ハネムーンⅥ
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ボスドラゴン降伏! その光景を随行人たちは驚いて見ていた。
(((ド、ドラゴンが降伏!?)))
ドラゴンとは最強の存在である。移動する災厄そのもの。ある地方では『暴れ川、親にドラゴンどうにもならぬ』なんていう言葉があるほどだ。かつて、幾人もの勇者が挑み、散っていった。彼らはドラゴンに傷のひとつもつけられなかったという。
そんなドラゴンをジンが下した。随行人たちはジンを崇めた。彼らのなかではジンは既にジンであってジンではない。
魔王。
【選王戦】を勝ち抜いた者に与えられるお飾りの称号ではない。この魔大陸に住むすべての者の代表。圧倒的強者。リーダーである。もはや形骸化していた魔王の座は、再び再定義され、ジンのものとなった。
一方、ボスドラゴンを降伏させて賞賛を一身に浴びているジンはというとーー焦っていた。アンネリーゼが機嫌を悪くしたのだ。自分の出番がなかった、と。ジンの皮算用ではドラゴンを相手にしていれば数回は魔法を使うチャンスがあることになっていた。ところが予想以上に弱く、ただの一撃で降伏してきた。完全に想定外である。
だがジンにだって言い分はあった。あれだけ強いだなんだと吹聴しておいて、あのザマはなんだと。しかしそんなことをアンネリーゼに面と向かっては言えない。だからいじけ、頰を膨らませ、不満を示す愛妻をジンはなだめすかすしかなかった。
「気を悪くしないでくれ」
「知りません。ジン様のバカ」
「そこをなんとか……」
「ふん」
アンネリーゼは視線を背ける。取りつく島もなかった。
『あの……わたしはーー』
夫婦喧嘩を繰り広げるジンたちに困惑したボスドラゴンが声をかける。が、
「お前はちょっと黙ってろ!」
『あ、はい……』
ジンから殺気が飛んだ。愛妻を失うかの瀬戸際に立たされた男の容赦のない殺気。ボスドラゴンはドラゴン界の頂点に君臨するトゥルードラゴンたちを相手にしたときのような絶望感を味わった。勝てない、諦めようーーそもそも戦おうなんて微塵も思わせない、圧倒的強者が出す殺気。ジンはその境地に達していた。ボスドラゴンは即座に口を噤む。触らぬ神に祟りなし、である。
ボスドラゴンを一蹴したジンは、随行者たちにとってはもはや神も同じであった。彼らのなかでジン株が急上昇で天元突破である。
しかし当のジンはそのことなどまったく気にしていないーーいや、眼中になかった。そんなことより、今はアンネリーゼの機嫌をとることが大事だ。何か手はないのか。そう考えたとき、少女漫画のように気障な台詞を吐いてみればどうかと考えた。
(女の子ってロマンチックなシチュエーションに憧れてるっていうし)
ただその場合、ジンはその手の漫画を読んだことがないため、それっぽい台詞を考えなければならない。もしそれが外れたらーー今後の旅は針の筵と化す。
(ええい、ままよ!)
だがこのまま放置するわけにはいかない。ジンは頭をフル回転させて台詞を考え、清水の舞台から飛び降りる気持ちで言葉を紡ぐ。
「ーー実はな、アンネリーゼ」
ジンは真剣な声で話し始める。するとその声に反応して、そっぽを向いていたアンネリーゼはチラリと目をくれた。
「余はそなたにカッコいいところを見せたかったのだ」
アンネリーゼは大きな反応を示さない。だが耳をそばだてているようだ。ジンはいける、と確信してさらに言葉を重ねた。
「ドラゴンといえば最強の存在。それを倒して見せることで、そなたの歓心を買おうとしたのだ」
「……それは私の愛を疑っておられた、ということですか?」
「違う。疑ってなどいない。だが、男とは欲深い存在でな。そなたが他の者には目もくれないほど、余だけに夢中になってほしかったのだ」
「……」
「今回の件はすまなかった。埋め合わせに、今度、どこかへ狩りへ行こう。そこで夫婦の仲を確かめようではないか。だから今回ばかりは許してくれないか? 今後は気をつけるから」
ジンは言葉を弄したものの、誠心誠意頭を下げた。思えば、この世界にきてから初めて頭を下げたかもしれない。
そんなジンの請願にアンネリーゼは、
「……許しません」
