狂気の代償
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インノケンティウス99世が倒れ、息子のベルトランが教皇の代理を務めることとなった。彼は早速、高位聖職者を招集。会議を開いた。議題はもちろん、魔族に対する対応である。
この会議で出された提案は三つ。
一、魔族に降伏する。
二、どこかへ逃げる。
三、この場に留まって徹底抗戦
比率としては1:5:4で、一を支持した者には敬虔な聖職者が多い。逆に二や三を支持したのは、やましいことがある者たちだった。議論は紛糾する。
「ボードレール王国は魔族に支配されましたが、国王陛下は健在。統治も厳しくないと聞いています。ここは魔族に降伏し、信者たちを守ることこそが大事ではないでしょうか?」
と、降伏論を唱える者がいれば、
「そんなもの、魔族が流したデマだ!」
「教皇猊下が国王と同じ待遇を受ける保障はない!」
逃亡派、徹底抗戦派に反対される。
「やはり、ここは一度逃げて再起を図るべきだ!」
と、逃亡を主張すれば、
「「どこへ逃げるのですか(んだ)?」」
降伏派、徹底抗戦派からツッコミを食らう。
「再び信者どもを組織して魔族を打ち倒すのだ!」
と、徹底抗戦を主張すると、
「寄せ集めの集団で何ができる?」
「もはや信者たちの心は我々から離れております」
逃亡派、降伏派から指摘される。こんな調子で会議は堂々巡りになっていた。本来まとめ役になるべきベルトランは、今まで父親の七光りで昇進してきた放蕩息子である。そんなことができる力はなかった。できることといえば、置物のようにその場にいることだけだ。
この発言にあって、重大なのは信者たちの心が教会から離れていることだ。事実、離散した民兵が故郷に帰還して何があったかを事細かに話していた。おかげで民心は離れ、教会に支援(喜捨)する人はほとんどいなくなっている。再び民兵を募れる状態ではなく、力づくでやろうにも実力部隊である聖騎士団が壊滅していてはそれもできない。徹底抗戦派の主張は、もはや意地のようなものだった。
主張から判断すると一番建設的なのは降伏派である。彼らの多くは今回の戦いに従軍司祭として同行していた者たちだ。魔王軍の強さを体感している。だからこそ降伏を勧めるのだ。魔族は棄教しろ、とは言っていないのだからと。
しかし、この場の多くの聖職者が、後方から指示を出していただけの人間だ。人間として魔族に膝を屈することはできないーーその矜持が魔族に降伏することを『論外』と断じていた。
降伏派は勢力的に劣勢。そこで彼らは一発逆転を狙い、助っ人を呼んでいた。それが部屋の端に座っていたスティードとイライアである。
「魔王軍は強大です。我ら人間よりも高い身体能力、魔力。特に魔王は当代の勇者様さえ降しました。もはや太刀打ちできません。ここは信者たちのためにも、安定を求めるべきではありませんか?」
「フェルデンでの戦いで、魔王の采配は見事じゃった。聖騎士団という軍の主柱を壊滅させ、五百万対十万という戦力差を見事に覆しおった。もはや数の差では勝てぬ。諦めい」
戦場に立ち、魔王軍の強さを肌で感じた彼らは思ったままを話して説得を試みた。だが、結果はあまりよくない。多くの聖職者は頑なに魔族と戦おうとしていた。
「ところで、ベルトラン枢機卿はどう思っているのかの?」
スティードはその頑なな態度を見て、矛先をベルトランに向けた。主戦派(逃亡派、徹底抗戦派)の説得を諦めたともいう。このままでは埒があかないので、ベルトランを切り崩そうというのだ。会議のメンバーとしてはイライアに次いで二番目に若いが、立場は父親の地位もあってナンバーワンといえる。彼が折れれば、主戦派も強くは出られない。
「む? それは、だな……」
問われたベルトランは小さな声で話し、落ち着きなく視線を左右に彷徨わせる。スティードはインノケンティウス99世と親交があるため、ベルトランが優柔不断であると知っていた。そこを突いて降伏派に優位な発言を得ようと考えたのだ。
