バカンス(本番)
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麗奈が発端となった水着騒動も無事に解決し、四人はスイミングに繰り出した。離宮から湖畔に馬車で移動する。
「海〜!」
「湖な」
はしゃぐ麗奈に、冷静にジンが突っ込む。麗奈は別にいいでしょ、とむくれていた。
一方、このやりとりがわからない残り二人は首をかしげる。だが、フローラが『何しているんだろう?』という純粋な疑問であるのに対し、アンネリーゼのそれは嫉妬の成分を多分に含んでいた。
アンネリーゼからすれば、自分こそがジンの一番の寵愛を受ける存在である。その自負もあった。だが、時折自分には踏み込めない領域がある。それは今のやりとりもそうであるし、水着の件もそうだ。
二人は同郷であり、直接の面識はなくとも育ってきた環境は近い。だからアンネリーゼにはわからない部分、踏み込めない部分で繋がっている。それは水着の件によく現れていた。
アンネリーゼにとって、水着とはジンたちが『全身タイツ』と評した手足を覆うタイプが普通だ。しかし二人にとっては異常であった。かくして生み出された水着ーービキニやタンキニーーは、彼女にとって異常である。後者はまだしも、前者はほぼ下着だ。どうしても羞恥心を覚えてしまう。ジンに見られるだけならまだしも、衆目に晒せというのだから困惑した。
とにかく、アンネリーゼからすれぼ面白くない。彼女は小さく呟いた。
「私がジン様の一番です……」
「どうした、アンネリーゼ?」
「えっ? いえ、何でもありません」
ジンがそのわずかな声に気づいたらしく、どうしたのかと訊ねてくる。アンネリーゼは慌てて取り繕った。
「……そうか。ならいいんだ」
彼女の様子に違和感を抱くが、本人が何でもないと言っているのでジンもそれ以上追及することはなかった。それも彼女に対する信頼の現れである。もっとも、アンネリーゼは気づいていないが。
「じゃあ泳ぐわよ!」
そう言って泳ぐ気満々の麗奈は、まとっていたローブをバサッと勢いよく脱ぎ捨てた。現れたのは青と白のボーダー柄のビキニ。腰にはパレオを巻いている。曰く、パレオがお洒落のポイントらしい。照りつける太陽が彼女の肢体を照らし、その白さを強調する。
「いっちば〜ん!」
水を前にテンションが上がったのか、勢いよく駆け出す麗奈。それをジンは魔法で砂を高速で動かし、トラベーターのようにして引き戻す。
「待て」
「何よ。どうして邪魔するの!?」
麗奈は邪魔されてお冠だ。しかしジンは気にした様子もなく、冷静に問いかける。
「お前、何か忘れてないか?」
「忘れてないわよ!」
失敬な、とばかりにプンスカ怒る麗奈。ジンはこれ見よがしにため息を吐く。
「はぁ〜。まったく、小学生からやり直すか?」
「私はそんなにバカじゃありません〜」
「いや、バカだな。大バカだ。小学校で習ったことも忘れてるんだから」
「何を忘れてるのよ?」
「……プールの授業でやっただろ。『プールに入る前には準備体操をしましょう』って」
泳ぐ前の準備体操は大事だ。人間、突然動けるものではない。軽く身体を動かすことで怪我の防止につながる。特に水泳では命に関わることだ。極端な話、人間は鼻と口が水に浸かれば死ねるのだから。
「うぐっ」
麗奈がしまった、という表情になる。やっぱり忘れてたか。そして麗奈の旗色が悪いとわかると、ここぞとばかりに参戦してくるのがアンネリーゼ。
「あらあら。本当におバカさんなのかしら?」
「うっさいわね。忘れることだってあるわよ!」
