ハネムーンⅠ
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かくして旅が始まった。行程は魔都を出発して西州(旧吸血種領)、南西州(旧人魔種領)、島州(旧淫魔種領)、北州(旧牛魔種領)、北東州(旧青鬼種領)、東州(旧緑鬼種)、南東州(旧馬魔種領)と巡り、魔都へと帰る行程が組まれた。七つの州を七日で回るという強行軍だが、もちろんジンに日程を守るという意識は皆無である。アンネリーゼや同行する従者たちも。せっかくのバカンスを楽しんで過ごさないのは損だということもあるが、一番の理由は物理的に不可能だからだ。魔界はなんだかんだで広い。馬車で移動するのに一日なんていう期限は守れっこないのだ。
「はあ、ゆったりとしていていいですね。やはり馬車の旅はこうでなくては」
そんなことを言うのは、真面目に一週間魔界周遊ハネムーンをしようとしているというポーズのために、魔都から見えなくなるまでかっ飛ばしていたためだ。見えなくなればすぐさま速度を落とした。この世界に高度な通信技術は存在せず、魔都から離れれば自由の身だ。ゆったりとしていていい、というアンネリーゼの言葉はこの反動である。
車窓から見渡せる景色を楽しんでいたアンネリーゼがグッと伸びをした。手を挙げた瞬間、ノースリーブのワンピースから脇が覗く。ジンはチラリズムに目覚めていた。そして彼女が手を下ろせば、二つの果実がたよんと跳ねる。こちらは男の習性である。アンネリーゼのことを鑑賞していることはおくびにも出さず、ジンは話を掘る。
「俺はあんまり馬車に乗ったことはないからわからないが、そうなのか?」
「はい。馬で駆けるのもいいですが、こうしてのんびりゆっくりというのが馬車の醍醐味です」
「なるほどな」
たしかにそうだが、前世で車や電車、はては飛行機まで乗った経験があるジンからすれば馬車での旅は少しじれったい。交通手段が発達した世界で生きた弊害だった。
(しかしこんな綺麗な子が俺の嫁なんだよな〜)
ジンは馬車のシートに深々と体を沈め、アンネリーゼを横目に見る。前世に彼女なんていたことのないジンからすれば、これは奇跡のようなことだった。……この幸せのきっかけはクズな女神のミスなのだが。その一点だけ、ジンにとって癪な部分だった。
(ぶっ殺そうと思ってたけど、半殺しで済ましてやるか)
ただ幸せ分は減刑するだけの器量はあった。それでも半殺しなのはいかにその罪が重いのかをよく表している。
こうしてジンが幸せを噛みしめながら馬車の旅を続けること三日。最初の目的地である西州の州都に着いた。なぜジンの出身種族ではなく吸血種のもとを最初に訪れたかというと、それだけ格別の存在であることを示すためだ。ジンなりの、愛妻アンネリーゼに対する最大限の配慮である。この州の主要な産業は魔法道具関連だ。それは魔王国のシェアをほぼ独占している。魔法道具は高価な材料と一朝一夕には身につかない高度な技術を要するため、総じて高価だ。ゆえに吸血種には裕福な者が多い。
さて、そんな西州での最大の発見はひとつ。吸血種たちはトマトが大好物であるということだ。到着するとすぐさま歓待の宴が開かれた。そしてその料理が異様に赤い。まさか、と思ってアンネリーゼにこの料理は何を使っているのか訊ねると、
「トマトです」
という、ジンにとってはまさかの返答。異世界の新事実。吸血種はトマトを苦にしない! むしろ好物! みんな美味しそうにパクパク食べている。漏れ聞こえる感想をピックアップすると、
「この酸味がいいんだ」
「生でツブツブした食感もね」
「塩をかけると引き立つな」
「素材の味を楽しむにはやっぱり生よ」
「なに?」
「なんですって?」
「「どっちが美味いか勝負!」」
なんてトマトを大絶賛。挙句に食べ方を巡って喧嘩を始めるほど大好きなようだ。
ちなみに喧嘩は勝負つかず。
「これで百戦百分けか」
「次こそ勝つわ!」
(もうどっちでもいいじゃん)
ジンは心底辟易した。
翌日はアンネリーゼの思い出の場所を巡るツアーを行った。特に彼女が幼い頃によく遊び場にしていたという湖は風光明媚でジンも気に入り、避暑地にすることを決めた。最終日に開かれた宴でまたしても吸血種たちのトマト好きに辟易させられつつ、西州を旅立った。
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次は南西州だ。ジンの故郷ーーということになっているが、彼にその記憶はさっぱり存在しない。なのに隣のアンネリーゼは『今度はジン様の思い出の場所を案内してくださいね』と笑顔で無自覚にプレッシャーをかけてくる。いつもなら見惚れるその笑顔も、この日ばかりは冷や汗をこれでもかと流させる悪魔の笑みになっていた。
南西州の主要産業は様々だが、最も利益が上がっているのは養蚕と製糸だろう。農家が農作業の片手間にやっていることだが、人の手で作り出せる生地としては絹は最高級の素材だ。魔物の毛皮などと並んで高値で取引されている。ただその上前を商人たちが撥ねてしまうため、生産者の農家はあまり裕福とはいえない。
西州から馬車で二日。ジンたちは南西州の州都へとやってきた。この州都は城壁に囲まれた立派な造りになっている。西州の州都が建物群の周りを簡易な柵で覆っているのとは大違いだ。それは吸血種が州都に敵をたどり着かせないことを前提としているのに対して、人魔種はこの州都を最終防衛拠点としているからだ。ただ南西州はまだ攻められたことがなく、城郭は防御施設ではなく観光施設としての意味が強かった。旅好きの者たちからは外壁に使われた大理石の美しさから『白亜の城』と呼ばれ、有名な観光スポットになっている。
事前に報されていたため、護衛の騎士が十五名ほど派遣されてきてジンが乗る馬車を固める。白亜の城の城門をくぐると、中央にそびえる城へと一直線に続く大通りに入った。その左右は宿屋や商店が軒を連ね、いつもなら人通りが絶えない。そう、いつもなら。
この日はどういうわけか、人々が左右に綺麗に分かれていた。彼らは軍隊のように整然と並び、直立不動。ものすごくシュールだ。ジンが何事かと首を傾げていると、
「魔王様、ご到ちゃーく!」
先導する騎士がよく通る声で告げれば、
「「「魔王様、万歳ッ! 王妃様、万歳ッ!」」」
と人々が一斉に唱和した。
(すごい。すごいけどどこの軍隊だ、お前らは!)
