天使襲来
イチロー選手が引退……。巨人戦で見せたレーザービームなど、守備ではまだまだ現役なのに、惜しいことです。
私は第2回WBC、10回表の決勝打が強く印象に残っていますが、みなさんは如何ですか? 改めて彼の足跡を辿り、その偉大さを再確認しました。
イチロー選手、28年間お疲れ様でした。
ーーーーーー
突如として現れた強大な魔力反応。ジン、アンネリーゼ、麗奈の三人は揃って東の空を睨む。
「え? 皆さんどうなされたのですか?」
戦闘は専門外な人たちは三人の変化についていけない。代表してフローラが訊ねる。それに答えたのは麗奈。
「遠くから微かに、でも大きな魔力を感じたわ。そしてそれは、東の方から私たちの方に近づいている……」
「そんなっ!?」
フローラは悲鳴を上げた。ヴェシュリーンの東ーーそこからやってくるのは教会に所属する存在と考えて間違いない。つまり、教会はあくまでも魔族と敵対する道を選んだということだ。
再び戦争になると思い、フローラは打ちひしがれる。自分たちがやってきたことを否定された気がした。徒らに戦火を拡大しないように反対派をねじ伏せてまで降伏したのに、これではすべてが水の泡だ。
「ああ、民が……」
王族としての教育を受けた彼女は、自分たちは民に養われる代わりに、いざとなれば身を挺して彼らを守らなければならないーーそう教えられた。それに従い、麗奈を拉致されて敗北が決定的となると、フローラは自らを魔王に差し出して降伏した。すべては民のために。
それが、教会の抗戦によって無駄になろうとしている。彼らは魔族はもちろん、降伏した自分たちも許さないであろう。もはや同じ『人』としては扱われない。魔族に味方した『悪魔』と言われ、蔑まれる。皆殺しというわけではなかろうが、家畜に等しい扱いを受けるに違いない。
一方、ジンはとても慈悲深い人物だ。王国に対しても善政を敷いている。悪事を働く魔族については人間よりも厳しく接していた。魔族と教会ーーどちらに味方すべきかは火を見るより明らか。フローラはどちらにつくかを決めた。
「ーー来たな」
フローラが決意を固めたのとほぼ同時にそれは現れた。
天翔ける人。トガに似て全体的にゆったりとした服を着て、背中には白い翼が生えている。周囲にはキラキラと仄かに燐光が舞い、頭上には輪が載っていた。
「……天使様?」
フローラが呟く。そう。彼女が言ったように天使であった。絵画に描かれた姿そのものである。立派な白ヒゲを蓄え、彫りの深い顔立ちの渋いナイスガイだ。
「巨大な魔力を追ってきてみれば、なるほど。魔族が二人に勇者までおるか。カカッ! 面白い」
天上から見下ろす天使。そんな彼にアンネリーゼは、
「【グラビティ】」
と魔法を唱える。
「ぐわっ!」
天使は地に落ちた。猛烈な重力が彼を地上に磔にする。
「ジン様を見下ろすとは不敬な」
アンネリーゼは怒りを露わにした。冷たい目で天使を見下ろしている。
「ぐっ。舐めるなよ、汚らわしい魔族の分際で……ッ!」
天使が怒りの咆哮を上げる。莫大な魔力が噴き出すが、アンネリーゼはそれ以上に出して拘束を緩めない。メリメリ、と地面にめり込んでいく。
「ば、バカなァッ!」
抗えないことに驚愕する天使。最初はバカにしていたが、今は必死だ。全力で抗っている。しかし、アンネリーゼの魔法からは逃れられない。
(なぜだ!? なぜ、このような強力な魔法を使える!?)
天使は狼狽する。必死に足掻く一方、何が起こっているのかを考える。
(我は天使だぞ!? 我を上回るのは神のみのはず! なのに!?)
