プロローグ
新連載です。よろしくお願いします。
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親切というものは大事だ。助け合いの精神というか、社会の連帯感が失われつつある現在ではなおさらである。
「あの、これ、落としましたよ」
ここにもひとつの親切があった。
前を歩く女子高生にスーツ姿の男が声をかける。彼女が落とした花柄の可愛らしいハンカチを拾い、差し出したのだ。
「あっ。すみません。ありがとうございます」
艶やかなロングの黒髪を靡かせて振り返った女子高生の顔立ちは整っていて、ふわりと柑橘系のいい香りが男の鼻に届いた。男はついどぎまぎしてしまう。
親切というものは一方通行では成立しえない。受け手側がその心を受け止めることで、はじめて親切が成立するのだ。素直にお礼を言ってくる女子高生の反応は男の心をほっこりさせた。
「気にしないでください」
「本当にありがとうございました」
男はそう言うが、女子高生の方は重ねて礼を述べる。礼儀正しい子だ、と男は感心する。だがその貴重なやりとりに水を差す無粋なことが起こった。
ーーブオオオン!
一台の車が猛烈なエンジン音を響かせて道を爆走している。それがパン、という風船が破裂したような音がしたかと思うと、車体が激しく左右に揺れる。さらにガリガリガリ、と車体をアスファルトに擦りながら男たちの方へ突っ込んできた。タイヤがパンクしてこっちに向かってくるんだ、ということは理解できた。しかし唐突すぎて二人はともに咄嗟に動けないでいた。衝突を予期して体を強張らせる。数秒後。予想を違わず、二人は仲良く車に轢かれて昏睡状態に陥る。そしてーー二度と目覚めることはなかった。
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目覚めるとよくわからない空間にいた。空は透き通るような青空が広がっている。足下は白くふわふわしていて雲のようだ。もっとも雲は水滴の集合体であるから、人が立てるはずないのだが。
「ここは、どこだ……?」
スーツ姿の男が誰に問うわけでもなく疑問の声を上げる。
「知らないわよ」
答えを求めていなかった問いはしかし、隣にいた女子高生によって返された。彼女はおもむろにスクールバックに手を突っ込み、ゴゾゴゾと中をまさぐる。取り出したるは手帳型ケースに入れられたスマートフォン。困ったときにはとりあえずスマホ。なんとも若者らしい行動だ。ただーー
「なによ、これ……」
不幸かな。頼みの綱であるスマホは車に轢かれたせいで液晶が粉微塵になっており、使いものにならなかった。
「あーあ。液晶が割れちゃってるね。これはダメだ。よければ僕のを使う? 衝撃なんかにもかなり強いやつを使っているから多分大丈夫だと思うけど……」
スーツ姿の男は懐からスマホを取り出す。男はよく画面を割ってしまい、スマホを新調する羽目になったことが何度もある。親がWi-Fiを契約していなかったためにデータを移し替えることができず、買い換える度にアプリや連絡先を登録し直した。あんな面倒な作業は嫌だ。その一心で割れない工夫をした結果、衝撃に強いスマホケース(高価)を必ず使うようになった。もちろん画面の保護フィルムだって貼ってある。独立してWi-Fiを契約した今でも癖は抜けていない。そうやって保護されていたスマホは、胸ポケットに入っていたこともあって奇跡的に無事だった。
「借して」
女子高生、スマホをひったくる。パスワードによるロックがかかっていなかったためすんなりホーム画面に移行。素早くインターネットにつなげるーーが、
『ページを開けません』
スマホは無慈悲な応答を返す。
「ウソ」
「アンテナが立ってないね。ここは圏外か……」
女子高生は愕然としている一方、男の方は冷静に状況を分析する。男としては雲の上に人が立てるような不思議空間に電波が入るとはさらさら考えていない。ならば夢かと考えてみたが、スマホが壊れていることに意味を見出せないし、なにより横の女子高生の存在が謎すぎる。死ぬ(?)瞬間に一緒にいたからかもしれないが、それだけで夢と決めつけるには足りない。
ーーと、こんなに冷静でいられるのは隣の女子高生がパニックだからだ。スマホを取り出せば壊れており、他人に借りてネットにつなげてみれば圏外。最早処置なし。ここで人生は終わりだ。もうダメ。生きていけない。女子高生は人生に絶望していた。だが男は諦めない。昔、死んだ親父が言っていた。
『足は歩くためにある。車だ、バイクだ、自転車だ、甘ぇこと言ってんじゃねえぞクソガキ』
(まったくその通りだな、親父)
日頃蛇蝎のごとく嫌っていた父親のことを今日のこの日ほどリスペクトした日はない。なんとも都合のいい男であった。
「歩こう」
「どこへ?」
女子高生の至極もっともな質問。だが男は答えに窮した。とりあえず思ったことを口にする。
「周りを調べるんだ。もしかすると何かあるかもしれないだろ?」
「えー。メンドくさ」
思いっきり拒否。というか男は思う。
(女子高生、キャラ変わりすぎだろ!)
最近の子は猫かぶったいい子ぶりっこ(?)らしいが、ここまで変わるものだとは!
(最初、礼儀正しいいい子だと思ったのに……)
彼女は動きたくないという意思を示すかのように雲の上に横になった。盛大に捲れ上がるスカート。もちろん今時の女子高生だから膝上のミニ。
(見える! でも不可抗力だよね!)
