に不利益がもたらされない限り、不干渉という立場をとるつもりだ。
鬼のような面会ラッシュを捌き、後日ねじ込んだジョルジュとの面会。その場でジンは、教会領を王家の直轄領とするようにアドバイスした。まあ、魔王のアドバイスはすなわち命令である。それはすぐさま実行に移された。
今まで『王国領』と誰に帰属するのかぼんやりしていた教会領が『直轄領』と名を変えて帰属先が明確になり、アピール先がジョルジュに集中することになった。ジンの狙い通り。
ただし、例外がある。それがワルテル公爵とアモロス侯爵(おまけにその一党)だ。反魔族派貴族を軒並み教会領へ移封した。
「教会領は未だに混乱が続いておる。熱心な信者であるそなたたちが押さえに適任だ」
ジョルジュが彼らの移封を発表した際に述べた混乱する教会領の重石としての役目は建前。実際は体のいい厄介払いだ。見ず知らずの土地では大変だろうから、オマケとして周辺には仲のいい反魔族派貴族を配置。領地には、主戦派聖職者の生き残りが多数いる場所を与えている。これらもすべて、領地を平穏無事に治めてほしいと願うジンたちの心配りであった。
「ワルテル公爵領とアモロス侯爵領は反魔族勢力の坩堝となっています」
ジンに報告した際、諜報責任者のマルレーネはこう評した。
「やがて中央に反抗することはほぼ間違いない」
ジンは悪い笑みを浮かべた。
「状況がどう転ぶかは微妙なところだが、このままいけばジョルジュの崩御と同時に挙兵するだろう。次代の王はフローラか、余の血を引く子どもだ。そんな相手に跪くなど、魔族の存在自体が許せない彼らにとって耐え難いことだろう。だから奴らは必ず動く。幸い、ワルテル公爵は王族の血を引くからな」
公侯伯士男とはいうが、公爵と侯爵以下では性質がまったく異なる。前者は王族しかなれないからだ。そして、公爵ならば王位を継ぐのに問題はない。奪還したフローラを妻にすればまず文句は出ないだろう。
「そこですべての膿を取り除く」
古い考えを持つ人々の在庫一掃セールである。これからは魔族と人類は反発するのではなく、共に繁栄すべき。そんな考えを持つジンは、障害となる人間には合法的に退場してもらうつもりだ。
「悪い方ですね」
「マルレーネがそれを言うか?」
ジンは呆れたように言う。彼のことを非難するマルレーネだが、この計画の一翼を担うのが彼女率いる淫魔種諜報部隊である。彼女たちは全国で娼館を経営する傍ら、客から情報を収集してジンに届けていた。
今回の計画では、反魔族派貴族の領地に隣接する場所に店を構え、情報を集める。一番はワルテル公爵領などに店舗を設置することだが、敵の総本山に堂々と乗り込むのは危険が大きいと判断してこのようになった。
「魔王様には感謝しております。わたくしたちの種族をお救いくださったのですから」
「そんな大層なことはしていない」
「いえ。男不足で困っていたわたくしたちに、魔王様のご提案は渡りに船でした」
淫魔種のエネルギー源は男の精。従来は種領を訪れる旅人(男)から一夜の夢を提供する代わりにもらっていたのだが、搾り取られるということで敬遠され、慢性的な飢餓状態に陥っていた。それは、ハネムーンでジンが直接目にした通り。だからジンは活動範囲を広げてみてはどうか、と提案したのだ。娼館スタイルもいくつか提案した形態のひとつであった。
性産業は必ず需要がある。客を相手するついでに情報を集めてもらう。ジンたちは情報が集まってラッキー、淫魔種たちは飢餓状態から解放されてラッキー。ウィンウィンな関係なのだから、感謝されることはない。
加えて、娼館による情報収集にはある問題もあった。それは、
「島州もかなり人が減ったそうではないか」
過疎化である。魔界全土に諜報網を広げるため、ジンとマルレーネは奮闘した。淫魔種の価値観的に、人魔種、吸血種はOK。牛魔種もギリセーフ。緑鬼種、青鬼種、馬魔種は基本的にNGだが、お相手してもいいという奇特な人材を探してまで娼館を開設した。
これだけならまだよかったのだが、人間界まで進出、征服したためここでも需要が発生。淫魔種はほとんど出払い、島州は高齢の淫魔種しかいないという、限界集落の様相を呈していた。
「お気になさらないでください。元々島州に足を運ぶ殿方はほとんどいらっしゃらなかったのですから。種族ごと滅びるより、故郷が寂しくなっても繁栄している方がいいじゃないですか」
しかしマルレーネは気にしていないという。ジンにはその言葉が嘘には思えなかった。
「ですから、魔王様はわたくしたちをお救いくださったのです。本来ならそのご恩にわたくし自身が報いたく存じますが、代わりにユリアを迎えてくださるとのことなので、我慢いたします」
(やべ。完璧に忘れてた……)
忙しくてユリアのことは頭から完全に抜け落ちていた。ジン(素)は焦る。帰ったらどうしよう、と混乱。
「それでは失礼いたします」
「ああ」
マルレーネが引き上げようと挨拶すると、気を取られているジンは上の空で返事をした。
「そうでした」
と、そこでマルレーネは足を止めて向き直る。そして、
「魔王様の後宮に納めるべく、初情のきていない生娘百人をご用意しております。いつでもご用命ください」
爆弾を投下した。なぜ爆弾なのか。それは、丁度扉の前にジンの後宮事情を取り仕切る人物がいたからである。その名はアンネリーゼ。言わずと知れたジンの正妻だ。
「この淫乱!」
