そのころ、勇者はⅢ
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旅立ってから数日が経った。麗奈たちは立ち寄る村々で困らされているモンスターはいないか、と質問する。そして対象となったモンスターをデストロイして回るという旅を送っていた。おかげで勇者の株はうなぎ登りである。
彼女たちがまず討伐に向かったのは北のホワイトグリズリーだ。理由はずっと陸地にいるから。他は水中や空を移動するため、一番難易度の低いーー戦い慣れているーー陸地にいるホワイトグリズリーが標的になったのだ。古参のスティードに言わせると、船に乗って戦わなければならないクラーケンなどまだ早い、とのこと。もっともである。
ホワイトグリズリーがいるのは森に程近い岩山。そこを寝床に、森の動物(モンスター込み)を狩ったり、川の魚(モンスター込み)を狩ったりして生活している。生態は熊に近い。
麗奈たちは岩山近くに馬車を停め、守備を騎士の一部に任せてホワイトグリズリー討伐に向かった。
縄張りへ異物が侵入したのを悟ったらしいホワイトグリズリーは両の足で立つ。そうして麗奈たちを待っていた。
その姿はまんま白いグリズリー。ただしその巨体(十メートル)ゆえに威圧感は半端ない。
気圧される勇者パーティー(スティードを除く)。彼らも戦闘に関してはかなりの場数を踏んでいたが、自分より大きな敵を相手にした経験は少ない。そのため少なからずびびっていた。
そして動物というものは得てして人間の感情に敏感だ。ホワイトグリズリーもその例に漏れず、麗奈たちの怯えをしっかり感じ取っていた。そして、
ーーグラァァァッ!
慈悲はない、とばかりに襲いかかる。一方の勇者パーティーも、怯えこそあれ、モンスター相手に戦ってきた。条件反射的に身体が反応する。
「ジュリアン!」
麗奈が名前を呼べば、ジュリアンもまた心得ているとばかりに大盾を構え、腰を落とす。
「馬鹿者! 下がれ!」
スティードの叱責が飛ぶも、遅い。振るわれたホワイトグリズリーの腕は、大楯を構えたジュリアンを吹き飛ばした。
「うわぁっ!?」
高々と舞い上がったジュリアンは綺麗な放物線を描き、二十メートルほど飛翔。そしてドサっと、中身の詰まったゴミ袋を投げ捨てたときのような音とともに地面へと落下した。
しばし呆然とする勇者パーティー。盾役がこうも簡単にやられるとは思いもしなかった。麗奈とアルフォンスーー特にアルフォンスーーには緊張が走る。吹っ飛ばされたジュリアンはピクリとも動かない。これはつまり、かなりのダメージを負っている証拠。盾を持っているジュリアンでさえあれなのだ。盾を持っていない自分がやられればーー命はないだろう。
(これが、四獣の力か……)
圧倒的な力の差を目の当たりにしたアルフォンスは恐怖で身がすくむ。そしてその大きな隙を見逃すほど、ホワイトグリズリーは優しくない。
ーーグラァッ!
次の獲物はお前だ、とばかりに襲いかかるホワイトグリズリー。再びその凶悪な腕が振るわれるーー。
「ひっ!?」
すっかり萎縮してしまっていたアルフォンスはその場に縮こまることしかできない。だがそれは悪手である。言うまでもなく、止まった目標ほど狙いやすいものはない。ホワイトグリズリーの巨腕がアルフォンスを襲うーー寸前、麗奈が盾を構えて割り込む。ホワイトグリズリーの攻撃が直撃。麗奈はホームランされたボールよろしく吹き飛ぶ。いささか飛びすぎだ。心配になるが、大丈夫。なぜなら勇者だからーーではなく、わざと飛ばされたからだ。ジュリアンとは違い、わざと大きく飛んでいる。そうすることで衝撃を受け流したのだ。
「けほっ。こほっ……いったーい」
麗奈は多少咳き込んでいるものの、文句が出るほどの余裕がある。大丈夫そうだった。
アルフォンスはそんな麗奈をじっと見て、思う。
(ボクのために危険を顧みず……。こ、今度はボクが助ける番だ)
ここにまた麗奈の信者が生まれた。
ーーグラァァァッ!
