おびき寄せられた獲物
Q,今日は何の日?
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ここで教会のカラクリを説明したい。人間たちの信仰を一手に集める超巨大宗教組織はどのように成り立っているのか、ということについてだ。
もし一切の嘘偽りは許されないとする。その上で神託とは何か。そのような問いを信者に投げかければ、『神のお告げ』と返答されるだろう。しかし高位の聖職者は異なる。彼らがいう神託とは、彼らが作り出したものである、と。
そう。神託は教会が起こると予見したことを発表しているだけにすぎない。実際に神から何かしらのお告げがあるわけではないのだ。神と交信できるという聖女もデタラメ。教会がピックアップした見目麗しい女の子たちを『あなたがたの娘さんは聖女の資質があります』と幼い時分に引き取り、世俗には一切関わらせることなく教会内部で純粋培養(イライアが魔族に強い敵愾心を抱いているのも教会による教育のため)。そうやって純粋に育った無垢な子どもたちに、見る人が見れば容易に看破できるトリックーー魔法で光を生み出し、声を反響させるだけーーで神託を演出している。もはや詐欺にも等しい手口で信仰を集めているのだ。
そしてこのカラクリを麗奈は知らない。教会の上層部にとって、勇者は戦力であって味方ではない。ゆえに秘中の秘ともいえるカラクリを教える必要はないのである。
それはともかくとして、教会が信仰を集める理由のひとつは神から下される神託だ。肝心の神様など教会は何も知らないわけであるが、代わりに穴はないといえるほどの濃密な諜報網がある。これにより様々な動静を掴み、神託として発表していたのだった。
ジンが密貿易商人を使って流させた偽情報もまたこの網に引っかかり、教会の上層部を震撼させていた。
「なにっ! 魔族が!?」
「はい。南の亜人大陸へ交易に向かっていた船が航路を誤って魔大陸に接近しました。幸い潮目が変わって脱出に成功したそうですが、その際に沿岸に集結する多数の船と魔族を目撃したとのことです」
諜報担当の司祭が教会幹部に仕入れた情報を報告する。すると場がどよめいた。その報告が本当なら、人間族は魔族の侵略の危機に瀕していることになる。由々しき事態だ。幹部たちは近くの者と対応を相談し始める。
「それは真か?」
ガヤガヤと騒がしい中、しかしその声は不思議とよく通った。声の主は現教皇であるインノケンティウス99世。この場にいる者の中で最年長であり、年相応の風格を備えている。その視線は司祭に向けられており、もの凄い圧がかかっていた。
「は、はい。確かな情報です」
答える司祭の声は震えていた。まだ経験が圧倒的に不足している彼は、そう答えるだけで精一杯である。インノケンティウス99世は少し間を置き、やがて深く頷いた。
「なるほど。ならば急ぎ対応せねばなるまい。この地を魔族という汚れた種族に足を踏み入れられてはたまったものではない」
「そうですな」
「その通りです」
「魔族どもを滅してやりましょう!」
インノケンティウス99世か立場を明らかにすると、幹部たちは雪崩をうって賛成を表明する。かくして教会が主導する魔界侵攻計画は実施が繰り上げられた。教会領、ボードレール王国からかき集められた軍勢は総勢二百万。船舶五千隻。それらが魔大陸に近い場所に駐屯し、切り札たる勇者の帰還を待ちわびるのだった。
この時点で、人間側はジンが撒いた餌にまんまとおびき寄せられたのである。
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所変わって魔界。マリオンの差配によって東州へと魔族の軍勢が集まっていた。ジンによる絶対的な支配が及んでいるおかけで、動員数は過去最高の十万となっている。
しかしマリオンに油断はない。使い魔による偵察で、人間軍は百万に迫る大軍を集めていることがわかっている。かつての彼ならば魔族に敵う人間はいない、と高をくくっていただろう。しかしジンという己以上の強者と出会い、ジンが油断も慢心もすることなくーーというより戒めーー鍛錬を積んでいることを知るに及んで、その価値観を改めていた。たとえどんな相手だろうと油断しない。それが劣等種である人間だとしても。