「ベルトラン枢機卿、何も迷うことはない! 魔族は不倶戴天の敵。それ以上でもそれ以下でもない!」
「黙れ! 儂はベルトラン枢機卿に訊いておるんじゃ」
この場では最高齢のスティード。その年齢に見合うだけの経験も積んでいる。陰謀渦巻く教会上層部でのし上がった聖職者たちもなかなかのものだが、やはり外の世界で揉まれたスティードの方が迫力がある。
鋭い眼光が逡巡するベルトランを射抜く。視線の主はスティードだ。ベルトランは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。その迫力に気圧され、脂汗が浮かんだ。
(脅しはあまり褒められたことではないんじゃがな……)
教会が滅んでしまうよりはマシ、と心のなかで割り切った。スティードとしては、この脅しに屈して要求を呑んでもらうつもりだった。とにかく、降伏に向けた動きが認められる必要があるのだ。これの有無で動きやすさが変わる。
主戦派からの圧力と、降伏派からの圧力。両者の板挟みに遭った結果、
「……様々なアプローチを試みるのは、いいことではないか」
と、スティードの狙い通りに決められず、玉虫色の裁定を下した。イライアとスティードは顔を見合わせ、笑いあった。
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フェルデンの戦いで大勝利した魔王軍は隊列を組んで威風堂々と街道を行進していた。教会軍の主力部隊である聖騎士団は壊滅。軍の大半を占めていた民兵隊は逃げ散った。もはや彼らの進軍を阻む者はいない。
ジンは無駄な殺生はしない主義だ。既に大勢は決している。行く先々の町村では先ず降伏勧告を行い、これが拒否されると不干渉を要請し、それでもダメなら攻めるーーという方針を示していた。とはいえ、根こそぎ動員は民心の離反を招き、ほとんど抵抗らしい抵抗もなく占領地は拡大されていった。
魔王軍は真っ直ぐ教会の総本山を目指している。その先陣を切るのがボードレール王国軍を交えたジン率いる魔王軍本隊だった。これは人魔融合の象徴としての意味合いが強く、それをよく表すのが中央を走る四頭立ての馬車だ。オープンになっている馬車にはジン、アンネリーゼ、フローラ、麗奈の四人が乗っている。
バカンスを楽しむなどしてかなり仲を深めた四人は、馬車で歓談していた。アンネリーゼと麗奈が激しく衝突することもあるが、概ね和やかな雰囲気である。そしてその集まりの中心にいるのがジン。これを見ている本隊の将兵は、魔族も人間も関係なく仲良くせよというメッセージを感じ取っていた。
軍は隊列を組んでいても急ぐわけでもなく、のんびりと進む。全体的に弛緩した空気が流れている。だが、ゆるゆるの糸がピン、と緊張する出来事があった。
「何者だ!?」
先頭を歩くボードレール王国の騎士が、現れた騎馬の集団に誰何する。教会軍はもはやボロボロ。まともな戦力はもはや残っていないが、戦争は一応続いている。警戒は怠らない。
謎の騎馬集団が現れたことで全軍の足が止まる。それを不審に思ったジンが近くのメイド(人間)に訊ねるも、彼女もまたわからないと言う。何かのトラブルだろうか、と思ったところで先頭集団から騎士が駆けつけた。そして事の次第を告げたのである。聞いたジンたちは驚きを隠せない。
「降伏の使者、ですか?」
「はっ! 勇者様のかつての従者、イライア様とスティード様がいらしています」
その報告に、ジンたちの視線が麗奈に向く。
「えっ? 私!?」
「あなたの従者でしょう?」
「え〜。だって、もう関係ないじゃん」
勇者として召喚されたものの、ジンに負けてその役目は終わったーーというのが麗奈の認識である。アンネリーゼの指摘にも、私は関係ありません、という姿勢をアピールした。その態度にアンネリーゼの表情筋が引き攣る。彼女がキレる前にジンが口を挟んだ。