アンネリーゼの物言いに、麗奈はすぐさま噛みつく。犬猿の仲である二人はまたギャース、ギャースと喧嘩を始める。
ただ、その間にも麗奈はいち、にっ、さん、しっ……と準備体操をしていた。まず屈伸。伸脚、前後屈、体の回旋、アキレス腱伸ばし、跳躍、腕伸ばしとやっていく。
「バカバカバカ〜っ!」
それらの準備体操が終わるや、適当な捨て台詞を吐きつつ湖へと突進していった。バシャバシャと激しい水飛沫が上がる。泳いでいるようだ。
「むう」
アンネリーゼは不完全燃焼らしく、唇を尖らせる。まあまあ、とジンになだめられたことで少しく溜飲は下げられたようだが。
「レイナは相変わらずですね」
苦笑しながら現れたのはフローラ。親友ではあるが、アンネリーゼに対する態度については少し思うところがあるらしい。彼女からすれば、ジンからの寵愛を一身に受けるアンネリーゼと対立する理由がわからないのだ。まあ、そのあたりは本来の身分が影響しているのだが。
ジンは自然の流れとして、声がした方を振り向く。
「っ!」
瞬間、フローラは電光石火の動きで身体を隠した。恥ずかしいのだ。彼女たちの常識としては、水着はやはり『全身タイツ』。腕や脚を露出する水着のデザインは、『はしたない』という価値観を持っていた。憎からず思っているジンにそのような姿を見せることに抵抗があった。
しかし、それを許さない者がいた。アンネリーゼだ。フローラの両腕を握り、グググ……と力を込める。抵抗するが、吸血種であるアンネリーゼと箱入りのお姫様とでは土台、力が違いすぎた。抗いきれず、身体を強制的に開かされる。
アンネリーゼとしては、キースなどに見せるのはNGだが、ジンにならウェルカムである。特にこの水着はジンが関わっていた。これをアンネリーゼは『ジンが自分たちの水着姿を望んでいる』と解釈している。ならばそれに応えるのが妻の務め、とジンが作らせた水着を着ていた。そして同じく妻であるフローラにもそれを求める。逃げは許さない。
「あの、アンネリーゼ様?」
フローラは羞恥に頬を染めつつ抗議する。その声に、アンネリーゼは威圧感のある笑みとともに応えた。
「なんですか?」
副音声としては、『何か文句があるのか?』だ。彼女の不興を買いたくないフローラは、何でもありませんとしか答えられなかった。
「アンネリーゼ。あまり無理強いするなよ?」
「はい。ジン様」
ここで絶対君主たるジンが口を挟む。やりすぎはよくない。アンネリーゼも素直に従い、フローラは解放された。
しかし、再び問題が発生する。ジンが二人に近づいていたのだ。あまり大声で叫ぶわけにもいかないので当然のことだが、フローラにとってはよろしくない。『はしたない』自分の姿を間近で見られてしまっているのだ。すぐにでも逃げ出したいが、それはジンに失礼である。そして何より、咄嗟のことで身体が固まっていうことを聞かない。
(動いて! わたしの身体!)
などと念じてみるが、動くはずもない。そうこうしているうちに、ジンがフローラに声をかけた。
「フローラ」
「は、はいっ!」
緊張で声が上ずる。ただえさえ恥ずかしいのに、さらに羞恥心が掻き立てられた。フローラの顔は熟れたリンゴより赤くなっている。そんな彼女の内心を察していたジンは、優しく語りかけた。
「すまない。やはり恥ずかしかったか?」
「うう……」
ズバリその通りである。しかし、フローラは否定しなかったーーいや、できなかった。これでジンの不興を買ってしまったらと思うと怖くて言えないのだ。個人的な羞恥心と祖国、どちらが大事かは比べるまでもない。
ーービクッ!