ジンは心の中でツッコミを入れるが、当然それが沿道に並ぶ彼ら彼女らに届くはずがなかった。馬車が大通りを進む間も歓声は止まない。
「魔王様、万歳!」
「人魔種の誇り!」
と、男衆からは賞賛の声が。
「魔王様イケメン!」
「カッコイイ!」
女衆からは黄色い声が飛ぶ。
「ジン様は大人気ですね」
隣に座るアンネリーゼはジンが大人気なのを見て満面の笑みだ。
二人が乗った馬車は人々で賑わう大通りを抜けて城へ入る。そこではひと組の中年の男女と少女が兵士とともに待っていた。彼らはジンの到着を見て深々と頭を垂れる。
「魔王様。ようこそおいでくださいました」
馬車から降りたジンを出迎えた三人はアベルの息子夫婦とその孫娘だそうだ。そういえば、とジンはアベルの息子を南西州の長官にしていたことを思い出す。以前から種長としての業務はかなりを息子に任せていたが、州の設置をきっかけに完全に譲るつもりらしかった。
「アベルの息子、カルロスです」
「妻のイザベラです。こちらは娘のーー」
「フアナです」
「魔王様がご逗留されるということで、最高のお部屋をご用意させていただきました。専属に娘のフアナをつけますので、どうかごゆるりとお寛ぎください」
「ありがとう」
「お気遣い感謝いたします」
「どうぞこちらへ」
ジンたちは感謝を述べ、フアナの案内に従って城内を移動する。通された部屋は、魔王城にあるものと同レベルーーいや、それ以上かもしれない。
「なんなりとお申しつけください」
ジンたちがソファーに座ったのを見てフアナが言う。
「では早速で悪いのだけど、お茶とお菓子を用意してもらっても?」
「かしこまりました」
ティーセットは部屋に備えつけられているが、お菓子は厨房に取りに行かなければならない。フアナは一礼して部屋を出ていった。
「……で、体よく追い払ったけど、どうしたんだ?」
「ジン様があの娘の意味をおわかり確認するためです」
「意味? お世話係じゃないのか?」
「違います。それは建前で、本音はジン様のご寵愛を受けるためです」
「は? お前がいるのに?」
「はい。普通は考えられないのですが……」
アンネリーゼは困った、と額に手を当てて首を振る。その所作は美しく絵になる姿だが、そういう場合ではないとジンは気を取り直す。
「しかしどうして?」
「おそらくジン様が最初に吸血種のところを訪れたからでしょう。自分たちが軽く見られていないか心配だったのだと思います」
「うーん」
「ここには三日ほど泊まることにしていましたが、明後日に発ちましょう」
「いいのか? 楽しみにしていたのに?」
「はい。明日がありますし、残りはまた別の機会に」
「……わかった。またこような?」
「はい」
「失礼いたします」
ジンたちが今後の方針を決めたところでフアナか入ってきた。彼女が淹れてくれたお茶を飲み、その日は休む。翌日はフアナに案内されて州都から日帰りできる観光ツアーを開催してもらった。そして三日目。ジンたちは出立する。カルロスは不手際があったのかと狼狽したが、マリオンから『早く帰ってこい』と言われていると伝えたらあっさり引き下がってくれた。
「フアナ。世話になった」
「ありがとう」
「いえ。至らぬ点が多々あったと思いますが、お役に立てたなら幸いです」
「カルロス。ここは余の故郷だ。よく治めてくれ」
「ははっ」
「イザベラはカルロスをよく支えるのだ」
「はい。心いたします」
「ではーーまた会おう」
ジンたちは馬車に乗り込み、島州を目指して出立した。