「さて、魔王様のご指示通りに軍を遅く集めたことで人間もかなりの数を揃えたようだが……。これからどうするおつもりなのでしょう?」
「あら。マリオン様は魔王様のことをお疑いなのですか?」
魔王軍の本陣にて、難しい顔で腕組みしたマリオンがそんな言葉を漏らす。するとマルレーネが艶然と微笑みながらその言葉の真意を問うた。
「いや、そういうわけではないが……」
咄嗟に否定したマリオンだったが、その言葉は尻すぼみになる。ジンを疑ったことなどない。だが、ジンに負けた日から万事慎重を期すようになった彼は、大丈夫とは思っていてもついついそのような言葉が溢れるのだった。
一方のマルレーネは余裕の態度を崩さない。百年もの歳月を種長として政治の世界に生きてきたマリオンは、その目に絶対の自信がある。だが今の彼女の態度が虚勢とはとても思えなかった。
いうまでもなく二人はジンの信者である。その二人がこれほど違う反応を示すのは面白い。ちなみに今のところジンの信者は四人。マリオン、マルレーネ、アンネリーゼ、ユリアの四人だ。
この場には七人の人物が詰めている。先の二人に加え、アベル、ティアラ、オルオチ、クワメ、キタサンである。要は種長大集合だ。なにせ改革から一年と経っていない。にもかかわらず万の軍勢を指揮できる生え抜きの指揮官など生まれるはずがなかった。
「魔王、こない」
ここで声を発したのはクワメ。信者でない彼は、ジンを無条件に信じることはできないでいた。口調こそ平静だが、戦場に総大将が現れないとはどういうことなのか、とその裏にある憤りを隠せていない。そしてそれを見逃す信者たちではなかった。マリオンとマルレーネがクワメを睨む。
「ひっ!」
それだけでクワメは萎縮してしまった。特にマルレーネは笑みを崩していないのに迫力がヤバイ。本能で危険を察知したクワメはすぐさま視線を逸らす。そして忍の一文字でこの場を切り抜けることにした。
「クワメ殿。大丈夫だ。魔王様はすぐにやってくるさ」
爽やかに言うのはオルオチ。実はこの間の違法奴隷摘発の件に関連して、彼はジンのお世話になっていたのだ。
解放して保護された違法奴隷にはいくつかのグループがあった。一番多かったのは攫われた人間女性。ところがそれに負けず劣らず、人魔種や緑鬼種などもいたのだ。そしてその中にはオルオチの想い人も含まれていた。彼女は(緑鬼種としては)見目麗しく、種族内ではとても有名だった。噂が広まれば、オニャンゴに召し出されるのはある意味必然だっただろう。ところが人間の女を見慣れていた彼は、あまり美しいと思わなかった。そのためヤル気もすっかり萎え、一度も抱かれることなく飼い殺しにされていたという。オルオチもそのことは知っていたが、種長に逆らうなど自殺行為。さらに助け出すのは至難の業だ。それでもチャンスがあれば助けようと、その機会を虎視眈々と狙っていた。そんな折に魔界一日戦争が勃発する。オルオチも兵士としてその戦いに参加したが、ジンの一撃によって気絶。しばらく目を覚まさなかった。
オルオチが眠りについている間に事態は大きく進展していた。緑鬼種は戦争に敗れた。長老たちは自分たちの行い(違法奴隷のこと)が露見しないよう、オニャンゴが所有していた奴隷たちを分散して引き取っていたのだ。オルオチが種長となっても、なって日が浅く信用されていないのか。具体的な内容については教えてくれなかった。オルオチも八方手を尽くしたが、既に形成されている関係に割って入ることはできなかった。ジンからの指令を受け、一般奴隷をなくそうとしていたのも、周りが非協力的だった要因かもしれない。
もうダメか……。そんな弱音が顔をのぞかせたところで、彗星のごとくジンが現れた。彼はたったの数日で、オルオチがどうやっても見つけられずにいた想い人を見つけ出してしまう。ちなみに想い人は現在、オルオチの妻となっている。恋は見事に成就したのだった。めでたし、めでたし。
このような経緯があり、オルオチは信者レベルではないものの、ジンに対してかなりの信頼を寄せていた。
「そういうものかな?」