不意に肩に手を置かれ、フローラは身を強張らせる。社交ダンスなどで触れられることはあるが、予期していないと驚きが強い。その手がジンのものであるとわかると、少しばかり緊張も解けた。
「フローラ」
「はい」
名前を呼ばれたのでジンを見たフローラは、その視線に釘づけになる。真剣な目。顔が近いことなんてまったく気にならなかった。
「恥ずかしいなら着替えてくれても構わないぞ。別にこの水着を強要するわけじゃない」
ジンはさらに翻意を促すが、フローラはどうあっても首を縦に振るわけにはいかない。その意思を察したジンもまた、あっさりと方針を転換する。彼は残念そうな表情を作り、
「それも似合っていると思うんだがなぁ。実に惜しい」
と言った。
「ーーえ?」
この言葉にフローラは表情を変える。というより、呆気にとられた様子だ。そしてすぐさま頭をブンブンと振る。
「いやいやいや! ジン様、ご、ごごっ、ご冗談を……」
「本気で言ってるぞ?」
動揺しまくりのフローラ、それに対してジンはやはり真面目な表情で答えた。改めて彼女を見ても、水着姿がとても似合っていた。お世辞抜きで。
彼女が着ているのは白いワンピース型の水着。お姫様らしい清楚な色合いに、なるべく肌の露出を抑えたワンピースタイプというのも好印象だ。花飾りつきの麦わら帽子も似合っているし、恥じらいがあるのもなかなか。
それらの感情をひっくるめた上で、
「可愛いぞ」
というひと言に表した。
フローラはしばらくもじもじしていたが、やがてほにゃっ、と表情を緩める。
「そ、そういうことなら、少し頑張ってみます」
まだ羞恥心はあるようだが、フローラはこのままでいることを決めた。『似合っている』『可愛い』と言われればやはり嬉しいものだ。憎からず思っている相手から言われればなおさら。
(似合ってる、可愛い……)
声にこそ出さないが、心の中で何度もその言葉を繰り返す。そして頬を赤くしてニヤニヤしていた。
(よっしゃ!)
ジン(素)も心の中でガッツポーズ。やはり美少女の水着姿は目の保養になる。説得に成功してラッキー、といったところだ。
そんなジンの肩がガシッと掴まれる。そんなことをするのか。アンネリーゼだ。
「ジン様?」
彼女はそれ以上何も言わなかった。だが、何をしてほしいのかはひしひしと伝わってくる。すなわち『私も褒めて』だ。ジンは心得ている、とばかりに微笑む。
「アンネリーゼはとても綺麗だな。キースたちがいなければ……怪しいな」
ジンは意味深な言葉をつけ足した。アンネリーゼならば前者のひと言で満足するだろうが(その点、麗奈より扱いやすい)、それだけでないのがデキる男である。もちろんこちらも本心だ。
アンネリーゼの水着は、貞淑な性格に反して意外にもビキニだった。色は黒。下は紐で結ぶタイプだ。実にエロい組み合わせである。布地の黒が彼女の肌の白さ、金髪の色を強調していた。フローラも同じ金髪(アンネリーゼはプラチナブロンド、フローラはアッシュブロンド)なので、二人が並べば水着で差別化を図っている姉妹のようだ。
「ふふふっ。ありがとうございます」
アンネリーゼもにっこり笑顔。その言葉も『まあ許す』ではなくて『お礼』という意味で使われたものだ。
「ジン! フローラ! 二人も早く来なさいよ!」
遠くから麗奈が呼ぶ。アンネリーゼが含まれていないのも、まあ予想通りだ。
「どうしましょう?」
これに困ったのはフローラだ。麗奈の気持ちは尊重したい。だが、アンネリーゼを外していいのだろうか? 親友と正妻、両者の間で板挟みになる。
「行けばいいさ。俺は少しアンネリーゼと遊んでからにする」
「わかりました」
バランス調整は任せろ、とジンが請け負う。彼女も安心して麗奈の許へ向かった。
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フローラが麗奈の方へ駆けて行ったのを見送ったジンは、
「さて、何かリクエストはあるか?」
と、アンネリーゼに訊ねた。すると彼女はメイドのひとりを呼び寄せる。呼ばれたメイドの手には牛乳瓶のような大きさのガラス瓶があった。
「この日焼け止めを塗っていただきたいのです」
「いいだろう」
ジンは快諾した。実をいうと、日焼けを完璧に防ぐ魔法はある。紫外線をカットしてしまえばいいのだから、『思いが具現化する』この世界の魔法では難しいことではない。もう密かにジンを含めた全員にかけていた。しかし、だからといって断るのも味気ない。なのでジンは引き受けたのだ。
