蹂躙と決断
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勇者が魔族の手に落ちたことを知った人間たちは怒りに任せて攻撃を開始した。
人間が魔界に攻め入るにあたっての最大の障害は、彼我の領域にまたがる海峡だ。その海中には魔物が多く棲み、魔界と人間界を遮断している。
とはいえどこもかしこも危険というわけではない。以前ジンに摘発された密貿易商人のように、渡れないことはないのだ。数多のチャレンジャーの犠牲の上に、そのような経験則は出来上がっている。
しかし二百万の軍勢が渡るのに、わざわざコースなど考えていられない。人間側の姿勢は『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』であった。
船に兵士を乗るだけ詰め込み、海を渡らせる。魔物に襲われず渡れたらラッキー。襲われたらご愁傷様といった、実に杜撰な作戦である。これなら旧日本軍のインパール作戦の方がまだ成功率は高かっただろう。
使用される船もまた酷い。軍船の数が揃わず、商船や漁師が使う小舟を徴用して載せているという有様だ。もちろん海中に跋扈する魔物たちにとって乗り物の差などあまり関係はないのだが、いざという時にこそ性能の差が現れる。特に小舟などは大船に縄で繋がれておりーー自力では大船についていけないためーー運命共同体になっている。
要するに人間側は『殺してください』といわんばかりに攻撃を仕掛けたのだ。もちろん魔物は事情に関わらず襲いかかる。
「クラーケンだ!」
「この野郎ッ!」
海中から飛び出した触手が大船に絡みつき、乗員の必死の抵抗虚しく海中へと引きずり込んだ。
「うわぁぁぁッ!」
「く、くるなぁぁぁーー」
「助けてくれッ! 死にたくねぇ!」
直前に海へ飛び込んだ兵士たちもーー運良く味方に拾われた者を除いてーー魔物に襲われている。
海峡は船の残骸である木片や衣類などで埋め尽くされた。ただ百万を超す軍勢を防げるほどの魔物がいるわけではない。海峡を渡りきる者もちらほらと現れる。だがなんとか岸に乗りつけた彼らを待っていたのはーー吸血種などによる魔法の飽和攻撃だった。
「あちちっ!」
「火が! 火がぁッ!」
「誰か! 消してくれぇ!」
ここで主に用いられたのは火の魔法。木造の船はよく燃える。船体に火がつき、乗員が燻り出される。そこへ襲いかかるのは緑鬼種と青鬼種。バラバラになった人間を、彼らが各個撃破していく。それは戦闘ではなく、一方的な虐殺だった。
「くそっ! 魔族ごときがなぜこのような作戦を!?」
かくも一方的な展開になったのは、ひとえにジンの指導の賜物であった。『魔王軍』の編成と訓練によって種族別ではなく、統合された運用が可能になった。それにより、各種族の長所を活かした戦い方ができるようになった。
たとえば吸血種は魔法が上手いが数が少ない。そこでジンは彼らを火砲とみなし、軍の後方に配置。安全圏からじゃんじゃん強力な魔法を撃ち込んでもらう。
人魔種の特徴は数と統制がとれた行動だ。これは極めて防御向きである。よって最前線で盾と長槍を持ち、敵を防ぐ役目が与えられている。ファランクスのような密集陣形は魔法が天敵だが、そこは吸血種が強力な防御魔法を展開して守ってくれる。
牛魔種は怪力とその巨体が自慢だ。ジンは彼らを戦車に見立て、分厚い全身鎧をつけ、ハンマーや丸太を持たせて暴れ回らせる。
馬魔種は馬体を活かした機動戦が得意。そこで人魔種が防いだ敵の横腹や背後から襲撃して混乱を誘う。
緑鬼種、青鬼種はともに数が武器だ。ただし頭が悪く、人魔種のように連携は不可能。なので人魔種が防いだ敵の懐へ入り、撹乱する役目を与えられている。なお、上位種についてはこの戦い方は不向きなので、牛魔種と同様の役割が与えられていた。
淫魔種は魅了をはじめとした状態異常を得意とする。そこに目をつけたジンは彼女たちに裏方の役目を与えていた。衛生、諜報、捕虜の訊問などである。また奇襲を仕掛けて敵を毒や麻痺などの状態異常にするという使い方もある。
上手く連携して種族の長所を最大限に活かし、短所をカバーすることで、魔界の軍勢はかつてないほど強くなっていた。
「ひっ、引けーッ!」
圧倒的多数で攻め寄せた人間軍だったが、魔王軍の頑強な抵抗を受けて撤退を開始する。だがここで数の多さが仇となった。先頭にいた者たちは指揮官の命令に従って後退を始めたが、後からやってくる者たちにはその命令は届いていない。結果、後退しようとする者たちと前進しようとする者たちとが衝突しーー大混乱に陥った。