「とりあえず連れてこい」
「お願いします」
「はっ!」
ジンが要請し、フローラが命じる。ボードレール王国はジンに征服されたわけだが、命令権は王国が持っている。そのため直接命令はできず、フローラに要請して、改めて騎士に命令されるという形をとっていた。実際に王国に拒否権があるかは別の話である。
騎士はその指示に従い、また先頭へ戻っていった。ジンたちは教会が降伏を申し出ててきたことに困惑を隠せない。その意図は何か、という議論をしているうちにイライアたちが現れた。
「お久しぶりでございます、勇者様」
「久しいな、小娘」
二人はまず主である麗奈に挨拶した。それに周囲がざわつく。ジン至上主義のアンネリーゼは拳を握り、フローラが慌てる。イライアたちのように、場の上位者を無視することはとても失礼な行為だ。久しぶりに会ったのでついやってしまったのだろうが、側から見れば降伏する気があるのか? と疑いたくなる行いだ。
「二人とも、挨拶するのは私じゃないでしょ?」
麗奈もその辺りは理解しているので、半ば呆れたように二人に訂正を求めた。
「あ……。これは失礼いたしました」
イライアが謝る。スティードも倣って頭を下げた。ジンは怒るべきか悩んでいたが、その必要はなくなる。なぜなら、アンネリーゼが激怒したからだ。
「あなたたちは降伏しに来たのではなかったのですか!? 最低限の礼儀も弁えずによくここに来れましたね!」
「すみません!」
イライアたちは礼の角度をさらに深くした。そのうち額が地面に着きそうだ。
「ありがとう、アンネリーゼ。もういいよ」
彼女が激怒したお陰で、ジンは迷うことなく仲裁に入ることができた。そういう意味での感謝も込めてお礼を言う。ついでに頭もポンポンと撫でた。途端に大人しくなるアンネリーゼ。猫が甘えるように、ジンの腕にスリスリと頬ずりしている。そのギャップに呆然とするイライアたち。
「こほん。……で、挨拶は?」
麗奈が場の空気を変えようと咳払いをし、イライアたちに挨拶するように促す。
「先程は失礼いたしました。わたくしは勇者様のパーティーメンバーのひとり、イライアでございます」
「儂はスティード。この小娘(麗奈)のパーティーメンバーじゃ」
「当代の魔王、ジンである。謝罪は受け入れよう」
とジンたちが自己紹介をする一方で、
「ジン様との交流を台無しにしないでください!」
「何が『交流』よ。単にイチャイチャしてただけじゃない!」
「正妻の私がイチャイチャしていて何が悪いんですか!?」
「認めたわね!」
「ち、違います!」
「どこが違うのよ!?」
アンネリーゼと麗奈は子どものような喧嘩をしていた。あの咳払いも、場の空気を変えようとしたのは建前。実際は、目の前でイチャイチャされて嫉妬して、邪魔をしてやろうと思っての行動だった。
イライアたちは麗奈の見たことのない姿に目を丸くする。無理もない。麗奈は、彼らの前では猫を被っていたのだから。
「止めろ、二人とも」
喧嘩は互いを傷つけない限り大いに結構。そんなスタンスをとるジンだったが、人様の前でそれを許すわけにはいかなかった。時と場合を考えて行動しろ、とたしなめる。ジンの言葉で、二人も争いを止めた。不満そうではあるが。
「見苦しいところをお見せしたが……我が妻、アンネリーゼだ」
「ジン様の正妻であるアンネリーゼです。先程のことはお忘れください」
アンネリーゼは苦笑しつつ、ぺこりと頭を下げる。ただし、その視線は麗奈に注がれていた。謝ることになったのはお前のせいだ、といわんばかりに。
イラっとした麗奈だったが、ジンに怒られたばかりだったので自重する。代わりにザマァ、と精一杯馬鹿にした。アンネリーゼの表情筋が痙攣するも、ジンのことを思って耐えた。ここで世の摂理、因果応報が発動。
「麗奈も謝れ。喧嘩するのが悪いとはいわんが、TPOくらいは弁えろ」
「……ごめんなさい」
