I shall return
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天使を倒し、女神の居場所を知る手がかりを掴んだジンたち。王都にいるマルレーネに、記憶を探って突き止めた特徴と合致する島の調査を命じた。しかし、それ以外は何もせずにバカンスを楽しむ。
(ま、これが終わるとろくに休めないだろうし)
ジンは胸中で独白する。
このバカンスはあくまでも嵐の前の静けさ、というべきものだ。当然、これ以後は怒涛の日々を送るのだろう。それを乗り切るための鋭気を養っておくのだ。
そう決めたジンは、このバカンスを満喫しようと積極的に行動した。初日は水遊びをしたので二日目は一転、山へと繰り出す。
「ジン様! そちらに!」
「おうっ!」
アンネリーゼに促され、ジンは大きな声で返事をする。そして手にする弓に矢を番え、逃げる獲物に向けて放つ。
ーーブヒィッ!
矢は見事に命中し、断末魔の声を上げて倒れるイノシシ。
「お見事です!」
側に控えるフローラがジンを称える。魔法を使えば早いが、それでは風情がない。というわけで弓矢を使用していた。
ジンのスペックは非常に高い。前世ではまず経験することのない弓矢。このおかげで弓の腕は達人級であった。
「よし、私も!」
前世のジンがただの一般人であることを知っている麗奈は対抗意識を燃やし、獲物を仕留めようと意気込む。
「レイナ様!」
狩りに同行していた兵士が獲物を追い立てる。ウサギのような動物が茂みから飛び出した。
麗奈はそれを狙い撃つも外してしまった。さらに、
ーーピィッ!
逃した獲物に別の矢が刺さる。矢が誰のものか識別するため、矢羽にはそれぞれ異なる意匠が施されている。ウサギに刺さった矢のそれは、
「ふふん」
と、自慢げに鼻を鳴らすアンネリーゼのものであった。
身体が別のものになってしまったジンに対して、麗奈は前世の身体そのままに転移してきた。よって体力などフィジカル面はレベル成長により高まっているが、テクニック系は生来のまま。要は、弓矢の才能はなかったということになる。
「上手いな、アンネリーゼ」
「淑女の嗜みです」
クールに答えたアンネリーゼだったが、ジンに褒められて嬉しいのか満面の笑みを浮かべている。
一方、麗奈に対してはドヤ顔を向けている。その対応の違いに、麗奈の神経は逆撫でされた。
さらに、
「殿下、あちらに立派なシカがおりますぞ」
「本当ですね。ジン様、いかがですか?」
「キースはフローラに射って欲しいのだろう。ここで余が出しゃばるのは悪い。まずはそなたが射かけるといい」
「わかりました。上手くないので、あまり期待しないでくださいね?」
ジンに促されたフローラは自分の弓を持ち、シカを射る。
ーーキューッ!
矢は吸い込まれるようにシカの後頭部を貫通した。
「お見事!」
「さすが殿下!」
周りにいた兵士たちがフローラを賞賛する。その声は、ジンたちのときに比べて大きい。自国の姫が活躍してくれると嬉しいようだ。
「世の中不公平じゃない?」
麗奈はボソッと呟く。『あまり上手くない』とフローラは言ったが、謙遜しすぎだと。むしろ上手いじゃん、と思ってしまう。
『キュイ、キュイ!』
極めつけはティアマトだった。
この幼竜は、ジンたちが狩場に着くやどこかへ飛び去っていった。それ自体はいつものことなので誰も気に留めなかったのだが、帰ってきたときには大きなシカをぶら下げていたのだ。
「凄え」
「あんな小さいのによく持てるな」
「さすがドラゴン……」
などとお付きの兵士、使用人は感心している。
「よく獲ってきたな。偉いぞ」
『キュ〜』
ジンが褒めると、ティアマトは嬉しそうに鳴く。甘えているように聞こえなくもない。
「ほんと、世の中って不公平……」
最後に麗奈はもう一度、この世の不条理を呪うのだった。
結局、この日の狩りでただひとりボウズだった麗奈。その他の参加者をランキングにしたなら、
一番はジン。イノシシ二頭、ウサギ一羽、シカ一頭に鳥五羽というダントツの成果だった。
二番はフローラ。ウサギ三羽にシカ一頭である。
三番にアンネリーゼ。ウサギ一羽、鳥二羽と数こそ少ないが、いずれも獲物が小さく、確かな技術がなければ得られない成果だ。獲物の数的にはフローラに負けるが、内容は彼女に軍配が上がる。どちらが上位かは判断に迷うところだ。
四番はティアマト。勇者(麗奈)はドラゴンに負けた。
獲った獲物は【ボックス】の魔法で保存する。これなら時間も止まり、品質が落ちないからだ。
ただ、イノシシの一部は解体されて夜に鍋にして出された。ジンがプロデュースしたぼたん鍋(猪鍋)である。味つけはすき焼き調。生卵につけていただく。