メイドたちによって用意された休憩スペースに入り、マットの上で横になるアンネリーゼ。ジンは手に日焼け止めを取り、彼女の艶やかな肢体にそっと塗り込む。
「ひゃっ!」
アンネリーゼは薬液の冷たさに驚き、身体を跳ねさせる。それでもジンは手を離さず、彼女が温度に慣れるのを待つ。体温で薬液が温められ、少し温くなったと感じると、今度は優しく丁寧な手つきで広げていく。
「んっ……はぁ……」
その繊細な指使いを肌で感じているアンネリーゼは、時折艶かしい吐息を漏らす。その色っぽさに、随行するメイドたちも赤面していた。
このようなことができるのも、ここにはジン以外の異性がいないからだ。キースは御者として同行したが、ビーチへ立ち入ることは許されず、厩舎で馬の世話をしている。警備の兵士たちもダメで、代わりに騎士に扮したスケルトンによって警備が行われていた。彼らなら不埒なことはしないし、兵士たちより強い。まったく問題なかった。
(うわっ、柔らか)
ジン(素)も、手から伝わってくるアンネリーゼの柔肌の感触に歓喜していた。それはもう、夢中になって全身を撫でまわす。背中、両腕、臀部、脚……。薬液越しなので肌の質感はわからないが、餅のような柔らかさは存分に感じられる。時間をかけて、ゆっくり丁寧に塗っていった。
「これでいいか?」
塗り終えたジンが訊ねる。するとアンネリーゼはコロンと仰向けになって、
「こちらもお願いします」
と上目遣いでお願い。
(ラッキー)
ジン(素)は下心的な意味で思わず笑顔に。それだけなら下心丸出しの下卑た笑みになるところを、魔王補正によって呆れ半分の苦笑に変換される。
「まったく……」
なんて言ってみたり。甘える恋人に仕方なく付き合う彼氏のように振舞う。それを見たアンネリーゼは口を尖らせて不満を表明した。
「ダメですか? 私はジン様に甘えたいのですが……」
「ダメなわけないだろ? むしろもっと甘えてくれて構わないぞ?」
こちらは演技ではなく本心。控え目なのは悪くないが、彼女は場合は少し遠慮しすぎている。麗奈ほど図々しくなれ、とまではいわないが、今回のようなわがままをもう少し増やしてほしいというのがジンの本音である。性格的には、アンネリーゼと麗奈を足して二で割ればちょうどいい。
アンネリーゼのお願いにより作業続行となった。手にはまだ日焼け止めが残っているが、足りなさそうなので少しつぎ足す。そして腹部、首筋、(背面からは塗れなかった)脚に薬液を塗っていく。
「やんっ、はうっ……」
男を惑わす悩ましい声。特に乳房に触れた時は激しかった。さすがにそこまでは……とジンも思ったものの、アンネリーゼがやれと言うので日焼け止めを塗る。
(最高……)
己の手によって美少女が乱れる姿に、ジンはえも言われぬ快感を覚えた。白日の下に晒されるはずのだらしない表情も、やはり魔王補正によって妻を労わる/慈しむ優しい夫の顔に変換されてしまう。かくしてジンによる日焼け止め塗りは十分余りの時間をかけて終了した。
「これで終わりか」
ジンはやりきった、と思う一方で名残惜しさも感じる。あの至福の時間は戻ってこないのかと。しかしもう塗るべきところはない。さらに、そろそろ麗奈のところへ顔を出さなければ、彼女がヘソを曲げてしまう。後ろ髪を引かれる思いながらもアンネリーゼから離れようとして、
「では私も……」
などというアンネリーゼの言葉に、ジンは逆らえなかった。起き上がった彼女に促されて寝そべる。そして同様に日焼け止めを塗ってもらった。
「ジン様の(身体は)、とても熱くて硬かったです」
などと、解釈の仕方によっては著しい誤解を招きそうな表現による感想を頂く。だがしかし、このまま離れるのも惜しい気がするジン。なんとなく昂ぶっていた。そしてそれはアンネリーゼも同様で、視線が熱っぽい。怜悧な瞳は潤み、頰は紅潮していた。
二人は視線を交わし、頷く。この昂りを晴らそう。ただし別の場所でーーと。二人の間に言葉は不要。長年連れ添った夫婦のように、アイコンタクトのみで会話してしまう。
そんな桃色空間を形成する二人に向かって、突如として津波が襲いかかった。
「「【バリア】!」」
異口同音に唱えられる魔法。受け持ちは、ジンとアンネリーゼで半分ずつ。なおかつ、メイドたちに被害が及ばないように広範囲に展開した。
ーーバシャーン!