と、そこへホワイトグリズリーの咆哮。それはまるで『オレのこと忘れんな!』と主張しているようなシチュエーションとタイミングだ。
麗奈は素早く起き上がり、剣を構えてホワイトグリズリーと対峙する。
「イライア! 回復お願い!」
「は、はいっ! 癒しの光をーー【ヒール】!」
ピカー、と光が麗奈、アルフォンス、ジュリアンの三人に降り注げば、たちまち擦り傷、切り傷その他の負傷が治る。もちろん体力も全開だ。
「よしっ! 行くわよ!」
気合いのかけ声とともに吶喊する麗奈。爆発的な加速をし、一気にホワイトグリズリーへと肉薄する。ホワイトグリズリーもその巨腕による強烈なパンチで迎撃しようとした。しかしそれは素早く動く麗奈を捉えられなかった。さらにその巨体ゆえの鈍重さのため、彼女を捕捉し続けられずにロストしてしまう。
「やあっ!」
そうして生まれた死角から麗奈は斬りかかった。彼女によって振るわれた剣は、ホワイトグリズリーの背中を深々と斬り裂く。
ーーグラァァァ!?
痛みに悶絶するホワイトグリズリー。慌てて振り返るも、そこに麗奈の姿はない。どこへ行ったーーとホワイトグリズリーが考えたかはわからない。ただひとつ言えるのは、死角から忍び寄った麗奈がホワイトグリズリーの腕を半ばから切り落とした、ということだ。
ーーグラァァァッ!
自慢(?)の腕を切り落とされたことで怒り狂うホワイトグリズリー。コマのように回転し、残った腕を振るう。体重に遠心力が乗った一撃だ。喰らえばひとたまりもない。
怒りに任せて無造作に振るった腕は、たまたまその進路上に麗奈がいた。ホワイトグリズリーもその優れた動体視力によって彼女の姿をしっかり捉えている。その顔にニンマリと笑みが浮かんだーー気がした。
ホワイトグリズリーのラッキーパンチを、しかし麗奈はこれまでの回避の方針を捨てて剣を構え、迎え撃つ姿勢を見せる。
「やぁぁぁッ!」
大上段から振り下ろした剣はスパン、とホワイトグリズリーの残りの腕を切り飛ばした。
ーーグラァァァァァァッ!
一際大きな咆哮。そして両の腕を失ったホワイトグリズリーは倒れ伏す。それはまさしく敗者であった。腕を失っているため立ち上がることもできない。
「みんな、攻撃よ」
麗奈の号令の下、パーティーメンバー全員にボコられるホワイトグリズリー。
ーーグラァ
最後は情けない声を残してホワイトグリズリーは息絶えた。
「やった……やったぞ!」
「オラたち、あのホワイトグリズリーを倒したんだ」
「終わったのですね」
「ふう……よくやったの」
アルフォンスやジュリアンはあからさまに大喜び。イライアはホッと胸を撫で下ろしている。スティードもメンバーを労っているが、その声からは安堵の色が窺えた。
メンバーたちがそれぞれにホワイトグリズリーを倒したことを実感するなか麗奈は、
「疲れた〜」
剣を放り、ペタッと女の子座りでその場に座り込む。あ、剣が……というアルフォンスの呟きも聞こえなかったようだ。
「こんなのがあと三体もいるの? もう嫌だ」
サクッと倒したように見えるが、実は極限までの集中を要求されていた。そのため精神的な疲労が大きい。こんな奴らと戦うのは嫌だ、とつい本音が漏れてしまう。
「ダメですよ、勇者様。魔王以下の魔族を殲滅するには四獣くらい倒していただかないと」
そんな麗奈をたしなめるのがイライアだ。普段は常識人で麗奈も頼りにしているのだが、こと教会や魔族が関わると人が変わったように過激になる。普段の包み込むような母性の塊のような彼女はいったいどこへ行ったのかーーと、当初は麗奈も困惑した。今はかなり慣れたが。
「えー。でもさーー」
「『でも』ではありません。一刻も早く魔族たちを殲滅しなければならないのです。早ければ早いほど、魔族によって苦しめられる人が減るのですから」