女が誰しも鬼を飼っているのなら、男は誰しもエロオヤジを飼っている。心の中のエロオヤジの声に導かれるままに男は女子高生のスカートを凝視した。そしてこんにちは、スパッツさん。
(わかってた。わかってたもんね、チクショウ!)
思いっきり負け惜しみする。だがこのままというのも癪なので、女子高生を無理やりにでも雲の上のハイキングに連れ出すことにする。
「もしかしたら元いた場所に戻れるかもーー」
「でもこういう場合って下手に動くといけない、ってテレビでやってたし」
(テレビぃ!)
若者の知識の源、テレビ。男は心の中でテレビを恨んだ。余計な知識を提供しやがって、と。結局死んだ親父が言っていたことはまったく役立たなかった。
(親父のバカヤロー!)
コロッと掌を返して男は親父を恨んだ。やはり都合のいい男である。そんな折、突如として太陽が光り輝いた。いつもより過剰に光っております。明らかな異常事態。だが女子高生、
「やだ、日焼けする。冬だから日焼け止めなんて塗ってないし」
とまったく的外れな感想。男は、
(親父のバカヤロー、親父のバカヤロー、親父のバカヤロー……)
同じことを心の中でヘビーローテーション。使えない。眩い陽の光はやがて雲の一点を照らす。そしてーー
『あーあ。メンドくさ』
女子高生の同類が現れた! 冬眠から目覚めたばかりの熊のように、のっそり、のっそりと気怠そうに動く。そして男たちにゴミでも見るような冷たい視線を送る。見た目美少女の冷たい目。Mな男たちには喜ばれそうだが、男は生憎とノーマルである。まったく嬉しくない。むしろ反抗心が湧いていた。そして女は、
「ちょっと。なんで死ぬのよ」
開口一番、理不尽なことをのたまう。男としては、
(いや、死ぬなと言われてももう死んでるし……)
と困惑するしかない。というより、歩道に向かってトラックが突っ込んでくるなんて誰が予想できようか。
「本当にどうして死ぬの? あんたたちのせいで本来殺すはずだった奴を殺せなかったじゃない」
(……こいつ)
男の眉間にシワが寄る。プチ怒りだ。
一方、寝そべっていた女子高生はしかし、女の言葉尻を捉える。
「ちょっと待ってよ。『本来殺すはずだった奴』? てことは私、手違いで殺されたわけ?」
「まあそういうことね。はぁ……」
これ見よがしにため息を吐く女。その一方で女子高生の怒りは一気に沸点に達する。
「ふざけないで! 今すぐ私を生き返らせなさい!」
甲高い怒声を浴びせる女子高生。だが女は至極冷静に返した。
「それは無理ね。あんたたちの世界のルールでは、一度死んだ人間を生き返らせることはできないから」
女子高生の剣幕に気圧されて黙っていた男はなるほど、と得心する。たしかにそんなことは不可能だ。怒り狂っている人間が隣にいるためかえって冷静になっていた男は女の言い分を不思議に思わず受け入れていた。しかし女子高生は違うようで、
「あんたの手違いで私たちは殺されたんでしょう!? ならなんとかしてよ!」
「だから無理なの」
女子高生からすれば人生まだまだこれからだというのに、他人の手によって強制リタイアーーなんて事態は受け容れられないで当然だった。抗議の声にも熱が籠もる。
女もまたできることなら二人を生き返らせ、本来殺すはずだった人間を殺してこの失態を帳消しにしたい。そもそもこの失態は自分のミスではないーーと本人は考えているーーからだ。しかしそんな権限は与えられておらず、ほとほと困り果てていたのだ。それでもどうにか理解してもらおうと(本人の基準では)丁寧に対応していた。だが女子高生の怒声によって自らの怒りもまたかき立てられる。
「わたしだってミスしたくてミスしたわけじゃないのよ! 上司が現場に現れて、『孫娘がいなくなった〜!』とか喚きだしたの! その応対をしてたらあんたたちがハンカチひとつでもたもたして。上司がいるから運命の修正もできずに、気づいたらトラックに轢かれてたし。だからわたしは悪くない! 息臭い上司とあんたたちが悪いのよ!」
女の言い分は無茶苦茶だった。男も上司に邪魔されたことには同情しつつも、それと自分たちが殺されてしまったこととは別問題だと考えていた。
「はぁ!? あんたが悪いんでしょう!? 早く私を生き返らせて!」
「だから無理って言ってるでしょ! ……もういい。こうなったらあんたたちを代わりにしてやる。あんたたちを転生させて、帳尻を合わせるわ! そうね……やっぱりルックスは大事だからーー女子高生、あんたが勇者よ! 見事、魔王を討ち果たしなさい! そしてーー男。あんたの方がブサイクだから、あんたが魔王ね。ただ倒されるだけなのも可哀想だから、死ぬまでは幸運な人生が送れるようにしてあげる。殺されて戻ってきたら、ご褒美にわたしの下僕にしてあげるわ! 泣いて感謝しなさい」
女はそう宣言すると、手のひらを男と女子高生とに向けた。直後、二人を光が包む。男は暗紫色、女子高生は眩い白銀色。
「勇者と魔王。二人で新たな物語を紡ぎなさい。わたしーー女神ソフィアの導きに従って!」
そして二人はその場から消えた。




