人魔会談
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ジンと麗奈が目的を同じくした直後、陣幕にフローラがやってきたとの報せが届けられた。これに驚いたのは親交のある麗奈である。
「王女殿下が!?」
「知っているのか?」
「ええ。ジンが攻めているボードレール王国のお姫様よ」
「お姫様が護衛もなしで来たのか……」
ジンは考え込む。よほどのお転婆なのか、よほどの重大事なのか。判断に迷うところだ。
「ジン。会ってあげて。あの子が来るなんてよっぽどのことよ」
「そのつもりだ。こんな戦いはさっさと終わらせたいからな。話し合いの糸口が掴めるかもしれない。会わない手はないな」
悩んだが、結局は目的を果たすために会ってみることにした。麗奈が勧めたのも理由のひとつである。
「ジン様。護衛はお任せください」
アンネリーゼが胸を張る。別に護衛は要らないーーとは思ったが、口にはしない。快く頷くのが正解だ。
「王女殿下はそんなことしないわよ。でも、何かあったら私がやるから」
するとここで麗奈が対抗するように主張した。
「いえ、私の方が優れています」
「いいや。私ね」
(どっちでもいい……)
ジンの率直な感想である。だが、やはりそのように言うと角が立つので何も言わない。黙って移動した。二人はしばらくギャーギャー言い合っていたが、フローラのいるところに近づくと自重するようになった。
「そうだ。麗奈。お前はしばらく入ってくるな」
「どうして?」
「相手の出方を見極めたい。お前が無関係とはいえないからな」
「……わかった」
麗奈は不承不承といった様子で頷いた。
そんな準備を終えてジンは幕舎の中に入ることにする。麗奈はジンが言った通り、外で待機している。とはいえ、彼から見れば視界内に収まる絶妙な位置をとっていた。
幕舎の中は静まり返っていた。魔王軍の幹部格が勢揃いし、左右に並んでいる。その中央で人間の女性が居心地悪そうにしていた。無理もない。単身で敵中に乗り込み、魔族ーーそれも特に強力な者ーーに囲まれている。また緑鬼種、青鬼種などを筆頭に好色そうな視線も飛んでいる。抜群のプロポーションを持つ彼女にそのような目を向けるのも頷ける。そんななかに居続けて精神力がゴリゴリと削られているはずだ。ジンは心の中でフローラの勇気を称えた。
しかし、賞賛と外交交渉とはまた別のもの。ジンは心をリセットした。
「魔王様、御入来ッ!」
門番の言葉とともに、外に待機している楽隊がファンファーレ。同時に幕が開かれ、そこから颯爽とジンが登場した。
その場にいた者は一斉に頭を垂れる。その中をジンは歩み、椅子にどっかりと腰掛けた。
「者ども、面を上げよ」
ジンの言葉を待って礼を解く。まずジンはフローラに労いの言葉をかける。
「使者殿。よく参った」
「魔王様に拝謁を賜りましたこと、恐悦至極にございます」
フローラもまた慇懃に応じた。ジンは頷き、
「うむ。それで、本日はどのようなご用件かな?」
と用向きを訊ねる。
「停戦の交渉に参りました」
フローラの言葉に場がざわめく。周りにいる魔族からは『不遜な』『降伏の間違いではないのか?』『このまま都を滅ぼしてもいいのだぞ』ーーなどなど、脅しをかけるような言葉が飛んでいる。その中にあって、フローラの目は真っ直ぐジンだけを見ていた。
(すごい胆力だ)
やせ我慢かもしれない。それでもこの場で平静を装えるのだから大したものだと、ジンは何度目かの賛辞を送る。もし転生前の自分ならすぐさま胃に穴が開くだろうな、などと思いながら。
「黙れ!」
ジンは大喝で場を再び鎮める。その声には迫力が篭っており、魔王が言っているからではなく本能的に静かにさせる迫力があった。
せっかくフローラが頑張っているというのに台無しにしてしまうのはしのびない。そこでジンは魔族を黙らせたのである。
「使者殿。続けられよ」
今度は一転して優しい口調で語りかけた。フローラは安心したように息を吐く。そしておもむろに口を開いた。
「は、はい。では改めて。わたしはボードレール王国第一王女、フローラ・ボードレールにございます。本日は魔王陛下に停戦の交渉に参りました」
「なるほど。停戦か」
ジンは薄く笑った。その瞳は少しく挑戦的な色を帯びている。
「ふむ。目的は理解した。だが先ほど臣下たちが言ったように、余がそれに応じなければならないという理由はない。それこそ、このまま王都を蹂躙することもできるのだから」
(さて、どう出る?)