「ん〜っ。美味しい!」
麗奈は久しぶりの日本料理に飛びつく。悪いことはたくさん食べて忘れようーーというやけ食いの面も否定はできなかったが。
「一匹も獲れなかった人は食べないでください」
「何よ!」
「何か文句でも?」
「ぐぬぬ……」
アンネリーゼに揶揄われ、麗奈は受けて立つ。
二人が仲良く(?)喧嘩するその横で、フローラがジンの世話をしていた。
「どうぞ」
「ありがとう」
鍋をよそった器を渡す。それを食べたジンは、我ながらいい出来だと褒めた。ブタとは違い硬質な猪肉の食感も面白い。
「私どもの分まで、ありがとうございます」
キースは魔王が料理を手作りしてくれたことに恐縮していた。それにぼたん鍋はとても美味しくできており、料理の腕前にも感心している。
「構わんさ。自炊は旅で慣れていたからな。久しぶりにやったが、上手くできてよかったよ」
前世、一人暮らしをしていたころには食費を浮かすために自炊をしていた。その経験が活きたといえる。
「旅、ですか?」
「ああ。そもそも魔王というのはなーー」
魔王に自炊の経験があることを訝しんだキースに、血筋ではなく【選王戦】で魔王が決められることを話す。
二人の話に興味を持った兵士が加わり、同じ理由でメイドも参加。身分を問わず車座になって話し込む。
数の関係から人間が魔族の風習について質問し、ジンがそれに答えるのが基本。ジンが人間の風習を訊ねる場面もあった。たまにフローラも入り、かなり仲良くなる。
このぼたん鍋パーティーをきっかけに、ジンとキースたち使用人は仲良くなる。
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狩りでは不完全燃焼だった麗奈だったが、三日目の釣りでは汚名返上することとなった。
「またきたっ!」
強い力で引かれる。竿が大きくしなった。麗奈はその力に任せて引く。カツオの一本釣りのように、魚が宙を舞った。
釣り上げたのはマスに似た魚。大きさは一メートル弱くらいだろうか。白銀に輝く姿が美しい。
「これは立派なマスだ!」
「こんな大きなものを次々と!」
「さすが勇者様ですね!」
兵士たちもワイワイと騒いでいる。
彼らの発言にあったように、麗奈は一メートル前後の巨大マスを次々と釣り上げていた。
普通は五十センチもあれば大型だ。その倍もあろうかというものを、入れ食い状態で釣ってしまうのだから凄い。
麗奈はアンネリーゼを見やる。視線に気づいたアンネリーゼはぷい、とそっぽを向いた。昨日とは違い、今度は彼女がボウズになっていたからだ。
「あっ!」
ちょいちょい、と竿の先が揺れる。それを見たアンネリーゼは竿を引く。が、その先の針には何もついていない。
「ぷっ」
「……」
麗奈は小馬鹿にしたように笑い、アンネリーゼがそれを恨みがましく見る。しかし、彼女が昨日やったことの裏返しであるから非難はできない。
エサ(雑食性の魚を狙っているため練り餌を使用)をつけて投げ入れる。そして竿の先が揺れるのを見て引く。エサがなくなっている。またエサをつけるーーその繰り返しだった。
アンネリーゼと麗奈の二人が釣果を競い合う一方、ジンとフローラは互いに協力しあっていた。
「また釣れました」
フローラは隣にいるジンに釣り上げた魚を見せる。アユに似た二十センチほどの魚だ。
「おお、いいサイズじゃないか。塩焼きにすれば美味いだろうな」
「楽しみですね」
そう言って笑いあう二人。
このように立派なサイズの魚が釣れればいいのだが、メダカのような小さい魚が釣れることも度々あった。それに目をつけたジンが、活き餌として引き受けているのである。
「おっ、かかったな」
ジンの竿が大きくしなる。活き餌に食いつくくらいだから、サイズも大きい。その分、引きも強いのだ。
一分ほどの格闘を経て、遂にジンが獲物を釣り上げる。地上でビチビチと暴れる魚はマス。大きさはおよそ四十センチ。サイズはまあまあといったところだ。
ジンは似たようなサイズのマスを次々と釣っていた。倍くらいの大きさのマスをポンポン釣っている麗奈と比べると、いささかインパクトに欠ける。
「……ふむ」
しばし考え込むと、ジンは釣ったマスを再び水中に戻す。周りは彼が何をしたいのかさっぱりわからなかった。せっかく釣った魚を逃すなんて……と。
ところが、ジンの持つ竿に変化が起こる。突如、竿が明後日の方向へと引っ張られたのだ。
「食った!」
瞬間、ジンは逆方向へと竿を振る。マスを釣ったときとは比べ物にならないほどの強い引きだった。
「「「あっ!?」」」
そして、ついてきた兵士や使用人は見た。
ーーバチャン!