正論であるためまったく言い返す余地がなく、麗奈は謝罪した。今度はそれを見たアンネリーゼが嗤う。麗奈はムッとした。が、ここは我慢する。そんな二人を見たジンはどうしようもないな、と苦笑い。
ともあれ顔合わせは済み、本題の降伏について話が及ぶ。
「高位聖職者のおよそ一割が魔王様に降伏するつもりです。わたくしたちはその代表として参りました。勇者様もどうか、お口添えを」
「一割? 少なくない?」
麗奈からもっともな疑問が飛ぶ。これにはスティードが表情を曇らせた。
「……高位聖職者のなかには未だに降伏をよしとしない者が多い。儂らも説得を試みたが、結局、降伏を独自の動きとして認めさせるのが精一杯じゃった」
口にはしないが、スティードは自身の無力さを嘆くようだった。その心情を察したジンたちは何も言わない。とりあえず数のことはスルーして、具体的な降伏の条件について話す。
「降伏にあたってこちらが求めることはひとつ。教会の所領をすべて、ボードレール王国に吸収させることだ」
「そんな!?」
教会関係者であるイライアが悲鳴のような声を上げる。教会が保有する領地の接収ーー人間ならばまずやらないことだ。
「な、なんとか一部でも残していただけませんか?」
彼女は懇願する。このままでは教会が潰れてしまう、と。しかし、ジンの回答はノーだ。
「フローラから、そなたらの教義について少しだが習った。それによれば、聖職者は清貧を尊ぶそうではないか。にもかかわらず、巨大な所領が必要なのか?」
「それはーー」
「第二に、教義では『喜捨を以って生活の糧とする』とある。ならば、はたして所領は必要なのか?」
「……」
何事かを言い募ろうとしたイライアの言葉に被せるようにして、ジンが言葉を重ねる。事実であっただけに、イライアは閉口した。
「麗奈からも話は聞いた。それによると教皇の息子……あー、ベルトランといったかーーは、従者の介助なしには起き上がれないほどの肥満というではないか。清貧を尊ぶ聖職者がはたして肥え太るものか?」
肥え太るのである。ベルトランはーーいや、高位の聖職者は日々、山海の珍味を集めた美食を食らい、神に捧げられた美酒を飲み、神に仕える美女を抱く。本来の仕事はその他の聖職者に丸投げ。そんな生活をしていて太らない方がおかしい。彼らにとって教義など、紙に書かれたただの文字列でしかないのだ。
ゆえにジンは迫る。虚飾を排し、不正を正せと。そのための第一歩は、腐敗の温床である富の削減。その富とは、広大な教会領。まずそれをなくせ、と。
「……ですが、わたくしたちには喜捨をしてくれる方がおられません。所領がなければ飢えてしまいます!」
それでも領地は必要だ、とイライアは訴える。が、ジンからすればそれこそ因果応報であった。
「喜捨をする者がいなくなったのは、先の戦いが原因だろう。そなたたちは驕りすぎたのだ。神に仕える人間だから、何をしてもいあわけではない。神に仕える人間だから、特別なのではない。人は皆平等である。神に祈るそなたたちは、一体誰のおかげで生活できていると思っている? 食べ物を作ってくれる、獲ってくれる、運んでくれる信者ーー民がいたからであろう? それがなくなったということは、民の心が離れた証。民心が離れたのは、それを忘れていたそなたたちの驕りゆえである。それでなお、民から搾取しようなどとは笑止千万! 恥を知れッ!」
ジンが声を荒らげる。その迫力に怒気を向けられたイライアは圧倒され、アンネリーゼなど親しい者はジンが感情を露わにしたことに驚く。
しばらく間を置き、心を落ち着かせるジン。未だに怒りは心に燻っていたが、なんとか呑み込んで言葉を発した。
「……一年は食糧を支給しよう。その期間に畑を耕すなりして、自給自足できるように努めるがいい」
そこが譲歩の限界だ。一年で耕作しろというのはなかなか無理な話だが、そこは今回の戦争で働き手を失った家の畑を代わりに耕し、その報酬として生活に必要な最低限の作物を貰い受けるようにするとかなんとか、とにかく工夫しろと一蹴した。