しかし、考えれば考えるほど謎は深まるばかり。魔族が天使を圧倒していることが、既に彼の常識の埒外にあった。
そもそも天使とは何か? 天使とは、神が自らを補佐させるために生み出した存在だ。この世界を管理する神が『うわー、働くの面倒くさいわー』と思い、地上における代理者として創られたのが始まりである。
神とは絶対の存在。神の意志は必ず実現させなければならない。でなければ、神の沽券にかかわる。よって、天使は地上における最強の存在だ。いかなる存在も、その絶大な力によってねじ伏せ、従わせる。同じく神の祝福を受けた神竜とともに、地上に秩序をもたらす存在だとされていた。
(我に勝てるのは神のみ。だがーー)
それでは魔族であるアンネリーゼが天使を圧倒していることの説明がつかない。天使を倒し得る例外として神の祝福を受けた存在がある。具体的には勇者だ。
しかし、神の祝福を受ける存在は魔族には現れない。なぜなら、魔族は神の支配を否定して、その枠から逸脱した種族だからだ。にもかかわらず、天使である自分を圧倒するしている。考えられるのは、魔族の女に神性があるということ。
天使はなんとか顔だけ起こし、アンネリーゼを見る。そんなバカなと思っていたのだが、現実は非情だ。アンネリーゼの身体の表面に漂うほのかな燐光ーー天使と同じそれは、たしかに神性。神の恩寵を受けし証だ。
「なぜ……なぜだ!?」
「あなたが弱いからです」
絶叫する天使に、アンネリーゼは冷たく返す。会話が噛み合っていない。彼女は天使の心のうちを知らないのだから当然だ。知りたくもないだろう。ジンを愚弄する愚か者には死あるのみーーそれが彼女の考えだ。
(どうしましょう……?)
アンネリーゼは思考する。その脳裏には幾通りもの処刑法が浮かんでいた。
重力を高めてこのまま地面のシミにするもよし。身体を切り刻むもよし。水をほんの少しずつ生み出して溺死させ、そ恐怖する姿を眺めるのも悪くない。逆に、業火で一瞬にして灰すら残さず焼き尽くすという手もある。
いずれの処刑方法でも、アンネリーゼはワクワクしてしまう。
「「「……」」」
そんな彼女の様子に、他の三人は少し引いていた。
「ちょ、あいつヤバイって」
麗奈が訴えれば、
「弁護できない……」
とジンが同意する。さすがの彼も、敵を笑いながら嬲る妻にはどん引きしていた。ボンテージにハイヒールブーツ、鞭でも持たせれば完璧な女王様だ。
戦慄する二人に対し、この世界出身であるフローラは違う感想を抱いていた。
「あの……ジン様。一応、天使様は神の御使いとされているのですが、このままでよろしいんでしょうか?」
敵ではあるが、それでも神の代理だ。最低限の敬意は払うべきではないかと主張する。しかし、ジンは首を横に振った。
「たしかに敬意は払うべきだろう。だが、それは相手も同じであればこそだ」
ハンムラビ法典に曰く、『目には目を歯には歯を』。同様に、『礼儀には礼儀を、悪意には悪意を』の精神である。その点、アンネリーゼの対応は正しい。
「敵対するご意思はなかったようですが……」
「いや、あったさ」
「え? どこに?」
「最初からね。あれ、魔力を高めてた」
ジンの説明を麗奈が引き継ぐ。魔力を高めることは攻撃の予備動作にあたる。剣なら鞘から抜いた状態だ。攻撃の意思ありと見なされても文句は言えない。天使のそれは隠蔽されていたが、三人には通用しなかった。
「ところでフローラ。天使って神様が生み出した存在ーーで間違いないわよね?」
「はい。そうですが……?」
この世界を知るために読んだ本のなかで出てきた天使についての定義を確認する麗奈。フローラは王女として、この世界では最高の教育を受けている。念のための確認だ。
間違いないことを確認した麗奈は、ジンにそっと耳打ちする。それを受けたジンもまた頷き、アンネリーゼに近寄った。
「俺がやる」
「……はい」
アンネリーゼはジンが出るまでもないとか何とか、色々言いたそうではあった。しかし、それらの言葉を呑み込み、任せる。すべては彼の御心のままに。
【グラビティ】の魔法が解けると、天使はこれ幸いとふらふらと飛び上がる。そして再び地上を睥睨する位置に戻り、
「ふん。汚らわしい魔族にしては殊勝な輩ではないか」
などと体面を取り繕う。ジンに対する暴言に、アンネリーゼの怒りのボルテージは瞬く間にマックスになる。しかしそれは、ジンが抱きしめることによって鎮まった。すりすりと甘えるアンネリーゼ。その顔は、世界中の幸せを集めてきたかのよう。
「ジン様、大好きです」
「俺もだよ、アンネリーゼ」
「ふん。下賎な輩が……」
睦み合う二人に怨嗟の声を上げる天使。側から見れば、リア充を妬む非リア充である。
早々に小物感が漂ってきた天使に対して、ジンが視線を向けた。
「なッ!?」
そして天使は驚きに目を見開く。ジンの周囲に渦巻く膨大な魔力。それにキラキラと輝く燐光が交じっている。その輝きは先ほど見たアンネリーゼのものよりも、自身のそれよりも強い。それはまるでーー、
(神、そのもの……ッ!)