「お、落ち着け!」
経験の浅い指揮官が声を張り上げるが、その程度で収拾がつくはずがない。兵士たちは誰も耳を傾けなかった。
「静まれ! 敵に向かえッ!」
「後退だ! 落ち着いて後退しろ!」
比較的戦い慣れた指揮官はこのように具体的な命令を飛ばすがーー二律背反の命令を下していると知ると、
「後退しろとは何事だ! この臆病者め!」
「黙れ! 現実の見えてない猪突猛進野郎!」
などと喧嘩を始める始末だった。兵士もこれにつられたか、前進組と後退組に分かれてあちこちで喧嘩を始めた。なおこの場を収めるべき指揮官は不在であり、仮にいたとしてもこの大混乱だ。命令を的確に届けることはまず無理である。
人間たちが仲間割れしているなか、ジンはさらに追い討ちをかける。それは開幕同様、吸血種主体の魔法部隊による遠距離攻撃と魔王軍による総攻撃だ。ティアラやキタサン、オルオチ、クワメなどの種長たちも加わっている。
これにより人間の混乱は最高潮に達した。数でこそ勝っているが、圧迫感は半端ではない。特に全身鎧を着た牛魔種の巨体とともに突っ込んでくるなど恐怖でしかない。恐慌状態に陥り、前進してくる味方に構わず撤退を始めた。……戦後、ジンが調べさせたところ人間の死因ナンバーワンは轢死だったという。
前を進んでいた味方が味方に踏み潰される光景を見ると、さすがに前進を諦める。かくして多くの犠牲を出して後退を始めた人間だったが、悲劇はこれだけでは終わらない。
海を渡りきった人間たちだったが、その上陸の過程で乗船が無事だった者は少ない。多くは吸血種の魔法によって船が撃破され、ずぶ濡れになりながらも泳いで岸に上がった者が多かった。……これが何を意味するかというと、撤退できる人数はかなり限られるということだ。戦闘でかなりその数を減らしているとはいえ、未だ百万を割ってはいない。完全にキャパが不足している。その結果、
「俺が乗るんだよ!」
「いや俺が!」
「僕は王国貴族だぞ!」
「儂は教会の司祭じゃ!」
などと誰が船に乗るかを巡って醜い争いが繰り広げられた。無論、倍率は状態のいい船ほど上がる。賢い者は予め小舟やボロ船に乗っていた。
争いに決着がついた船は、人を目一杯積み込んで離岸した。残された船がすべてなくなり、多くの兵士が途方に暮れた。だが幸いにもーージンの指示でーー魔王軍による追撃が止んでいた。そのため対応を落ち着いて検討することができた。とはいえそこにある選択肢は二つ。
一、降伏する
二、玉砕攻撃
しかない。宗教の関係上、自殺という手はとれなかった。一部は一縷の望みにかけて海へと飛び込んで対岸を目指した。だがそれなりに潮の流れがある海峡を泳ぎきれる者はいなかった。これは潮の流れもそうであるし、魔物が襲ったという理由もある。魔物については船で逃げた者たちも容赦なく襲い、溺死者を量産した。
では海へ飛び込んだ者たち以外はどうしたのかというとーー人間誰しも自分の命は惜しいものであるしーー降伏した。その数は十万を超える。徒らに人間を殺さないというジンの目的は達成されたが、これだけ大量にいると大きな負担となってしまった。
だが魔王軍は人間軍に対して蹂躙といって過言ではないほどの一方的な勝利を収めた。
ジンは戦後処理を終えると、海を渡って人間界へと逆侵攻を開始する。その動きは当然ながら対岸から見えており、大敗を喫した人間軍も『防衛戦ならば』と先の雪辱を晴らそうと意気込んでいた。ところが戦闘は予想外の展開から始まった。
「ど、ドラゴン!?」
岸辺に整然と並んで迎撃態勢をとっていた人間軍の兵士たちが見たのは、海峡上空を悠々と飛行するドラゴンの群。それはジンが呼び寄せた魔竜ブリトラとその配下たちだ。またドラゴンのインパクトが強すぎて気づかれていないが、彼らに混じってジンが飛行して並走し、アンネリーゼがブリトラの背に乗っていた。魔王本人と王妃のお出ましである。
「やれ」
ジンの命令一下、ドラゴンたちは次々とブレスを放つ。それらは上空から人間軍に襲いかかった。咄嗟に盾をかざすも、その程度でドラゴンのブレスは防げない。一瞬で数百人が黒焦げとなった。それが五月雨のように撃ち込まれ、陣形はたちまち乱れる。さらに、
「行くぞ、アンネリーゼ。楽しい狩りの時間だ」
「はいっ! ジン様!」
魔王夫妻がその混乱の渦中へ乱入した。以前約束していた『狩り』にジンが連れ出したのだ。戦いたがっていたアンネリーゼの要望に沿った形である。