イライアたちもジンの頑なな姿勢を見せられるともはや何も言えず、その条件を受け入れた。ここで席を立っても、待っているのは破滅である。彼らにはもう道は残されていなかった。
こうして降伏派の聖職者たちは降伏が認められた。そのことを報せるためにスティードは総本山へ戻り、イライアは人質として魔王軍の下へ留め置かれることになった。
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魔王軍は以後も順調に進軍。そしてついに総本山をその視界に収めた。
教会の総本山がある街は南北に八キロ、東西に十キロの楕円形だ。中心部にそびえるのが、街のシンボルであり教会の本部がある大聖堂。小高い丘に大理石で純白の巨大な建物が築かれている。言い伝えでは神が自らの教えを広めるために教祖へ神託を下ろした地とされていた。
街の興りは人間の都市でも最古級とされ、街並みからも歴史の深さを感じられる。例えば城壁が三重になっているが、これは人口が増えるにつれて街を拡張していった名残だ。
そんな街の前に陣取る一団がいた。当然それに注目が集まるわけだが、何の一団かを理解したところで魔王軍全体に衝撃が走った。
「……あれは、緑鬼種か?」
「もしかして……淫魔種?」
教会の旗がはためいている。その下に集うは、どういうわけか魔族だった。数は十万は下らない。そのことに魔族はもちろん、ボードレール王国の人間も困惑を隠せない。
ーーなぜここに同胞(魔族)が?
それが両者が共通に抱いた疑問だった。ジンはまず教会関係のことに詳しいフローラに訊ねる。しかし彼女は何も知らないという。ならば、とジンはイライアに訊く。彼女は言いにくそうにしていたが、隠せる話でもないとすべて正直に話した。あそこにいる魔族は、かつての戦争で囚われた。淫魔種と緑鬼種、その雑種であること。召喚魔法の生贄として使われていたことーー。
「天使様も、彼らを生贄にして召喚されたものです……」
イライアは知っていることすべてを白状した。この話に王国勢は絶句し、魔族は怒りに震えた。特に激しく憤ったのが直接的な被害を蒙った淫魔種と緑鬼種ーーではなくジンだった。
「なんということを……」
口調こそ冷静だが、彼の周囲では魔力が竜巻のように暴れている。その圧に、周囲の人間が翻弄された。距離をとったり、飛ばされまいと踏ん張っている。
「戻す手立てはないのか?」
雑種はともかく、淫魔種や緑鬼種の純血ならば元に戻せるのではないかという思いから、ジンはイライアに訊ねた。しかし、
「難しいと思います。あれをーー」
彼女が指し示すのは、街の門近くにいる黒装束の一団。
「……何者だ?」
「彼らは教会が抱える魔法使い。そのうち、儀式魔法に優れた者たちです。彼らが使っている陣は、禁呪【ソウルブレイク】。生者の魂を壊す、恐るべき魔法です」
「さらにあの一団。奴らの陣は、こちらも禁呪【マインドコントロール】。生物の思考を誘導する魔法じゃ。この二つの魔法により、あれらは思考能力を奪われ、教会の思うがままに動く。魔族の同胞からの呼びかけには応じず、死ぬまで戦い続けるじゃろう」
正気に戻すことはできない。魂が壊されているから。さすがのジンも、魂を操作できる自信はなかった。打つ手は、ない。
「外道……」
誰かが呟く。人間も魔族も関係なく、この場にいる全員が同じ気持ちだった。人倫に悖る卑劣な行為である。
「……魔族でも、同じようなことが行われていた。だが、それは余が正した。目には目を、歯には歯を。その責任において、余はこのような非道を正さねばならない」
ジンが一歩前に踏み出す。
「せめてもの慈悲だ……」
右手に宿すは高温のあまり白くなった炎。それが敵の一団に向かい、爆ぜる。爆発による煙が晴れると、熱せられた地面はガラスとなっていた。死体は燃やし尽くされ、塵ひとつ残されていない。