なぜ魔族に神性が備わっているのか、しかもそれが神に匹敵するのはなぜなのか。色々と訊きたいことがある。だが、天使がまずすべきは自身の命を守ること。端的にいえば逃走だ。
天使、回れ右。そして脇目も振らずに全速飛行。
(グハハハッ! あの魔法には驚かされたが、飛んで逃げる我には追いつけまい!)
などとすっかり安心していたのだが、
「逃げるな」
ジンが【グラビティ】を発動。天使は再び地に落ちた。天使を中心に、地面がクレーター状に抉れる。猛烈な重力は天使の全力をもってしても、手足を動かすことすら許さない。魔法を使おうにも集中できずに不発に終わっていた。
ーーコツ、コツ、コツ
ゆっくりと歩み寄ってくるジンを、天使はただ見ることしかできない。近くに来たジンは、先ほどの意趣返しのように高くから天使を睥睨する。
「くっ……」
屈辱に天使の顔が歪む。唇を噛み、その力が強すぎたあまりに口が切れた。
「さて、お前には訊きたいことがある」
そのままの体勢でジンは話を切り出す。ふっ、と天使は嗤った。
「礼儀も、なってない、ようだな……。ものを頼む、ときには、それなりのォッ!」
天使は最後まで言い続けられなかった。ジンが【グラビティ】を強めたためだ。
「勘違いするな。礼儀というものは対等な関係においてはじめて成立する。余と貴様ではそこに天と地ほどの差があると思え」
「ぬぐぅッ!」
天使の顔が怒りで赤くなる。力任せに魔法から逃れようにも、アンネリーゼから逃れられなかったのだ。彼女を上回るジンのそれから逃れられるはずもない。
「天使。神はどこにいる?」
ジンは珍しく強硬に訊く。が、それも無理からぬことだ。麗奈に耳打ちされた内容ーーそれは『天使なら神の居場所を知ってるんじゃない?』というものだった。たしかに、天使が神に創造されたのならその居場所を知っている可能性が高い。訊問して聞き出そう、という考えだ。
「知らない」
天使は知らないと答えた。知っていても言えるはずもない。それはジンも百も承知。問題はここからどう吐かせるかだ。方針としてはアンネリーゼと同じ。脅して吐かせる。拷問するという手もあるが、ジンにはもっと手っ取り早い方法があった。
「【幻爆】」
発動する終末の魔法。天使の脳裏に、彼を中心とした破壊の嵐が吹き荒れる光景が映し出される。
生み出された超高温は湖の水を瞬時に蒸発させ、体積が千倍以上に膨張したことによって起こる水蒸気爆発が、破壊の規模をより拡大した。
天使の身体を衝撃が襲う。灼熱が焼く。それらが済むと、今度は放射線という死の光線が残る。天使の身体を貫き、その構成要素を破壊していく。それからさほど時間も経たないうちに、天使の意識は暗転したーー。
「はっ!?」
わずかな時間で臨死体験をした天使は飛び起きて、己の手足を確認する。異常はない。すべて幻覚なのだから当たり前の話ではあるが。
「今のは、夢か……?」
「残念ながら現実だな」
天使の声に応えたのはジン。瞬間、天使は自分がどのような状況に置かれていたのかを思い出す。
(我はこの魔族に虚仮にされていたのだ!)
心の奥底から暗い感情が沸々と湧き出てくるが、敵わないとわかっている。天使にできるのは心のなかで恨み言を吐くことだけだ。
(とにかく逃げなければ!)
自分を拘束していた魔法が解かれていることに気づいた天使は再び逃亡を試みる。しかし、ジンがそう易々と逃すはずもない。
「【グラビティ】」
「ぐわっ!」
三度、天使は【グラビティ】に拘束される。創造主たる神は、天使に『学習』という機能をつけ忘れたらしい。
【幻爆】を使ったことで脅しは十分。ジンは再び天使に問うた。すなわち、
「神はどこだ?」
と。
「……」
天使は黙して答えない。だが、その身体は小刻みに震えていた。頭からは【幻爆】で見せられた光景が離れない。
(あ、あんな魔法があるとは……。あれは、あれだけは使わせてはいけない。この世に絶滅をもたらす死の魔法は……ッ!)