「凄いです、ジン様。獲物がこんなにたくさん!」
「はははっ! こいつらは害獣だからな。狩り尽くしても問題ないぞ!」
アンネリーゼは嬉しそうに魔法を撃ち込んでいく。その度に大爆発が起こり、何人もの人間が宙を舞う。防御を完全に無視していた。だが銀や十字架に代表される聖属性を付与された武器で攻撃されなければどんな傷を負っても再生する種族特性があるから、吸血種にとって防御はあまり考えなくていい。さらにジンが反撃機能を省いた【イージス】をかけているため、万が一にも傷つく可能性はない。その安心感もあり、アンネリーゼは大暴れしていた。
ドラゴンとやたら強い男女二人組(魔王夫妻)に散々に蹴散らされた人間軍はついに敗走を始めた。特に早かったのは民兵だ。まあ彼らは何の訓練も受けていない素人の集まりなのだから仕方がない。
彼らに遅れることしばらくして魔王軍の本隊も上陸を始めた。迅速に展開すると、ジンの指揮の下で残敵を掃討しながら進軍。そして周辺の村町を占領していった。人間側も必死に防戦したが、ジンやドラゴンの前には無駄な努力でしかない。
沿岸部を確保したジンはそこで一旦休息し、停戦の使者(捕虜)を送った。しかし拒絶されたため、進軍を再開。軍の再編成を終えた人間は再び攻撃するも、魔王軍の圧倒的な練度と能力の前に敗北した。
魔王軍はなおも進撃し、王都をグルリと包囲する。そして二度目の使者ーー降伏を促す使者を送った。
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ボードレール国王、ジョルジュは悩んでいた。その理由は魔族に対する相次ぐ敗戦と、城を取り囲む魔王軍ーーだけではない。王城に滞在するベルトラン枢機卿をはじめとした教会からの圧力もまた、彼の頭痛の種となっていた。
そもそもの発端は勇者の拉致だった。人間の最高戦力が魔王を称する魔族にさらわれたことが教会から問題視され、突き上げを受けていた。その急先鋒は王城にいるベルトラン枢機卿でありーー国王を糾弾することによって自身の責任論を逃れようとしていたーー毎日のように面会をしては、退位を迫られるまでになっていた。
さらに教会からの異端認定を避けるため、国内の貴族たち、民衆までもこぞってジョルジュを糾弾。結果、彼は王族を除いた王国民からの激しい非難を受けることになった。
王位どころかその命さえ怪しいジョルジュだったが、魔界侵攻で勇者を救出するという条件で教会と交渉。何とか認められた。しかしその結果は惨敗。ジョルジュからすれば敗戦の原因は軽率な行動をとった教会側にあるのだが、『絶対神様による絶対的な判断に間違いはない』という姿勢を貫徹する教会はその責任を王国ーーひいてはジョルジュに押しつけた。これにより突き上げも再開。ジョルジュはどう対応するか頭を悩ませることとなる。
そして現在。状況は最悪のものとなっていた。魔族は沿岸部を占拠し、着実に足場を固めている。逃亡した軍を集めて再び攻撃してみたものの、あっさりと破れた。
この絶望的な状況を直視したくないのか、ベルトラン枢機卿をはじめとした教会勢力は『絶対神様への必勝祈願』といって祈祷を始めた。すべての人間が絶対神様へ必勝を祈願すれば、その神通力がうんぬんかんぬんして魔族を滅ぼすというのだ。それができないのは絶対神様を信じない不信心者がいるからーーという理由でジョルジュを攻撃する材料にされていた。
一連の戦いで王国は将軍の多くを失い、人材が枯渇している状況だ。今や王都の守りさえ怪しい。都市防衛に民衆の協力は不可欠。だが反感を買っている自分に従ってくれるのか疑問だった。魔族に支配されるのは嫌だから防衛に協力はしてくれるだろうが、一致団結できるかというと、難しいといわざるをえない。
(余はどうすればいいのだ……)
と頭を抱える。そんな彼に追い打ちをかけるかのように、魔族から降伏を促す書簡が送られてきた。追い詰められたジョルジュはいっそのこと降伏してしまってはどうか、などと考えてみる。だが自分に従う者が国内にいない以上、決断しても無駄だ。結局は八方塞がり。四面楚歌なのであった。
そんなときに彼のもとを訪れたのは、国内に残る数少ない味方であるフローラだった。
王族ももはや一枚岩ではない。ジョルジュの退位を求める勢力は、既に王太子グレゴリーを味方につけている。さらに王妃ミレーヌも、実家の方針で敵に回っていた。残る味方は政略の道具に使われることを嫌うフローラしかいない。