「……私もやるわ」
悲痛な表情を浮かべて同胞を殺すジンを見ていられなくなった麗奈が、聖剣を抜いて飛び出す。彼女に斬られた魔族はその聖光に灼かれて、こちらも塵ひとつ残さず消滅する。
「ジン様……」
「……」
アンネリーゼとフローラを筆頭に、魔王軍は二人の戦いを見守る。戦いに加わらないのは、彼らにはジンが望むように塵ひとつ残さず消滅させられることができないからだ。もちろん危うくなれば介入するが、二人に限ってその心配はない。見守ることしかできず、二人は忸怩たる思いを抱いていた。
「あっ……」
「どうしたの、フローラ?」
「あれを」
フローラが見据える先では、馬車が複数台、南へ向けて爆走していた。見るからに怪しい集団だ。アンネリーゼの決断は早かった。
「キタサン! あれを追って!」
「承知した!」
臨検すべく、足の速い馬魔種を向かわせる。やや遅れて、
「皆さんも、追ってください」
「はっ!」
フローラも騎士たちに命令する。彼らにもできることが見つかった。やきもきしていた彼らはその鬱憤を晴らさん、と普段なら片手間にやる馬車の追撃と臨検に全霊で取り組んだ。
鬼気迫る勢いで追ってくる魔族と騎士に、馬車も必死で逃げた。が、程なく御用になる。中に誰が乗っていたのかというと、逃亡派の聖職者たちだった。フローラの大手柄である。
こうなったら反魔族派を一網打尽にしてやる、とアンネリーゼ捕らえた逃亡派の聖職者たちを訊問。結果、街の前で抵抗している連中が徹底抗戦派の聖職者だということを訊き出した。
やる気が出たアンネリーゼたちは、一丸となって徹底抗戦派の聖職者たちを捕らえん、と突貫。最後の砦であった魔族が蹂躙されて慌てふためく彼らをあっさりと壊滅させ、抵抗勢力を排除した。
「お手柄だ、二人とも」
「ありがとうございます」
操られた魔族の討滅を終えたジンが事の顛末を聞き、二人を褒めた。フローラは微笑みながら応える。一方のアンネリーゼはというと、
「私はジン様の正妻ですから。剣を振り回すことしかできない脳筋女とは違います」
「なんですって!?」
「何よ!?」
わざわざ麗奈を煽るような発言をし、喧嘩を始める。ジンはやれやれ、と苦笑い。
「麗奈も戦ってくれたおかげで楽になった。ありがとう」
彼女の行動が無駄ではなかったと示そうと褒めても、
「ほら見なさい」
と調子に乗る。それにアンネリーゼが噛みつき、再び喧嘩の炎が燃え上がる。もうどうにでもなれ、とジンは匙を投げた。
彼女たち以外にも、活躍したキタサンたち馬魔種や騎士たちも褒める。褒美も渡すことにした。だがそれでめでてしめでたし、とはならない。
信賞必罰。
その概念に基づけば、今回の戦争で明らかになった教会の暗部は目に余るものがあった。ジンはイライアとの約束通り、教会の所領を没収。ボードレール王国に与え、聖職者たちには労働を命じる。教義に基づき清貧を尊べ、と訓戒を与える。そして、
「ーー【原爆】」
今までは幻術で再現されるに留まっていた破滅の魔法が、ついに本来の形で解き放たれた。
住民を退去させ、ジンは魔法を使う。魔法は大聖堂の直上で発動。莫大な魔力の奔流が街を呑み込み、破壊の限りを尽くす。爆心地を中心に、街は瓦礫の山に変わる。教会の発展と共にあった街は、その凋落とともに滅びたのだった。それは、あまりに大きすぎる代償であった。
一連の光景を、街の住民と聖職者、魔王軍が見守る。隔絶したジンの力に彼らは恐怖し、主戦派の聖職者たちは己の愚行を後悔した。
「人間よ、魔族よ、これを以って戒めとせよ」
ジンのその言葉で、永きにわたって続いていた人間と魔族の戦争は、魔族の勝利で終わりを告げた。
【補足】
ジンが使っている【原爆】の魔法は、地球のように核分裂反応を起こしているものではありません。その効果などから原爆といっていますが、実際に破壊を引き起こしているのは魔力です。
次回はエピローグ的な話を投稿して、この章は完結となります