イライアは熱く、いかに魔族が害悪な存在なのか、また四獣を倒す意義について語った。
曰く、魔族は神に背く者たち。よって神の名の下に殲滅さらなければならない。
曰く、毎年多くの人が死んだり行方不明になっている。死ぬのはほぼ男。行方不明になるのは女子供。さらに被害は魔族が住む島の対岸付近に集中している。これは魔族の仕業に違いない。
曰く、今回は例年より前回の勇者召喚からの期間が空いていない。ゆえに魔族の数も十分に回復しておらず、殲滅するまたとない機会である。そのため四獣を討伐してできるだけレベルを上げておきたい。
それを聞いているスティードたちもコクコクと頷いている。彼らにとっては当然のことのようだ。だが麗奈にはどうしても納得できない。言い聞かされてそうかな、とは思いつつも、もしかしたらわかりあえるのでは、と考えてもいる。このあたりの感覚の差は、グローバル化が進行して異文化交流が進んだ世界に生きていた現代人と、自国文化至上主義の中世人との違いゆえであろう。だがそこは日本人。笑って誤魔化した。
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ホワイトグリズリー討伐が終わると、麗奈たちは西進してビッグホークの討伐に向かった。
王国の西部には大河がある。その両側を固めるように峻険な山脈がそびえ、標高も高い。上流には氷河もあり、一説によればもともと巨大なひとつの山脈だったものが川と氷河によって削られて今の姿になったという。
ビッグホークはその山々を、獲物を求めて飛び回っているらしい。そこで麗奈たちは船で川を遡上しながらビッグホークを探すという作戦に出た。これなら移動も容易だ。ただし川自体は長江並みに大きいため、味方同士の意思疎通に苦労することになったが。
船を出して数日。幸運にも麗奈たちはビッグホークと対面することになった。会えるまで川を上って下ってーーと繰り返すことも覚悟していたが、一発目で会えるとはなんというラッキーだろうか。
ビッグホークは川の上空を旋回している。その名の通り巨大なタカだ。
「奴を相手に船で戦うのは分が悪い! 岸につけろ!」
スティードが叫ぶ。その気迫もあって、船頭たちは本能的に従った。しかし、なおもスティードは叱咤の声を飛ばす。
「馬鹿者! 直線に動くな! 蛇行しろ!」
注文が細かい……そう思った一行だったが、すぐさまその意味を理解することになる。
ーーキィイイイ!
ビッグホークが突如として翼を翻し、目にも留まらぬスピードで急降下! 麗奈が乗る船へと襲いかかった。
船に乗っていた人々は咄嗟に回避。だがその蹴撃によって木造船は二つに折れる。結果、
「キャァァァッ!」
麗奈を筆頭に全員が川へ投げ出される。船頭は身軽で泳ぎが達者だからなんてことはないが、重い鎧を着込んでいる麗奈たちはたまったものではない。
「ちょ、溺れる! 溺れるってば!」
麗奈は必死にもがく。溺れないように。
補足しておくが、麗奈は決してカナヅチではない。水泳の授業もあり、人並みには泳げる。
その彼女がなぜ溺れかけているかといえば、鎧のせいだ。なにせ重いのである。この世界では鉄さえも貴重なのに、さらに希少価値が高く加工が難しい聖銀や神鉄をふんだんに使っている。だから防御力は折り紙つきだが、同時に重量も折り紙つきだった。常人なら動くこともできない。普通に活動できているのは、勇者の馬鹿げたスペックゆえだ。
スティードはある日こう漏らした。『あの小娘を見ていると、真面目に鍛錬するのが馬鹿らしく思える』と。
まさしく至言だ。人々はもちろんレベルによって強い弱いが分けられるが、高レベル同士の戦いではレベル以外の要素ーー経験や勘、技術などーーが重要になる。それは日頃の訓練によってはじめて得られるスキルだ。