バタン、とノックもせずに扉を開け、のっしのっしとマルレーネに詰め寄る。ジンは非礼だと注意しようとするが、お怒りで手がつけられない。
「あなたの魂胆はわかっています! まず娘たちを送り込んで、次に自分もと考えているんでしょう! ですが、そうはさせませんよ! あなたの娘さんだけでおしまいです!」
「あらあら。すっかり嫌われてしまいましたね」
困ったわ、と頬に手を当てるマルレーネ。だが、まったく困っているように見えない。
「とにかく、ジン様にはこれ以上の妻は不要です!」
アンネリーゼはそう言い切り、マルレーネを追い出した。荒い息を吐くアンネリーゼ。彼女が落ち着いたところで、ジンは注意する。
「アンネリーゼ。気持ちは嬉しいが、周りに強く当たっているばかりではいけないぞ」
「申し訳ありません」
ジンにたしなめられ、気落ちするアンネリーゼ。そんな彼女を堪らなく愛しいと感じるとともに、心配していた。最近、情緒不安定になっている気がするためだ。
(ユリアはともかく、フローラや麗奈が嫁入りすることになったからな。大変なんだろう)
この世界での結婚は割とシビアである。身分が高くなるほどそれは顕著だ。女性はその背後に実家や組織を抱えている。その代表者であり、求められるのは夫に気に入られることで、そういった人々へ利益供与がなされることだ。
フローラの場合、送り先はジン。送り元はボードレール王国。求められるのは、王国ーーひいては人類の安全だ。
アンネリーゼならば、送り先はジン。送り元は吸血種。求められるのは、ジンに【選王戦】で敵対した吸血種に対する好印象を持たせること。加えて、種族の立場を維持することだ。ジンの寵愛を受け、吸血種に対する利益供与を引き出す。
ユリアの場合もアンネリーゼと似たようなものだ。麗奈はそのような柵とはまったくの無縁である。
ジンのことを信仰レベルで信頼しているアンネリーゼだが、相次ぐライバルの登場に不安がかき立てられたらしい。結果が、ちょっとのことでキレたり落ち込んだりする、情緒不安定なヒステリーゼさんの誕生であった。
(ここは安心させないと)
円満な家庭が壊れかねない。妻を支えるのは夫の役目だ。
「アンネリーゼ。いつも支えてくれてありがとう。お前が側にいるから、俺は安心できるんだ。俺の秘密は知っているだろう?」
「ジン様が、こことは違う世界から来られたということですよね?」
「そうだ。先に会ったのはマリオンやアベルの方が早いけど、側にいて、支えてくれて、真っ先に秘密を話したのはアンネリーゼだよ」
「……ですが、レイナがいます」
いじけた様に呟く。大人っぽいアンネリーゼが見せた子どもっぽい反応にジンは微笑ましくなる。
「たしかに麗奈とは、元いた世界での話とか、色々と話をするな」
「フローラとは趣味(読書)が合いますし」
「人間界と魔界の本の話で盛り上がったりするな」
「ユリアも見ていて可愛らしいんですよね。……私みたいに、周りに強く当たる女とは違って」
「ユリアはなんというか、保護欲をかき立てられる存在だな。だが、アンネリーゼーー」
ジンはこれまでのように優しい目ではなく、真剣な眼差しを向ける。彼の本気を伝えるように。その鋭い目に、アンネリーゼは引き寄せられる。視線を逸らすことも許さない。
「その三人に、俺が魔界にやってきてから間もない日々を知る者がいるか?」
「……」
「麗奈と異世界の話をするように、フローラと趣味の話で盛り上がるように、ユリアを娘のように可愛がれるように、アンネリーゼとも魔界にやってきて間もない俺との関わりを話すことができる。それは、他の三人にはできないことだ。俺はな、ぶっちゃけ四人全員を好ましく思ってる。俺にはもったいないくらい可愛い子たちだ。でもやっぱり、最初に出逢えたアンネリーゼは特別だよ。信じてほしい」
最後はやっぱり優しい目になって、安心させようと微笑みかけた。最後に悪戯っぽく、信用ならないか? との言葉を添えて。
「………………ズルイです」
やがて、アンネリーゼはポツリと漏らした。目尻に涙を浮かべつつ、
「そんな風に言われて、信じられないわけがないじゃないですかぁ」
と言ってジンに抱きついた。抱いていた不安を吐き出すかのように、アンネリーゼは嗚咽を漏らす。そんな彼女を、ジンはそっと抱きしめ続けた。
その夜。ジンとの愛を再確認したアンネリーゼは完全復活。声もいつも以上に穏やかだ。美しい肢体を包むシーツの端を弄びつつ、彼女はジンにあるお願いをした。
「こうしていると、初めての夜を思い出します」
「そうだな……」
賢者になっているジンは穏やかな声で同意する。あの日も、不安と緊張と興奮とその他もろもろによってアンネリーゼは情緒不安定だった。それをなだめすかし、本番に持って行ったのはいい思い出だ。
「あの日、私はとても幸せな気分でした。思い出しても、素敵な夜だったと思います」
そこで言葉を切り、ジンにそっと寄りかかる。穏やかな瞳でジンを見て、
「ですから、あの日と同じような幸せを、三人にも味あわせてあげてください。素敵な旦那様だと、みんなが誇れるように」
そう願った。ジンの答えは決まっている。
「任せろ」
自信満々に言った。クソ女神に対する制裁という大仕事は残っているが、内にやることが溜まっている。私的なこと(クソ女神への制裁)より、公的なこと(内政)が優先だ。だから、
「魔界へ帰ろうか」
「はい!」
ジンの声に、アンネリーゼは弾むような声で応えた。
これにて対人間戦争編は終わりです。




