対立
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各種長との面会を終えた翌日から政務にとりかかったジンだったが、激務だった。
次の魔王が決まるまでの期間、溜まりに溜まっていた書類が執務室の机にドン、と積まれる。そして決済してひと山崩すと、またひと山ドン、と追加される。その繰り返し。一体いつ終わるのか。いや、終わりはあるのかと、ジンはつい哲学に耽ってしまう。
魔王としての書類仕事に慣れていないというのもあったのだろうが、なにより多すぎるのだ。魔王が不在なだけで政務が滞るとは、国として割と終わってる気がするジンだった。
そんな疑念を抱きつつ書類仕事に邁進するジン。ちなみにこの書類は、補佐をしてくれているアベルも読んでいる。【選王戦】の期間中は政務を執れなかったため彼も同じ分量を溜め込んでいるはずなのだが、腹立たしいことに助っ人が現れたのだ。まあ原因はジンであるのだが。新たにマリオンがジンの腹心となることになり、魔王城へ詰めている。彼は吸血種の種長を百年余り勤め上げた実績の持ち主で、その手際はアベルを凌ぐ。そんな彼の登場により、書類の処理速度は格段に向上。結果、そのツケがすべてジンにのしかかっている。言うなれば、最新のスパコン二台で処理した案件を、旧式のオンボロパソコン一台で処理しているようなものだ。当然、処理できなかった分だけ溜まっていくことになるのだが、そこは稼働時間の方でカバーしていた。この世界のジンはルックスがよくなっただけでなく身体性能も上昇していたようで、五日ほど徹夜しても元気だった。前世ならスタミナドリンクをダース単位で消費してようやくといったところだろう。その点は幸いした。
そんなこんなで書類は一週間で清算を終えた。だが魔王の仕事は書類仕事だけではない。魔界において魔王という地位は、一般に想像される専制君主ではない。各種族の領内における内政については事後承諾。種族を代表した外交についても事後承諾。原則として干渉は禁止。このように独裁権というものはほぼないに等しい。つまるところ魔王とは魔界において魔王領といわれる魔都(首都)を中心とした実権が及ぶ領域の領主兼各種族の盟主なのだ。
しかし理不尽なことに国防についてはほぼ全責任を負うようで、定期的に国外の情勢が報告されていた。今日も今日とて報告が上がってくる。そして珍しく、報告者は慌てている様子だった。いつもはやる気がありませんとばかりに半眼になっている目はばっちり開かれ、息を切らしている。彼は開口一番、
「ゆ、勇者です! 人間は勇者を召喚しました!」
などとのたまった。
途端、その場に居合わせた者たちに衝撃が走る。普段は冷静なアベルとマリオンの二人が狼狽したことから、その度合いは推して知るべし。
「勇者だと!?」
「なぜ!? 前回の召喚からまだ二百年しか経っていないのだぞ!」
二百年の隔絶があって『まだ』という修飾語がつく吸血種の時間感覚はどうなっているのだろうかーーと、ジンは益体のないことを考える。
しかしその一方で必死に記憶を探っていた。ジンは何か忘れている気がしてならなかった。大事な何かを。
(思い出せ。なぜ俺はここにいる。この世界にいる原因は、きっかけは何だーー。俺は前世、地味で冴えない男だったーーって、そんなことはいいんだよ。そうじゃなくて、ある日、いつも通りに会社へ出社していたときにハンカチを拾って、それを落とした女子高生に声をかけたんだ。それで会話してる最中にトラックに轢かれてーーっ!)
そこまで思い出した途端、ジンは頭の中で何かが弾けるような感覚を覚えた。それが何かはわからない。最近、頭を酷使したせいで脳の血管が数本切れた音なのかもしれない。が、そんなことはどうでもいい。重要なのは、ジンをこの世界に送り込んだあのクソ女神が言っていたことだ。
『女子高生、あんたが勇者よ! 見事、魔王を討ち果たしなさい!』
『そしてーー男。あんたの方がブサイクだから、あんたが魔王ね』
ここで重要なのは配役と結末である。前者は勇者=女子高生、魔王=ジン。そしてこの世界にきた当初は何者でもなかったジンは、今こうして魔王となっている。普通なら、強大な力を持つマリオンにやられるかませ犬でしかなかった少年が、地球の知識を持つ一坂仁という人格が乗り移ったために魔王の座に登った。
これは単なる偶然か? ほぼ間違いなく否である。クソ女神の差し金であることはすぐに察しがつく。ならばーー
(俺は殺されるのか……?)