親子が敵味方に分かれるのを好まないジョルジュは彼女の存在を嬉しく思う一方、自身の重しにもなっていると感じていた。仮にジョルジュが退位を決意した際、フローラは間違いなく反対するだろうからだ。
「お父様」
「おお、フローラか。どうした?」
「わたし、決めました」
フローラは今までにない決然とした面持ちでジョルジュの前に現れた。ついに彼女までも鞍替えをするのか、と身構えていると、意外なことを口にした。
「わたし、魔族に降伏します」
「なっ!?」
突然のことにジョルジュは狼狽する。フローラの発言はあまりにも唐突すぎた。だがこのことは彼も考えていないわけではなかった。むしろ、今ある選択肢のなかで最も現実的とさえいえる。ちなみにジョルジュが目指すのは、
一、王国の存続
二、自身が王位に留まること
三、教会からの影響力の排除または低下
であった。このうち教会に与すれば二と三が達成されず、魔族につけば一と二に不安がある。こういう場合、交渉次第であるのだが、教会に関してはテコでも動きそうにない。となると活路を求めて魔族にあたるのは自明の理だ。狙い目は、先に挙げた条件が盛り込まれた条件つき降伏。教会へ顔を立てるためにも、勇者の返還も達成できればベストだ。
そこまで計算していたのだが、ジョルジュはどうしても踏み切れなかった。それは国内の貴族たちが間違いなく反対するし、完全な負け戦で条件つき降伏など難しいからだ。本来なら無条件降伏ーーできれば御の字で、有無をいわさず蹂躙されていてもおかしくない。何か勝算があるのか、と期待を込めてジョルジュはフローラに訊ねた。
「そなたの考えはわかった。だが、魔族とどうやって交渉するつもりだ?」
「こちらは敗者。敗者は勝者のもとを訪ねるものです。地下通路を通って外へ出て、魔王に会います」
「ふむ……」
ジョルジュは考え込んだ。言われてみれば目から鱗である。彼は自分が動くという選択肢を最初から考慮していなかった。国王の座にすっかり慣れてしまっていたようだ。
疑問がひとつ解消されたところでもう一点、彼には訊ねたいことがあった。
「では条件はどうする?」
「王国の存続は絶対です。それと麗奈の返還ですね。こちらは教会に恩を着せるために。これなら王国は『我が身を犠牲にして魔族の魔の手から勇者を救った』として言い訳ができます」
「なるほど。勇者の件はわかった。では王国が存続するにはどうすればいい?」
「お父様が在位し続けることです。お兄様は貴族たちーーひいては教会に取り込まれています。もしそのようなことになれば、焦って教会に同調し、本当に国を滅ぼすことになりかねません。ここは沿岸部を割譲した上で臣従するべきでしょう」
「……」
ジョルジュは驚いていた。フローラがこれほどの切れ者だとは思っていなかったからだ。だからついこんなことを考えてしまう。
「そなたが王になる手もあるかもしれんな」
「それはできません」
王族ならつい考えてしまうことーー王位に就こうとして政争が起こった事例は枚挙にいとまがないーーだが、フローラはきっぱりと断った。
(やはり政治には興味がないのか……)
と残念に思っているが、その考えはやや的外れであった。というのも、
「わたしは魔王のもとへ参りますから」
フローラはそれができない立場になるからだ。『魔王のもとへ参ります』ーーそれは魔王のところへ行ってくるという意味で違いはないが、帰ってこないということ。だから正しくは嫁ぐという表現が正しい。
これを聞いたジョルジュは開いた口が塞がらなかった。
「お、お前は政略結婚が嫌なのではなかったのか?」
今まで色々と婚姻話を持ちかけては、にべもなく断られてきた。政略結婚は嫌なのだと思っていたのだから、まさかフローラの側からそれを望むとは思ってもみなかった。
驚くジョルジュに対して、フローラは顔色ひとつ変えずに答えた。
「王族なのですから、政略結婚からは逃れられません。それはわたしもわかっています。ただ、どうせやるなら一番大事なところでやりたかったのです」
「それが今だと?」
「はい。今なら『亡国の危機を救うため魔王にその身を差し出した健気な姫君』として後世に名が残るでしょうし」
「……もしそのつもりならこのやり取りは歴史に残せぬな」
フローラの言い方にジョルジュは苦笑する。だが彼らの方針は決まった。
その夜、フローラは密かに城を脱出して魔族の陣地へと向かった。警備をしていた人魔種に見つかり、事情を説明してジンと会見することができた。




