ハネムーンⅤ
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北東州へは竜山山脈とよばれる山を越えていく。ドラゴンの縄張りになっていることからそう名づけられた。危険なため、ここを通るのはあまり表に出たくない悪党だ。そしてドラゴンに見つかってご臨終、というパターンが多い。その証拠に山道にはところどころに武器や防具、財宝の類が落ちている。もちろん死体も。それらを片づけながらジンたちは進んだ。
「ドラゴンはいませんね」
「そうだな。麓の村人の話ではそろそろ現れてもいいころだが……」
アンネリーゼの言葉にジンも首をかしげる。だが余裕なのはこの二人だけで、あとの随行人たちはドラゴンに怯えきっていた。常識からすると、ドラゴンと戦うなど自殺行為である。ドラゴンは最強であり最凶。何者も敵わないーーそれが彼らの常識だった。いくら魔王でも例外ではない。
しかしジンをここに送り出したマリオンや、彼からジンの話をよく聞いているアンネリーゼは違った。実際に戦ったマリオンはその強さを体感している。ジンならば痛手を負うことはないだろう。あるいは本当にできるかもしれないーーそう考えたのだ。
そしてアンネリーゼはジンが負けるなど少しも考えていなかった。それは身内贔屓と思われかねないが、彼は何があろうと毎朝早起きして鍛錬をしている。そして聞いている戦場での圧倒的な戦いぶりーー【選王戦】については彼女も見ていたーーから、彼が負けるわけがない、と結論づけたのだ。
さて、しばらく歩いても一向にドラゴンが現れる気配はない。気づけば山道も半分を過ぎていた。随行人たちが密かに安堵していた。もしかするとドラゴンと戦わなくて済むかもしれない。密かな期待が膨らむ。ーーだが、それを無視するのが魔王というもの。
「焦れったい。こないというのなら呼びつけるまでだ!」
そう言って彼は莫大で濃密な魔力を投射した。耐性のない者なら失神しかねない。魔力とは強さのひとつ。相手に向ける量が多ければ多いほど自らの強さを誇示することになる。そしてそれは最大級の挑発となるのである。それを敢えて軽く行うーー他人にとっては自分何十人分の魔力だがジンにとっては一パーセントにも満たない量であるーーことでドラゴンに言ったのである。『かかってこいや』と。ジンの狙いは的中し、
ーーGRuuuuu
ーーGRyyyyy!(ナメんじゃねぇぞ!)
ーーGRaaaaa!(身の程を知れ!)
といった具合に、怒り心頭のドラゴンたちがわらわらと現れた。随行人たちは圧倒的な強者を前にして、生物的な本能からすくみあがる。そして心の中でジンを呪った。
(((魔王様! なんてことをしてくれるんですか!)))
彼らはジンがどういう経緯でドラゴン討伐に赴くのかは知らない。だがいくらなんでも自ら進んで戦うことはないだろうと考えていた。それが彼らの常識だったから。竜山山脈へ行き、ドラゴンと会えば適当に戦いつつ逃げて『やっぱ無理だった』と言う。会わなければ『会えなかった』と言えばいい。誰だって彼を責めることはないだろう。ドラゴンに挑むなど無謀の極みなのだから。もし責めれば『ならお前が行け』ということになってしまう。誰もそんなことはご免だ。なのに彼は自らドラゴンを呼び寄せた。それは常軌を逸した行動である。
一方、ドラゴンたちを挑発して、彼らのヘイトを一身に集めているジン(素)はというと、
(恐え。ドラゴン超恐え。俺勝てるのか?)
ビビっていた。最近、素の状態でも魔王的な態度が板についてきたジンであったが、まだまだこういった場面では小市民になる。立っていられるのは彼の腕を抱えているアンネリーゼの存在だ。愛妻に無様な姿は見せられない、という男の矜持である。
だが魔王としてのジンは余裕綽々。居並ぶドラゴンたちを睥睨している。それは自身が上位者であることを知らしめるかのようだ。
「ふむ。空飛ぶトカゲどもがうるさいな。少し黙れ。ーー【保護】【爆音】」
ーードカン!
まるで爆弾でも爆発したかのような爆音が轟く。すると爆音を初めて聞いたドラゴンたちは驚いて慌てふためき、姿勢を崩して墜落する個体が相次いだ。ジンは予め味方に防護魔法をかけておいたため、ジンたち一行にダメージを受けた者はいない。
ドラゴンたちはさらに怒った。下等種族に、自分たちの聖域である空から叩き落とされたのだ。これほどの屈辱を味わったのは、いかに老齢なドラゴンといえども初めてのことである。憎悪が籠もった目をジンに向ける。だがジンはどこ吹く風。
「お前たち三下では相手にならん。ボスを出せ」
「ですね、ジン様。こいつら、まったく怖くありません」
ーーグサッ!