人間が召喚したという勇者は間違いなくあの女子高生だろう。配役は揃った。そしてこれまでが女神の筋書き通りに進んでいる。詳細を省き結末だけを述べるのなら、魔王ジンは勇者となった女子高生に討伐されるのだろう。
冷静かつ客観的な予測はここまで。では感情的かつ主観的に考えるとどうなのかーーもちろん、受け入れられるはずがなかった。なぜ生き返ったのにわざわざ殺されなければならないのか。菩薩でもないジンは死を甘受する気はさらさらない。
(抗ってやる。運命に!)
ジンは決意を固めた。やれることはすべてやるつもりだった。そしてその果てに斃れるのであれば、それは仕方がないと諦めることができる。しかしジンはそう易々とやられるつもりはなかった。
手始めに、とジンは立ち上がる。魔王の動作はよく注目を集めた。その視線を彼はその意に介さず、凛とした声で命じる。
「各種長を集めよ。ただちに会議を行う!」
「「「はっ!」」」
「アベル。そなたは急ぎ各種長に報せを出せ。マリオンは話があるので残るのだ」
ジンの指示に従ってアベルが動く。指示がなかった男は黙って退出していった。こうして残されたのはジンとマリオンのみ。
「さてマリオン。そなたには頼みと相談がある」
「浅学の身ですが、全力を尽くします」
「何を言うか。それなら余の方がよっぽど愚かだーーいや、謙遜のし合いは止めよう。まず相談というのは、魔法について教えてほしいのだ」
「恐れながら、魔王様はワタシよりもお強いのです。学ぶことなどないと思いますがーー」
「余は特に師というものにつかず、独学で鍛錬してきた。結果、オリジナルの魔法は使えるが、一般に使われている魔法は知らぬ。それを学びたいのだ」
「なるほど。魔王様の飽くなき探究心ーーワタシ、感服いたしました。そういうことであれば全力でご指導いたします」
「頼んだ。ーーそして相談というのは、この騒ぎを機に、魔界のあり方を変えたいと思うのだ。人間のような国に」
「それは……」
「言いたいことはわかる。しかしこれから勇者とーーいや、人間と本格的な戦争が始まるだろう。その際、今のように種族がバラバラでは不利なのだ。魔王を、余を中心にまとまってくれねば、おそらく勝てぬ」
ジンは思う。地方分権をとる国は基本的に戦争に弱い。地球の歴史を見れば多くの国で拡大期には中央集権体制をとり、強力な専制君主が登場している。やがて地方分権へ移行し、やがて別の国に滅ぼされるのだ。つまり国家は黎明期から最盛期にかけて中央集権制をとり、末期にかけて地方分権制をとる。
例外はアメリカであるが、あれは国軍を州がよく支えているからだ。極めて特異な国家といえる。
ともあれほとんどの国がその勃興期において中央集権制で成功しているのは事実。あえてその流れに逆らう必要はない。
そのような子細を、しかしマリオンに話すことはできない。ここが転生者の面倒なところで、話したところで理解されないのだ。実感が湧かないのだろう。なぜなら現状で上手くいっており、変える必要性が皆無なのだから。そのためどうかな? と咨るのではなく、やる! と決めてかからねばならない。そうすることが正しいと信じている。ゆえに不退転の決意であると示すのだ。もちろん、無責任では話にならない。強行するのであれば命を賭けてやるのだ。正しいと信じているのであれば命を賭けて責任を取れるはずだ。取れないのはどこかで疑っているからだ。疑うならやらない方が何倍も幸せだろう。
(ま、今回は文字通り命がかかってるわけだけど)
ゆえにジンも必死だった。
ジンとマリオンはしばし向き合う。そして、
「わかりました。魔王様のために力を尽くします」
「頼む」
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数日後、各種長が集まった。人間が勇者を召喚したということは伝わっており、そのせいか浮き足立っているようにジンには感じられた。