と、水面を跳ねた巨大な魚を。その抵抗は激しく、格闘は三十分を超す。
ジンの様子を、誰もが固唾を飲んで見守る。ギャース、ギャースと喧嘩していた二人も、それを中断してジンを見守る。
そして、そのときはきた。
「よい、しょっ!」
ジンが釣った獲物が岸に到達する。見えた魚影から引き上げるのは困難だと判断し、岸から上げることにしたのだ。兵士たちが回収に向かう。そして、
「ヒイッ!」
「さ、サメだ!」
慌てて逃げ帰ってきた。
釣り上げられたサメのような魚。岸でバチャバチャと盛んに水飛沫を上げ、激しく暴れている。体長は五メートルほどで、威圧感が半端ない。
自分が釣った獲物を見ようと、ジンはサメ(?)に近寄っていく。これにアンネリーゼたちは慌てた。
「ジン様! 危険です!」
注意喚起するが、ジンは気にせず近寄る。そしてクルッとサメを反転させた。
途端に大人しくなるサメ。実に鮮やかな手並みである。
「「「……」」」
見ていた者たちは押し黙った。
「チョウザメに似ているな……」
サメに似たフォルム。だがここが淡水湖であることと、触ったときの固いーー軟骨魚類にはありえないーー感触から、ジンはこのサメが淡水に棲むチョウザメだと推測した。
おもむろに腹に触れるジン。ふにょふにょしている。
(これは……期待できそうだ)
ジンは内心ほくそ笑んだ。すぐさま〆て【ボックス】へ仕舞う。
その後も釣りは続けられたが、結局アンネリーゼは一匹も釣ることができなかった。逆に麗奈は百匹を超す魚が釣れてウハウハである。
「ねえ、昨日は見下してた相手に負けるって、今どんな気持ち? ねえ、どんな気持ち?」
「くう……っ!」
煽る麗奈に耐えるアンネリーゼ。昨日とは逆の構図になった。人はこれを因果応報という。
『キュイ』
ティアマトも湖に飛び込んで魚を獲っていた。高空から水面に突っ込むその姿はカツオドリのよう。この漁法で七匹の魚を獲っている。
日が暮れたのを合図に釣りは終わりとなった。
この日一番成果を挙げたのは麗奈。五十センチ以上の大きなマスを三十匹、二十センチほどのアユを二十匹、その他の雑多な魚は数えきれず。文句なしの一等賞だ。
次点はフローラ。こちらはアユを中心に三十匹ほど釣った。数では負けるが質では負けていない。
三番手はジン。五十センチ前後のマスを五匹と、五メートルほどのチョウザメ三匹。大きさ的にはダントツの勝利だ。
夜。焚き火を熾して釣った魚を焼く。魚を木の棒に刺し、塩をたっぷり振って、火からは少し離す。遠赤外線でじっくりと焼くのだ。表面に焦げ目がつき、脂が滴り始めると出来上がり。それにかぶりつく。
「美味い!」
「ほんと、美味しいわね!」
元庶民のジンと麗奈。串に刺したものを直接食べることに抵抗はない。
「……(はむっ)」
育ちのいいアンネリーゼは躊躇するも、ジンが美味しそうに食べているのを見て、意を決してかじる。
「美味しいです」
その味ににっこり笑顔になった。脂と塩味が絶妙にマッチしている。
「そうか。よかったな、アンネリーゼ」
「はい」
ジンに微笑まれてご機嫌になるアンネリーゼ。
「あ、それ私が釣った魚」
「……」
麗奈の指摘を受けてご機嫌ナナメになるアンネリーゼ。
この世のどの食べ物よりも美味しく感じた魚の塩焼き、今は世界一不味く感じる不思議。お魚さんは悪くない。麗奈が悪い。ーー胸中でアンネリーゼはそう結論づけた。
「美味しいですか?」
「ええ」
横にいたフローラがおずおずと訊ねてくる。彼女もまた、育ちのよさから『かじりつく』という行為に拒否感を抱いている人物だ。
同じ価値観を持っているらしいアンネリーゼが肯定した。ならわたしもーーとはならない。アンネリーゼのように、ジンがやったことだからと従来の価値観を易々と壊せないからだ。