そんな擬音が聞こえてきそうなほどドラゴンたちのプライドが傷ついた。
『三下』
彼らが下等種族からそんな言葉を使われたのはこれが初めてである。恐怖の代名詞とされた自分たちが『怖くない』。……その評価を容認するわけにはいかない。断じて。
ーーGRaaaaa!!!(舐めるな!!!)
彼らは一斉にジンへと襲いかかった。
「「「魔王様!?」」」
随行人たちが悲鳴を上げる。だがジンは慌てることなく魔法を唱える。
「【イージス】」
この魔法の由来は女神アテナが持つ盾からきたものだ。その名はアメリカが開発した艦隊システムに継承されている。イージスシステムは戦闘において常時百以上の目標を捕捉し、特に脅威度の高い十以上の目標に同時に迎撃を行う。さらに攻撃にも用いられる、いわば万能システム。ほとんど人の意思が介在しないため、迅速に対応可能ーーなんていうことを件の上司のうんちくに付き合ううちに覚えてしまった。マリオンと模擬戦をしていた際、ジンは多方向からの同時攻撃への対処に苦慮した。そこで上司の話を思い出し、編み出したのが戦闘魔法【イージス】だ。これは防御はもちろん、攻撃まで行ってくれる。ジンがやるのは敵味方の定義と移動だけ。あとは勉強だ。この魔法はとても賢く、攻撃対象の弱点となる魔法はジンの手持ちの魔法から自動的に選んで行使する。ただその弱点などの情報はジンから引き出すため、目標について知らなければ有効打が与えられない。このように少しばかりクセは強いが、強力な魔法であることは間違いない。その猛威が今、ドラゴンへ向けて振るわれる。
まずブレスは【イージス】が展開した【バリア】によって防がれる。突撃を仕掛けた個体は【雷撃】によって失神させられた。さらに遠くからチクチクとブレスを撃ってくるだけのヘタレドラゴンたちは【竜巻】によって地面に叩き落とし、【雷撃】で失神させる。これで雑魚ドラゴンたちは片づけられた。手下がやられたらボスが出てくるのは当たり前。RPG的にいえばラスボスの登場だ。
ーーGRuuuuu
先ほどのドラゴンたちよりも落ち着いた、威厳のある息づかい。暗紫色の体はまるで闇から染み出してきたようだ。ジンはこれがこの竜山山脈のボスだと直感した。
『貴様か。我が同胞を害したのは』
「ほう。飛ぶことしか能がないトカゲかと思ったが、言葉を話すか」
『下等種族が偉そうに。我の質問にも答えられぬとは、低脳にもほどがある』
「答えないのは事実と異なるからだ。害した? 心外だな。こいつらは生きているぞ。ブレスをぶっ放して満足しているお前らにはわからんだろうがな。まったく、お前の目は節穴か。最強にして最凶が聞いて呆れる」
ジンはボスドラゴンを嘲笑する。もしマンガであれはボスドラゴンの額には青筋が浮かんでいることだろう。そんなことを言われたのは生涯初めてであろうし。
『ふん。口だけはよく回る。ーー死ね』
ボスドラゴン、怒りのブレス。正真正銘、ボスドラゴンの全力である。あの憎たらしい人魔種の小僧と、その横にいた吸血種の女ともども塵ひとつ残さないほどのブレスを吐いた。……しかしその全力ブレスはジンたちに傷ひとつ、火傷ひとつ負わせられなかった。いうまでもなく【バリア】によって防がれたのである。ボスドラゴンは信じられなかった。
(これは本当に下等種族なのか?)
そんな疑問が生じる。最強の存在であるドラゴンを前にしても余裕の態度を崩さず、あまつさえ挑発までしてきた。虚勢かと思えばそうは見えない。よほど演技が上手いのだと考えれば、圧倒的な力で同胞を地に落として見せた。さすがに無視できず、自分が不意をついて全力の一撃を浴びせるも、傷ひとつ負っていない。
(何者だ?)
思考がグルグルと回る。結論は出ない。結論は出ずとも疑問は尽きなかった。ボスドラゴンが思考の袋小路にはまっていると、
「これだけか? なら次はこちらからいくぞーー【幻爆】」
ジンの魔法が行使された。それは世界の終焉を顕現させる魔法。最上位の幻惑魔法だ。この魔法によって見せられるのは死の光景。世界の終焉へとつながる号砲をその身に浴びればどうなるのかーーそれを限りなくリアルに現す魔法だった。視覚はもちろんのこと、痛覚、触覚、聴覚、味覚を体感する。その苦行ーー常人にはまず耐えられない。しかし常人ならざるボスドラゴンは辛うじて耐えきった。耐えきったが、長い時を生きたボスドラゴンは悟る。この人魔種は今体感した地獄を、その気になればこの世に現出できるのだと。一度は辛うじて逃げられても、ある日突然、なんの前触れもなく地獄を生み出すことができる。こんな理不尽な存在が許されるのか。色々と言いたいことはあったが、今ボスドラゴンが取るべき行動はまず、詫びを入れることである。
『二度と逆らいません!』
ボスドラゴンは生涯で初めて同族以外に降参のポーズをとった。