思い出すだけで恐怖に震える。さりとて神の居場所を教えるわけにもいかない。天使にできることは、黙って耐えることだけだ。
「強情ですね……。ジン様。ここからは私が」
「私もやるわ」
アンネリーゼ、そして麗奈が代行を名乗り出る。アンネリーゼはこれ以上ジンの手を煩わせないために。麗奈は、一刻も早く神(特に自分を異世界に飛ばしたクソ女神)の居場所を突き止めるために。目的は異なれど、やることは一緒。ゆえにこの二人としては珍しく、自主的に共闘した。
「必要ない」
やる気満々の二人をジンは制止した。彼も、天使が【幻爆】を見てもなお神の居場所を吐かないのを見て、いくら拷問しても聞き出せないことを察していた。なので方針転換。魔法で直接記憶を探る。
(元々、天使の物言いにムカついたのがきっかけだしな……)
などと言いつつ、天使の頭に触れる。そして、
「【読取】」
記憶を読み取る魔法を使った。ジンの脳裏に、天使が持つ神の居場所についての記憶が浮かぶ。
(これは……島? まるでアマゾンだな)
最初、島を遠望したような光景が映る。木々が生い茂り、黒に近い緑になっていた。その光景はアマゾンさながら。島の中心には富士山のような山がそびえている。山の周囲にはドラゴンや天使が乱舞していた。
(これは……骨が折れるぞ)
ジンはこの守りを突破する苦労を思い、げんなりとする。これが教会の教えを受けた者ーー例えばフローラーーなら、天使とドラゴンという地上世界の秩序を司る存在が共存する島ーーそれこそ神の居場所に相応しい、と考えたはずだ。
山に近づいたところで視点が切り替わる。密林を鳥瞰したような景色だ。おそらく、天使が島の上空を飛んでいたときのものだろう。そうしてわかったことは、密林の間を縫うようにして川が流れているということ。それだけなら島を特定する要因にはなり得なかったのだが、
(ーーあれは?)
ジンは気づく。川の付近に点在する、竪穴住居のようなもの。それがいくつも集まり、人が住んでいる。それも、ただの人ではない。獣の耳や尻尾を生やした獣人だ。犬系、猫系など、その種類は多い。
(なるほど。これは有力な手がかりだ)
ジンはほくそ笑む。この島では獣人が暮らしている。地形などに加えて主要な人種などの情報がわかれば、対象はかなり絞り込めるからだ。とにかく、情報は正確に大量に。
そして密林に人が潜んでいるとわかると、それまで気づいていなかったことにも気づく。木々の間を俊敏に通り抜ける人影。潜む人影。注目すると、その姿を捉えることができた。
(エルフ……)
ファンタジー系のゲームなどでよく登場するエルフ。いずれも美男美女揃い。地球のゲームクリエイターたちの想像は正しかった。そこまで気づいたところで、再び視点が変わる。
山肌に沿って、緩やかに上昇。麓から山頂までの景色が流れる。山の頂上は凹地になっており、中心にはストーンヘンジのような環状列石があった。鳥瞰すると、何らかの魔法陣のように複雑な紋様を描いている。
(なるほど。これが神の所へ行くためのものか……)
これが転移魔法陣で、神の居場所へ転移させるのだろうとジンは理解した。そこで映像は途切れる。
「どうだった?」
麗奈が訊く。ジンは無言でサムズアップした。
「よしっ!」
それが意味することを理解し、麗奈はガッツポーズ。アンネリーゼもジンが目的を達したことに微笑む。
「ご苦労」
ジンは猛烈な重力をかけ、天使を一瞬で地面のシミにした。敵意を向けてきた時点で処刑は確定している。ここまで生かしておいたのも、彼が有力な情報を持っていそうだからだ。それを吐けばもう用はない。知覚する間もなく圧し潰したのはせめてもの慈悲である。
「やったわね」
「ああ」
ジンと麗奈はハイタッチする。これで目標に大きく近づいた。
「じゃあ、サクッと潰すか」
何を、というのは愚問である。潰すのは懸案事項の教会勢力だ。魔法で見た島を探させつつ、魔族の総力を挙げて教会を倒す。
「あの、ジン様。できれば教会は残していただきたいのですが……」
フローラが控えめにジンに要望する。
「わかった。滅ぼしはしないさ」
「なんだか含みのある表現ね」
「気のせいだろ」
ジンは頷く。そこへ麗奈が突っ込むも、すぐさま否定された。さらに、
「ジン様を疑うとはどういうことですか?」
麗奈の発言にアンネリーゼが目くじらを立てる。
「ああもう! いちいち細かいわね、あんた!」
揶揄うことすら許されないのか、と麗奈は憤慨。例によってギャースギャースと騒ぎ始める。それにジンが仲裁に入りーーといったいつもの光景が広がった。
(……大丈夫なんでしょうか?)
アンネリーゼに聞こえたら大変だ、ということでフローラは心のなかで懸念を口にした。
天使、サクッと退場。神の使徒とはいえ、ジンと比べれば雑魚です。
何やら気になるワードが飛び出したお話でした。