オルオチの意見に対してやや懐疑的な意見を述べるのはキタサン。彼は先代のようにジンを完全否定しているわけではないーーむしろ統治者としての力量は認めているーーが、実戦における手腕は未知数であるために全幅の信頼とまではいかない。疑うのも無理はなかった(マリオンが馬魔種に対してとった作戦がジンの発案であることは当事者しか知らない)。
信者二人の視線が間髪入れずに突き刺さるが、それなりに政治の世界にいたキタサンはスルーすることができた。
「ティアラ殿はどう思う?」
「わからん」
意識を他に向けようと、キタサンが何気ない話題提供を装ってティアラに水を向けた。ところがティアラはバッサリと切り捨てる。武人気質な彼は寡黙で、元々口数が少ない。また非常に合理的で必要のない会話はしないようにしていた。彼に言わせれば、ジンがきたらきた、こないならこない。その結果がすべてであり、特に必要もなく行動を予測することに意味を見出せなかったのだ。
こうも豪快に会話をシャットアウトされるとはさすがのキタサンも予想外であった。少し付き合えばそのようなことはわかるのだが、内向きのことばかりしていたせいで種長たちの情報には疎いのが現実だった。さらにいえば彼自身がジンに近い立場にいるため、仲間内から敬遠されていた。そのせいでこれらの情報が入ってこないのだ。もし種長の性格に明るい者が側近にいれば、この場で迂闊にジンを貶したとも取れる発言はしなかった。
選択肢を間違えたキタサンに、信者たちの圧力がのしかかる。お前、話題を逸らそうとしていただろ、と。
答えに窮したキタサンは最後の希望とばかりに最後に残ったアベルを見やる。
「魔王様のお心のうちは、この凡人には理解できぬよ」
だが無情。アベルは先の反省を活かし、ジンを称えたと取れる発言で誤魔化した。
ついに最後の命綱が断ち切られた。あとは信者という名の魔物の顎門へ落下していくーーかに思われた。
「どうしたのですか? お父様にマルレーネ……さんも、そんな怖い顔して」
現れたのはアンネリーゼ。途端に全員が畏まり、その場で跪いて最上級の礼をとる。
一方のアンネリーゼは直前に見た光景ーーキタサンに対してマリオンとマルレーネの二人が詰め寄る光景ーーに目を丸くしていた。マルレーネへの敬称が出てくるまでにあった間は、彼女を警戒しているから生じたものだ。ハネムーンの折にジンに色目を遣っていたことを、アンネリーゼはよく覚えていた。彼女の中でマルレーネは要注意人物との位置づけである。警戒ーーある意味で敵愾心を抱いている相手に敬称をつけることは、根が素直なアンネリーゼには難しかった。
だがそんなことは些事。大事なのはこの場に第三者が現れたことだ。キョトンとして、可愛く首をかしげる彼女の存在は追い詰められていたキタサンには救いの女神が現れたようなものだった。ところが、
「アンネリーゼ。実はキタサン殿が魔王様のことを疑っているのだ」
「話を聞きましょう」
マリオンのひと言により、アンネリーゼの表情が引き締まる。まるで親の仇でも見るかのような鋭い眼差しでキタサンを見ていた。形勢は傾いた。信者側へ。
この後、キタサンとクワメは離反の心がないことをアンネリーゼに誓わされた。曰く、国内問題については自分で対処したいのだそうだ。人間との対決を控えている以上、国内のことでジンの手を煩わせるわけにはいかないという。その表情は父親であるマリオンも見たことがないほど決然としたものだった。口にこそしないが、絶対に意見を変えないという決意が込められている。
「必要とあれば実力行使もいといません。……いいですね?」
「はい……」
「わかった……」
ドラゴンでさえ圧倒してしまいそうな威圧感を纏い、灼熱のマグマさえ凍りつかせそうな冷たい視線を受け、キタサンとクワメは神妙に頷いた。話に聞くジンはもとより、アンネリーゼにも勝てないだろうと、二人はーーというよりこの場にいた者全員が肌で感じた。これにはさすがのマルレーネも、その笑みを引きつらせていたとか。
A,天皇誕生日
祝日になっていますし、みなさんご存知でしょう。生前退位が決まってから『平成最後の〜』という文言が流行りましたが、それに従えば『平成最後の天皇誕生日』となりますね。時代の移り変わりを感じます。
次回の更新はクリスマススペシャルということで、明日24日となります(番外編+本編)。定期更新も行いますので、よろしくお願いします!