そのなかを突っ切り、ジンは玉座へと座る。側に控えるのはマリオンとアベル。
玉座より一段低い場所に、左右に分かれて立っている。それより下には残り四種族の種長が控えていた。
「皆、よく集まってくれた。人間どもが勇者を召喚したことについては既に耳にしておろう。今日はその対応のために集まってもらった」
「対応と申しますと?」
「勇者が現れたということは、人間どもは近いうちに戦争をしかけてくる。ならばまず、先制攻撃を加えるか、防衛に回るかという初動の方針の決定。次に攻撃となればどこを、どれくらいの兵力で攻めるのかを。防衛ならばどこにどれくらいの兵を配置すればいいのかを。それぞれ事前に決めておくのだ」
「なるほど。たしかに事前に対応を決めておくのはいいことですね」
夢魔種のマルレーネが真っ先に賛同を示す。言うまでもなくアベル(人魔種)とマリオン(吸血種)の了解はとれている。だがここでジンに対する姿勢によって顕著な差が現れた。
「オラは、反対だ」
「アデも」
まず反対を表明したのは緑鬼種のオニャンゴと、青鬼種のクワシ。
「ミーもだよ」
続けて馬魔種のマレンゴも反対する。
「理由を聞こう」
「人間なんて弱いじゃないか。なのにまるで中央山脈のドラゴンでも相手をするかのような綿密な計画を立てるのは、正直言って無駄だと思うのだよ」
主張はともかくとして、いちいち髪をかき上げる仕草が気に入らないジン。正直、ウザかった。
これに噛みついたのはマリオンである。
「二百年前の記録を読んでいないのか? 今回はいつもの戦争ではない。勇者がいるのだぞ。 先々代の魔王様と互角に戦ったーー」
「ミーを馬鹿にするのは止めてほしいな。読んでいるに決まってるだろう? 勇者は先々代の魔王と互角に戦ったというけれど、それは単に魔王が弱かったせいじゃないのかい?」
「貴様ッ!」
マリオンが瞬間湯沸かし器より早く沸騰した。実は先々代の魔王ーーのみならずここ千年ほどーーは吸血種が独占している。それを馬魔種を筆頭に煙たがっていたのだ。マレンゴの発言は、それがストレートに出たものだった。
「なにを怒っているのかな? まったくエレガントじゃないね。これだから魔力だけが多い、引きこもりの吸血種は……」
そしてマレンゴは煽りに煽る。このままでは血を見ることになりそうなので、ジンは止めた。
「止めろ。議論を戦わせるなら歓迎するが、拳で語るというなら余が相手になろう」
「「……」」
ジンから怒気とともに魔力が放たれる。マリオンもマレンゴも、その圧倒的な力を前にして沈黙した。
「皆の意見はよくわかった。それで、反対するのは何故か? オニャンゴ、クワシ」
ジンは発言はしていない二人に意見を求めた。
「オラたちは、敵が、来たら、戦う。それだけ」
「アデも。変える必要ない」
二人の考え方は見敵必殺といったもの。単純明快だが、それは長所であり短所でもある。そして残念ながら、短所が長所を塗りつぶしてしまっているものだった。
それからも議論を重ねたものの賛成派と反対派、双方の溝は埋まらず、平行線を辿る。
しかしここまでは予想通り。そしてここからがジンにとっての本題だった。地方分権を中央集権に変えるための、その第一歩。
「ええい! このままでは埒が開かん!」
突如、ジンが怒声を上げて立ち上がった。魔王としては温厚で、怒った場面を誰も見たことがなかった種長たち、そして周囲に侍る魔王城の使用人たちは目を丸くする。
「い、如何なされましたか、魔王様?」
「何かお気に召しませんでしたでしょうか?」
この中でジンとの付き合いが長いアベルとマリオンの二人が訊ねる。
「気に入らん。すべてが気に入らん! 先程から黙って聞いていればなんだ? そなたたちは何のために話しておる!?」
「それはもちろん魔王様のためーー」
「否だ!」