気分は生徒の出来を試す教師のそれである。質問の体をした挑戦状に対してフローラは、脅しに取り乱すことなく冷静に対応した。
「陛下。もちろんわたしもタダで、とは申しておりません。王都を滅ぼすよりも多大な利益を提供したく思っております」
「話を聞こう」
「まず、陛下が占領された沿岸部についてですが、これを一切割譲いたします」
「なるほど」
「王国は陛下の庇護を賜りたく存じます。魔族に降ったとあれば、教会からの反発は必至。そしてお見苦しいですが、わたしどもにはこれに抗う術がございません。どうか陛下の強大なお力で以ってお護りください」
「ふむ。それについてはやぶさかではないが……」
「対価として、毎年税収の四割を差し出すというのはいかがでしょう?」
「王国に軍勢と、監査役の常駐を許可してもらえるならばその条件でよい」
「こちらとしても依存はありません」
話はすんなりとまとまった。
「フローラ王女。あなたはとても聡明なお方のようだ。今後も是非、お付き合い願いたいものだ」
ジンは手放しに賞賛する。彼女のような人材がいてくれたらいいな、と思うレベルだった。
フローラも褒められて悪い気はしなかったようだが、気恥ずかしくはあったらしい。わずかにはにかむ。
「お褒めにあずかり光栄です、魔王陛下。ですが、それは難しいかもしれません」
「何かあるのか?」
「実は教会の手が回り、わたしどもは窮地に陥っているのです」
「ふむ……。察するに、王族を抱き込んだ貴族が親魔族派の排除に動いている、といったところか。そしてその親魔族派は王女と国王ーー」
「ご慧眼、恐れ入ります。まさかそんなこともお当てになるなんて」
「これくらいは難しくない。であるならば、約束の履行のためにも協力は惜しまぬ」
「ありがとうございます」
ジンが協力を約束すると、フローラは深々と頭を下げた。しかし彼女の顔は依然として晴れない。どうしたのかな、とジンが思っているとフローラはおずおずと切り出した。
「それともう一点、お願いが」
「何かな?」
「陛下が先日捕らえられた勇者をお返しいただきたいのです」
「なんだとっ!?」
フローラの言葉に、大人しくしていた幹部たちがざわめく。しかしそれらを制したのはジンだった。彼は片手を挙げ、それ以上の言葉を制した。
先ほどは臆したフローラだったが、今回は構わずまくし立てる。
「お願いです! 勇者をーーレイナを解放してください。レイナには自由でいてほしいのです。解放してくださる代わりに、わたしが陛下のもとへ行ってもいい。だからーー」
「思いの丈はわかった。だが、残念ながらそれは難しいかもしれないな」
「そんな……。どうして!?」
ジンの言葉にフローラは悲嘆に暮れる。その場に崩れ落ちた。
ジンはどうしたものかな、としばらく悩んだ末、いっそ正直に明かしてしまうことにした。フローラが俯いている間に、手で『こっちに来い』と手招きする。麗奈も心得たもので、頷くと幕舎の中に入った。日本人の『言葉なきコミュニケーション』である。
麗奈が姿を表すと、幹部たちは三度ざわめく。先ほどまで拘束されていた者が自由の身なのだ。驚くのも無理はない。
一方、注目を一身に浴びる麗奈はそれらを意にも介さず、フローラに声をかけた。
「それは私とジンが協力関係になったからよ」
「レイナ!」
フローラは飛び上がらんばかりに驚き、そして涙した。瞬時に立ち上がり、麗奈に抱きつく。そんな彼女を麗奈はしっかりと抱き止める。
「ここまでよく来たわね、王女殿下」
「もうっ! 心配したんですから! それとここは使用人たちの目もありません。名前で呼んでください」
「わかったわ。フローラ」
「はい」
「本当によく来たわね」
「言ったじゃないですか。『あなたのためなら人生をかけてもいい』って」
フローラは嗚咽を漏らしながら、どうにかその言葉を絞り出す。それを聞いた麗奈は破顔した。
「ふふっ。ありがとう」
それきり二人の間に会話はなくなった。しかしその存在を確かめるかのように強く強く抱きしめあう。二人の抱擁は続いた。ジンも久しぶりの再会だからと静観していたのだが、さすがに長いと思って口を挟む。
「あー。二人とも。そろそろいいか?」
「あ、ごめん」
「は、はい」
ジンに言われて抱擁を解く二人。その顔は赤い。
「それで何の話をしていたかーーああ、麗奈を解放できない理由か。実はーー」