だが、麗奈は勇者であり、レベルの変動による能力の上がり方は異常。それによってどのような事態が発生するかというと、スキルなどによる差分をものともしない圧倒的な能力差が生じる。真面目に鍛えている者からすればなんとも理不尽な話である。だからスティードは『馬鹿らしくなる』と言ったのだ。皮肉と自嘲を込めて。
このように麗奈はスティードにとって気持ちのいい存在ではない。だが彼は大人だ。彼女が魔族ーー特に魔王ーーを滅ぼすために必要不可欠な存在であることは理解している。そのためには私心を殺すことだってできた。だから叫ぶ。
「ちいっ! おい! 小娘たちを拾い上げろ!」
もちろん危険な行為である。だがここは大河。足などつくはずがなく、鎧など着ていればすぐに溺れてしまうだろう。むしろ、この状態でわずかでも浮いていられること自体が奇跡的なのだ。
(これも勇者の馬鹿げた力か……)
スティードは心の中でひとりごちる。だが訂正しよう。それは彼女の努力であると。
浮いていられるのはたしかに勇者のステータスゆえだが、それだけでは人間、水には浮かない。ガチムチの筋肉ダルマをプールにぶち込んだとして、必ずしも泳げるわけではないのと同じだ。麗奈が真面目に水泳の授業をこなしてきたがゆえの、努力の賜物である。
「魔法でも弓矢でも、なんでもいい! 上に撃ち上げて、奴を牽制しろ!」
スティードが声を張り上げる。かく言う彼の船は停止し、船員が麗奈たちを引き揚げている。スティード自身は空へと魔法を盛んに撃ち上げる。
「あーっ。死ぬかと思った」
真っ先に引き揚げられた麗奈がひとり言を言う。誰に向けられたわけでもないそれを、スティードは拾った。
「馬鹿者! 文句を言っている暇があったら、早く奴をやっつけろ!」
そして大声で怒鳴る。麗奈はさっきまで溺れかけてたのに酷い言い方、と文句を言いながらも、彼が言い分を聞いてくれないのは理解しているため大人しく牽制組に加わる。
浮遊者全員の救助を終えた船は再び岸へ向けて驀進する。ビッグホークは勇者パーティーの面々が牽制することで封じた。たまに強攻をしかけてくるが、二隻分の船員が乗る船は抜群の機動力を発揮。巧みなターンで回避していく。
そうこうしているうちに船は岸に勢いよく乗り上げた。麗奈は真っ先に岸へ降り立つ。トントン、と地面を踏みしめ、そのありがたみを改めて感じつつ、腰に差す剣を抜き放ち、それを遥か上空を悠々と飛行するビッグホークに突きつけて叫ぶ。
「よくもやってくれたわね! 許さない!」
怒り心頭の麗奈はビッグホークへと果敢に攻めかかる。急降下して下りてきたところを剣で滅多斬り。一閃七撃。剣を一度振ったと思いきや、ビッグホークには七つ傷がついている。お前はどこの上杉謙信だ、とツッコミたいところだ。
ーーキィイイイ
傷の痛みに、ビッグホークはたまらず上空に退避する。だが、
「逃すか!」
人外レベルの身体能力を誇る麗奈は跳躍。無防備なビッグホークの背を逆袈裟に斬り上げる。そして空中で前転し、重力を味方につけた踵落としを見舞う。
背に強烈な攻撃を食らったビッグホークは自由落下の末に墜落する。ダメージは深刻なのか、立ち上がってもフラフラしていて足元がおぼつかない。
その隣へと優雅に着地した麗奈は、剣でビッグホークを滅多斬りにする。ビッグホークを襲うのは麗奈の剣だけではない。魔法も同時に使われている。よくも私を溺れかけにしてくれたな、この怨みは倍ーーいや、百倍返しだ、という麗奈の怨みが炸裂していた。
数分して彼女の連続攻撃ーーいや、一方的なリンチは終わった。ビッグホークの死を以って。
ボクシングのチャンピオンよろしく、拳を突き上げる麗奈。そこにいるのは可憐な勇者ではなく、一体の殺戮マシーンだった。
この場にいる面々ーースティードを含むーーは思った。勇者には絶対に逆らわないようにしよう。絶対に、と。