「え?」
ジンがこの世の終わりのような顔をする。
「今回の件は許しません。ですが、狩りに行くというご提案は了解しました。なので、それが行われるまで許しません」
アンネリーゼは恨みがましい言葉とは裏腹に、晴れやかな表情をしていた。どうやら少女漫画作戦は成功したようだ。条件はつけられたが、言い出しっぺはジンである。たとえマリオンにどう言われようと、魔王の名にかけて断固決行するつもりだ。
だから述べるべきはこのひと言。
「ありがとう」
「いえ。私もご無礼をお許しください」
「何を言う。約束を破ったのは余だ。怒るのは当然だ」
ジンとアンネリーゼは見つめ合う。そしてどちらからともなく笑う。完全なラブラブ空間を作り出していた。おそらく彼らの周りの空気は砂糖のように甘いのだろう。一番近くにいるボスドラゴンはげんなりしていた。
「いいなぁ……」
随行人のメイドのひとりが声を漏らした。ここでジンたちはようやく注目の的になっていることに気づく。アンネリーゼは赤面した。ちょっと他人には見られたくない姿を見せてしまったからだ。しかしジンは魔王モード発動。鉄仮面のようなポーカーフェイスで随行人たちを見る。そしてボスドラゴンで視線を止める。
「そういえばそなたの話をしなければな」
何事もなかったかのように話題を転じる。随行人たちからすれば妻を優先し、ボスドラゴンとの話し合いを些事と後回しにしていたジンの姿勢を賞賛した。彼らからすると大事も、ジンの前では些事になる。ゆえに偉大な指導者だと。普通に考えれば愚かしいことなのだが、ジンは既に偉人と化している。偉人の愚行はつい見逃されたり、立派なことだと見なされがちである。今回のジンにも同様のことがいえた。
一方、声をかけられたボスドラゴンはようやく自分の出番だと安堵した。最悪、このまま忘れ去られることも考えていたのだ。
「それで、降伏するとのことだが、余の支配に服するという解釈で合っているか?」
『はい。それはもちろん』
「そうか。ドラゴンの長よーーいや、配下にこのような他人行儀な呼び方は好かんな。名はあるか?」
『いえ、ありません』
「ならば余が名づけよう。ドラゴンの歴史と栄誉を尊重して、そうだなーーブリトラ、というのはどうだ?」
『ブリトラ……わたしは、ブリトラ……』
ぶつぶつと口の中で名前を連呼する。ソムリエが評価対象をじっくり吟味するように、ボスドラゴンもまた名前を連呼して吟味しているらしい。そして、
『素晴らしい名前です』
と受け入れた。
「よろしい! ではそなたは今日、たった今から魔竜ブリトラだ」
『魔竜?』
「魔王国に棲むドラゴンだから魔竜だ。二つ名のようなものだが、悪くはなかろう?」
『ありがとうございます』
ボスドラゴンーー改めブリトラは深々と礼をした。
「さて、では本題に戻ろう。ブリトラよ。余がそなたらに求めるのは魔王国への服従と、周りの者に危害を加えないことだけだ」
『わかりました』
ブリトラは頷く。
「とはいえそれだけでは一方的すぎる。ゆえにそちらにも利益供与をしよう。そなたらが約束を守る限り、一定数の食事の世話はしよう。魔物の肉などを提供する。どうせ人里に下りてきたのも、食料を求めてのことだろう?」
『よくおわかりで。はい。その通りです。基本的に食料がなくなってしまった場合のみ、人里に下りて糧を得ていました。なかには人間を狩るために行った者もいたようですが』
「そのような無法者はそちらで取り締まれ。もちろん、人里に害意を持って現れた場合は容赦なく討伐する。逆にそなたらの領域に人が理由なく侵入した場合も同様に処分してくれて構わない」
ジンはこれくらい配慮すればドラゴンたちも必要に駆られての悪さはしないだろう、というくらいの感覚だった。しかし食糧問題は当事者たちにとっては深刻である。彼は少しばかりその認識が甘かった。
『敗者であるわたしたちになんとありがたいご提案……。ありがとうございます。わたしたちはジン様に永遠の忠誠を誓います!』
「はははっ。そんな大げさに捉えずともよい。安心せよ。余は人魔種ゆえに先は短いが、妻のアンネリーゼは吸血種。そなたらからすればほんの一瞬かもしれぬ。それでもあとしばらくは困窮せずに済むはずだ」