と波飛沫を上げて津波が【バリア】に激突。やがて引いていった。戦闘に意識を向けたため、先ほどまでの昂りはない。波はかぶらなかったが、水をかぶった形だ。
「何をするんですか!」
アンネリーゼがムードをぶち壊しにされたことを怒る。その視線は下手人へと向いた。
「ごっめーん! 失敗したー!」
その声に悪びれもせずに応えたのは麗奈。津波は彼女の仕業である。理由は、自分たちを放っておいてイチャイチャしている二人にムカついたから。隣にいたフローラは、さすがに『失敗した』は苦しいのではないかと苦笑いしている。
「どこが『失敗』ですか! 完全にわざとでしょう!?」
アンネリーゼは魔法のスペシャリストである。事故なのか故意なのかは容易に判別できた。
「だからミスだって!」
「いいえ、わざとです!」
数十メートルの距離を置いて言い争いを始める二人。そのやりとりは徐々に加熱し、ついには魔法戦に発展した。
麗奈が【水弾】を盛んに撃ち込む。威力を重視した拳大のものであり、速射砲のようにひと呼吸おいて連射される。相手を吹き飛ばすのが狙いだ。防御には基本的な【シールド】を使っていた。
対するアンネリーゼは、ジンから教えられた攻防一体の複合魔法【イージス】を使用。【バリア】で防御し、【風弾】で攻撃している。発射速度は極めて速く、機関銃のようだ。こちらの狙いは相手を吹き飛ばすのではなく、細かなダメージを与え続けて戦闘不能にすることである。
「沈みなさい、残念勇者!」
「吹っ飛べ、怪力女!」
互いに相手を罵りながら、手加減なしの魔法大戦を繰り広げる。とはいえ、魔法ではアンネリーゼに一日の長がある。すぐに収まる(決着がつく)だろう、とジンは手を出さないでおくことにした。折角の機会だから、気の済むまでやらせようという考えである。
勇者と魔王妃による戦い(喧嘩?)の規模に、メイドたちはオロオロする。止めた方がいいよね? でも死にたくない! というような心の声が聞こえてくるようだった。ジンは彼女たちを落ち着かせ、好きにさせておくように言う。
「余が怪我をしないように見張っておこう。それよりも、終わるころにはかなり疲れているだろうから、軽い食事や飲み物を用意してもらえるか?」
「「「はい」」」
ジンに命令され、メイドたちは必要なものを取りに離宮へ向かう。そのような命令をしたのは、気遣いであると同時に体よく避難させるためだ。一応【バリア】で守っているとはいえ、万が一ということもある。心配事はなるべくなくしておきたかった。
彼女たちが離れたのを見て、ジンは二人の戦いに目を戻す。そして危険がないかを注意深く見守る。
「逃げてばかりではいけませんよ!」
アンネリーゼはそう言いつつ、巧みに魔法を操っていた。【イージス】によって防御の憂いをなくすと、並行して【土弾】の魔法を発動。こちらは威力を重視した魔法で、麗奈と同様に相手を吹き飛ばすためのものだ。
「ちょっと、それはズルいわよ! わっ、危な!?」
魔法の並行発動という絶技に抗議する麗奈。彼女の場合、魔法の腕はまだまだ未熟で、同じことをできるレベルにない。そもそも、勇者の戦闘スタイルは剣技をメイン、魔法をサポートに使って戦う魔法剣士。主な間合いは近〜中距離だ。本職の魔法使いのように、遠距離から魔法の撃ち合いをすること自体が間違っているのである。
「こうなったら!」
そのことにようやく気づいた麗奈は接近を試みる。しかし、懐に入り込まれたら厄介だと知っているアンネリーゼはそれを許さない。濃密な弾幕を張ることで接近を阻む。
「ああっ! もうっ!」