躊躇するフローラ。串に刺さった魚と対面。口を開けていざ食べーーやっぱやめよう。いやでもーーやっぱり無理。何度も食べようとしては止めるという行動を繰り返していた。
そんな彼女を見かねたのか、手に持つ串がひょいと没収される。
「あっ」
犯人はジン。フローラの視線は、没収された串に釘づけだ。
「冷めると美味しくなくなるからな。抵抗があるなら、これを食べるといい」
ジンは皿を出す。その上に乗っているのはマスの塩焼き。半身のものだ。これならナイフとフォークが使えて、彼女にも食べやすい。
「あの、ごめんなさい」
わざわざ加工する手間をかけさせたことに申し訳ない気持ちになるフローラ。ジンは気にするなと笑った。
「気にするな。人間、受けつけられないことのひとつや二つあるものさ」
「ありがとうございます」
フローラはお礼を言ってから、半身を一口大に切り分けて食べる。ほろほろと身が崩れ、淡白な身を皮目についた塩が引き立てていて美味だ。ソースなどで飾られた味ではなく、シンプルな味付けゆえの自然の味である。
「美味しいですね」
「それはよかった。これはどうだ?」
ジンが差し出したのは小瓶と小さなスプーン。中には黒光りする粒が入っていた。
「これは……卵、ですか?」
「ああ。あのサメみたいな魚の卵だ」
チョウザメの卵ーーいわゆるキャビアだ。言わずと知れた高級食材である。
フローラは見たこともない食材をおっかなびっくりで食べる。ほのかな塩味と魚卵の旨味が口の中に広がった。
「美味しいです!」
顔を綻ばせるフローラ。その声にアンネリーゼや麗奈が反応して寄ってきた。
「何が美味しいんですか?」
「これだよ」
アンネリーゼに小瓶を見せる。彼女は疑問を浮かべていたが、麗奈はすぐにその正体に気づいた。
「もしかしてキャビア!?」
「ああ」
ジンが肯定すると、麗奈はスプーンで小瓶に入ったキャビアを大量にすくい取って食べた。
アンネリーゼもそれに倣ってキャビアを口にし、その美味しさに目を見開く。
「さすが高級食材ね」
「この味、食事の前菜に合いそうです」
麗奈はその美味しさばかりに注目したが、アンネリーゼはその他の用途について検討を加えていた。気質の違いというやつだろう。
前日からの流れで、ジンは兵士や使用人たちと飲食を通して交流する。そこに魔族や人間だと区別する者はおらず、ジンが目指す理想があった。
こうして三日目も過ぎていくーー。
四日目はヴェシュリーンの街を観光し、夜にはジンたちが獲った山の幸、川の幸を使ったパーティーが開かれた。
招待したのは街の有力者と、兵士や使用人。警備はジンが召喚したスケルトンたちが行っている。給仕については、使用人たちが交代して行うことで決着がついた。
それはお世話になった街の人々への感謝の宴であり、人間との戦争が最終局面に入るにあたっての決起会であった。
ジンも羽目を外し、大いに飲み食いした。また、準備にあたっては料理の監修も行なっている。その甲斐あって、ジンが監修した料理は好評だった。
そして五日目。遂にこのヴェシュリーンを離れる日がきた。見送りは離宮の使用人、街の有力者などパーティーに招いた人々だ。
ジンは彼らの代表としてキースに声をかける。
「素晴らしい日々を送ることができた。これも、そなたらのおかげだ。礼を言う」
「勿体ないお言葉でございます」
「褒美はもちろん与えるが、最後にひとつ、余の頼みを聞いてくれるか?」
「何なりと」
「ではーーここが大変気に入った。落ち着いたら、また遊びにきたい。それまでここの管理をしてほしいのだ」
「ははっ。ご満足頂けるよう、離宮の管理に我ら一同、心を一にして勉めます」
「よろしく頼むぞ」
こうしてジンたち一行はヴェシュリーンでのバカンスを終え、王都シャルルへと帰還したのだった。