「待って。私が話す」
気を取り直して話を本線に戻そうとしたジンだったが、それを麗奈が買って出た。ジンもその方がいいか、と思って彼女に任せた。
「フローラ。さっきも言ったけど、私はジンーー魔王に協力することにしたわ。だからあなたがジンのところへ行っても、私は帰ってこない」
「どうして……?」
フローラは呆然とした様子で訊ねる。その声には感情が篭っておらず、空しい響きだった。
「勇者が召喚されてこの世界にやってきたーーそれは知っているわよね? ならその前は?」
「どういうことですか?」
「私が召喚される前は何をしていたのか、ということよ」
「それはーー勇者様は神界で育ち、我らの求めに応じて神が遣わしてくれる存在であってーー」
フローラは幼いころから聞かされてきた、教会の正しい教えに基づいた学説を話した。しかし麗奈はゆっくりとかぶりを振る。
「違うわ。それは真っ赤な嘘。私はここに来るまではある国で学生をしていたのよ」
そして事実を端的に述べた。
「え……?」
フローラは訳がわからないといった様子だ。まあ無理もない。物心ついてからずっと信じてきたことを真っ向から否定されたのだ。すぐに受け入れろというのは無理な話である。しかし麗奈はここで事実を証明したいわけではない。だからフローラがその事実を受け入れたか否かについてはスルーした。
「そして学生だったときに、私はジンと会った。そしてある事件がきっかけで死んだわ。そのとき女神から私を勇者としてこの世界に送ると言われたの。同時に、ジンが魔王として送られた」
「ま、魔王が勇者と同郷!?」
「そうよ。だから私とジンが戦うということは、知り合い同士で殺しあうようなものなの」
フローラは心底驚いていた。まさか神の使徒である勇者と、悪の権化である魔王とが同じ世界の出身だとは思いもよらなかっただろう。だが事実だけを述べるのならそういうことになる。
「私たちはそのことに気づいて、こんなバカな戦いはできないーーそう考えたの。争うよりも、協力して帰る方法を見つけるべきだともね。そうでしょ?」
「ん? ーーそう、だな。……そうか?」
ジンは歯切れが悪い。麗奈の口ぶりが自分のことを完全に棚上げしているような気がしたためだがーー話の腰を折るわけにはいかないので大人しく頷いた。しかし疑問は拭えない。
だがそれ以上にショックなのがフローラだ。彼女は麗奈に魔王を倒せと強要しているわけではない。それでも魔王に囚われているよりは、自由の身でいた方がいいと思っていた。たとえ自分や祖国が犠牲になってもいいーーと。しかし麗奈は魔王とともに歩むという。ならば、今までの自分は何だったのか。
そして彼女に追い打ちをかけるような言葉がかけられる。
「そもそもジン様に無残に敗れたあなたが、のこのこと帰ってきても誰も嬉しくないでしょうしね」
「なんですって、この怪力女!」
「なっ!? 普通です!」
「普通の女の子は、軽々と人間を持ち上げたりできないわよ!」
「人間からすれば異常かもしれませんけど、吸血種なら普通です!」
「ほら、やっぱり異常じゃない」
「人間みたいな下等生物と比べないでほしいですね!」
二人はギャーギャーと言い争いを始めた。幹部たちは普段見ないアンネリーゼの姿に困惑していた。ジンはやれやれと思いながら仲裁に入る。
アンネリーゼの言葉は真であった。フローラは勇者について英雄譚の話を鵜呑みにしていたが、考えてみれば敗れた勇者など信じるに値するだろうか? 否だ。幽閉されるだけならまだしも、殺される可能性だってある。
(わたし、なんてことを……)
フローラは危うく麗奈を危険にさらすところだったということに気づき、恐怖した。
「まあ、そういうわけだ。だからさっきの話はなかったことにしよう」
「はい……」
「王都には明日の夜に乗り込む。余が王城を守護しよう。攻撃はその後だ」
ということになって別れた。ジンは念のためにアンネリーゼと麗奈を護衛につける。
フローラが去った後、ジンは幹部たちに今後の方針を伝えた。
「明日の夜、余は麗奈とともに王城の守りに就く。そなたたちはアンネリーゼに従って攻め込め。マリオンとマルレーネはアンネリーゼを補佐してやれ。くれぐれも暴行略奪その他、余の顔に泥を塗るような真似はするな。全軍に徹底せよ」
「「「はっ!」」」
ジンの厳命に、幹部たちは揃って返事をした。