好転しない状況にイライラした麗奈は、自棄になって突撃を敢行する。見るからにヤバい【土弾】は回避するが、【風弾】に被弾する程度なら構わず前進した。
とはいえ、いくらダメージが少ない【風弾】でも、何発も浴びればボディーブローのように効いてくる。すぐに足は止まり、その場で耐え忍ぶので精一杯になった。
「【ディバイン・シールド】ッ!」
麗奈は防御に聖属性の最上位魔法を使うが、それもグラグラと不安定に揺らぐ。魔力切れだ。元々、麗奈の魔力量は本職の魔法使いであるアンネリーゼに及ぶべくもない。その差が如実に現れた。
揺らぐ【ディバイン・シールド】に次々と魔法が着弾する。その多くを防いだが、威力の大きい【土弾】はいくつかその守りを撃ち抜く。
「くっ……」
身体に命中し、片膝をつく麗奈。痛みをぐっとこらえている。そのために集中が切れ、【ディバイン・シールド】を維持できなくなり、消えた。
「そこまでだ!」
麗奈の目前にジンが転移する。鋭い制止の声を上げると同時に【バリア】を使用。アンネリーゼの魔法をすべて防ぐ。
「ジン様!?」
アンネリーゼは驚き、慌てて魔法を止める。それを確認したジンは麗奈に回復魔法をかけた。魔法が当たってできた傷や痣が瞬く間に治っていく。
「大丈夫か?」
「はぁ……はぁ……ありがと」
肩で息をする麗奈は、呼吸の合間になんとか言葉を紡いだ。その反応に安堵するジンだったが、トラブルは続く。
「イヤーーーーーーッ!」
突如として響き渡る、絹を裂くような悲鳴。ジンが振り返ると、フローラが水面から伸びる触手に囚われていた。水棲のタコ型モンスターの仕業である。湖にいる魔物の気配はジンも掴んでいたが、問題になりそうな強大な気配はなかったのだ放置していたのだ。それが裏目に出た。
「た、助けて! いやッ!」
触手がヌメヌメとフローラの身体を這う。その感覚に生理的な嫌悪感を覚え、助けを求める。
「待ってろ!」
ジンは【風刃】で触手を切断。【風弾】で魔物を滅多刺しにした。落下する彼女を抱き止める。
「怪我はないか?」
「は、はい。ありがとうございます……」
フローラはどこかぼーっとした様子でジンを見る。その視線には気づかず、本当に怪我がないかを確認しようとした。そこで気づいてしまう。触手に弄られた結果、彼女の水着がずれていることに。ジンは慌てて目を逸らす。その行動を不審に思ったフローラがその視線をたどり、自分の状態に気づく。慌てて背を向け、水着の乱れを直す。そして責めるようにジンを睨んだ。
「その、すまない」
やはり、ジンは特に言い訳をするでもなく謝罪する。フローラもそうすることはわかっていたから耳元で、
「責任は取ってくださいね」
と言うに留める。それは男を縛る呪いの言葉だ。ジンとフローラは『婚約』している段階であって、まだ結婚しているわけではない。そして、王侯貴族の令嬢が婚前にあられもない姿を異性に見られるなどあってはならないことだ。もはや婚前交渉も同義であり、まず嫁の貰い手はいなくなる。つまり、ジンが考えていた婚約破棄はできなくなるのだ。
(まさか察知していたのか?)
と勘繰ってしまう。ともあれ、この一件が決定打となった。証人はメイドたち。何が起こっていたのかをフローラが話せば、彼女たちは信じるだろう。魔法で記憶を操れなくはないが、ジンの良心がそれを許さない。いわば禁じ手である。ないとは思うが、万が一にも記憶が戻った際、王国に不信感を与えるかもしれない。もう諦めて甘受するしかないーーとジンは諦めた。
「「「っ!?」」」
ジンがある意味で覚悟を決めたそのとき、ジン、アンネリーゼ、麗奈の三人が急速接近する強大な魔力反応を捉えたーー。