『ありがとうございます。ありがとうございます……』
ブリトラはひたすら感謝の言葉を述べる。狩りが不調のときには人里を襲ってどうにか食いつないでいたが、それでも数頭は餓死してしまっていた。だがジンからの支援を受けられれば事情は大きく改善する。やるせない思いをする必要もなくなるかもしれない。
だがふとブリトラは考えた。このままでいいのかーーと。人里を襲わない代わりに食糧を援助されるということだが、それでも自分たちの利益が大きい。それがかえって不安を煽った。いつ、ジンが自分たちを排除しようとするかわからない、と。さらにいえば、現状、彼に抗うことはできない。一度浮かんだ疑念は晴れなかった。そこでブリトラは対策を打つ。
『格別のご配慮、ありがとうございます。ですが、恩を受けてばかりではわたしたちの気がおさまりません。ですので、今後はジン様にお力添えをしたく思います。わたしの子を連れて行ってください』
そう言ってブリトラは近くのドラゴンに小さく吼えた。するとそのドラゴンはどこかへ飛んで行き、少しして中型のドローンのような大きさのドラゴンを連れて帰ってきた。
『わたしの子です。ほら、挨拶せよ』
『キュイ』
チビドラゴンが可愛らしく鳴く。これに反応したのがアンネリーゼ。
「可愛いです!」
その言葉とともに、残像すら生み出す速さでチビドラゴンを捕獲した。そして胸元に抱き、頬ずりする。
『キュイ、キュイ!』
チビドラゴンは嫌がり、激しく暴れる。だがアンネリーゼは一見すると深窓の令嬢だが、その正体は吸血種。高い魔力と身体能力を誇る彼女を、チビドラゴンの力で振り払うことは叶わなかった。だてに最強種族とは呼ばれていない。
『……奥方に気に入っていただけたようで何よりでございます』
ブリトラの声にはいささか呆れが入っていた。
『キュイ!?』
チビドラゴンが『お父さん、裏切った!?』というかのように鳴く。そんな二頭にジンは心の中でひと言。
(すまん)
と詫びた。そのお詫びに、というか、便宜上の観点からチビドラゴンにも名前をつけようと提案したジン。真っ先に賛成したのはやはりアンネリーゼだった。彼女はまだ誰も了承していないにもかかわらず、あれこれと名前を提案する。
「ドラゴンだから、ドラちゃん」
(おい)
それは耳のない某猫型ロボットの呼び名だ、とジンは心の中で突っ込む。
『キュ』
チビドラゴンも却下、と首を振った。
「なら、マーちゃん」
(それは魔竜からとったのか?)
ならそう呼ばれるのはブリトラではないのか、という疑念を抱くジン。チビドラゴンはもちろん却下した。
「じゃあ、じゃあ、ちっちゃい魔竜でチマちゃん」
『キュイ』
チビドラゴン、一顧だにせず却下。
「コマちゃん」
『キュイ』
お気に召さない、ようで却下。それからしばらく、アンネリーゼは名前を提案し続けたが、チビドラゴンはすべて却下してしまった。
「ジン様ぁ」
「あ〜、よしよし。泣くな、アンネリーゼ」
「泣いてません」
(いや、そんな風にぐずりながら言われても……)
説得力ゼロである。とりあえず頭を撫でて落ち着かせた。
『ジン様。お名前をお願いします』
結局、名づけはジンがやることになった。ドラゴンの名前を適当に思い出し、
「ティアマト、というのはどうた?」
『キュイ』
納得したようにチビドラゴンは頷く。ティアマトは好みにうるさい、我儘な子のようだ。
『ではわたしの子、ティアマトをジン様にお預けしたく思います。わたしたちのお力が必要なときはこの子を遣わせてください。すぐさまご助力いたします』
『キュイ』
ティアマトはよろしく、とでも言うように片翼を上げる。そしてパタパタと羽ばたき、ジンの肩に着陸した。その体は親譲りの暗紫色。小さいながらもドラゴンの風格を備えている。まさしく魔王が使役するに相応しい。
「よろしく頼む、ティアマト」
『キュイ!』
ジンが呼びかけると、ティアマトは嬉しそうに鳴いた。
「私もよろしくお願いしますね」
『キュ』
嫌だ、とばかりにアンネリーゼから顔を背けるティアマト。どうやら本格的に嫌われたようだ。彼らが仲良くできる日はくるのであろうか。
そんなわけで、ジンたちの旅にティアマトが加わった。