マリオンが答えを言い終わらないうちにジンは否定した。国を中央集権制に移行させるという話は聞いていたし、これがそのための方策なのだろうとはマリオンも感づいていた。彼は聡い。しかし、育った環境のせいかいささかお坊っちゃま気質であり、強引さに欠け、ゆえにジンが強引に体制を変革しようとしていることまでは思い至らなかった。
「そなたらが考えているのは、第一に己の種族のことだ! 違うか!?」
「「「「「「……?」」」」」」
ジンの言葉に、種長たちは一様に頭の上に疑問符を浮かべた。それの何がおかしいのか、理解できなかったからだ。自分たちの繁栄を考えて何が悪いのか。
「魔王、それは、当たり前だ」
オニャンゴがジンの誤りを正す。しかし、逆に疑問を投げかけられた。
「では訊こう。なぜそなたたちは自分たちの繁栄を第一に考える?」
「それは、オラたちが、生活、するのに、欠かせない、ものだから」
オニャンゴの言い分に、種長たちは同意する。それがこの世界では当たり前なのだ。しかしジンの考えは種長たちと根底から異なっていた。
「なるほど。では重ねて訊こう。ならばなぜそなたたちは魔王の下についている? なぜ、魔界という組織に組み込まれているのだ?」
「そういう、もの、だから」
「そうか。ならば今すぐ魔界から抜けるといい」
「「「「「「っ!?」」」」」」
種長たちは驚愕した。今のは歴代魔王の発言のなかで最も過激な発言だ。ともすれば魔界が崩壊してしまいかねない。特にマリオンやアベルには理解不能だった。
しかしジンからすればこれほど不可解なことはなかった。なぜならば、
「お前たちが魔界に属しているのは自分をーーひいては己の種族を守るためだ。例えば緑鬼種。これは数こそ多いが、非力で、強大な敵に一掃される恐れがある。一方、最強種族とされている吸血種も、個々の力は強大だが、数が少なく、多数の敵に圧倒される恐れがある。ーーこのように各種族は長所と短所を兼ね備えているのだ。それでは安心して暮らせない。だから魔界という名の組織を作り、魔王を選び、自分たちの主として仰ぐわけだ」
「でもミーたちは数もいるし、弱くない。それには当てはまらないね」
「当てはまるさ。馬魔種は、その体躯が仇となって耕作に向かない。種領(各種族の領域)には広大な平野が広がっているというのに、農作はまったくといっていいほど行われず、食料の確保は基本的に人魔種や緑鬼種、青鬼種の種領からの買いつけで賄っている。そんな種族がある日突然、食料の買いつけができなくなれば?」
「……いや、ならば奪えばいい!」
「それでさっきの三種族を敵に回すのか? 個体数上位三種族を」
「……」
マレンゴは黙った。そんなことをすれば数で圧倒されてしまうに決まっている。結局は飢餓地獄しかないことを悟ったのだ。
ジンがこの場で問いたいのは自分に従うのか否か。
魔界としての意思をいちいち会議を開いて決めるーーそんな中央集権に真っ向から反する体制を否定する自分についてくるのか、こないのか。
もちろん断ることはできる。ただしその先には魔王との戦争しかない。当代最強の、【選王戦】へ他者が参加することを断念させるほどの猛者・マリオンを打ち破って魔王になったジンを相手取った戦争が待っている。
とにかくジンが求めるのは旗幟を鮮明にすることだ。まずはそこから始まる。
「では問おう。余に従うか、否か」
遂にジンはファイナルアンサーを求めた。
「魔王様に従います」
「ワタシも。魔王様に従います」
「さからうつもりなど毛頭ございませんわ」
かくしてアベル、マリオン、マルレーネは恭順の意を示し、
「ミーは従わないよ」
「オラも!」
「アデもだ!」
マレンゴ、オニャンゴ、クワシは反発した。
そしてここまでひと言も発していない牛魔種のティアラはというと、
「あしはこの争いに大義はないと見た。ゆえに中立の立場をとろう」
「勝者に従うのか?」
「いかにも」
「ならばよし」
ということで、ここに魔界ができて初めての内乱が生起した。