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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
98/960

蜉蝣の国~18~

 伯国の先代国主は伯史と言った。凡庸な為政者で、彼の治世で伯国が安泰だったのは、泉国が相房の内乱で混乱していたのと、静国が条国に攻められていたからだと言われるほどであった。

 凡庸であることが罪ではないが、時として指導力のなさは国家の悲劇を生むことになる。伯史の場合は、家庭での意気地のなさが彼自身にも伯国にも不幸をもたらすことになった。

 伯史の正妻は依妃といった。伯国の名族依家の娘で美貌の人であったが気が強く、夫で国主たる伯史に対しても居丈高に振舞っていた。夫が他の女性に手を出すことを許さず、当然ながら妾を持つことも認めなかった。

 そんな妻の下、堅苦しい生活を送っていた伯史であったが、つい女官に手を出してしまった。そして不幸なことにその女官は身篭り、男児を生んだのだった。

 「国主というものは私生活でも大変なものだな」

 「主上。人事ではありませんわよ」

 田碧は僅かに笑って続けた。

 依妃の勘気に触れたのは言うまでもない。流石に国主である伯史に手を出すことはしなかったが、身篭った女官は手酷い拷問に遭い死亡した。

 「ひどい話だな」

 「依妃という人は相当残酷な人物のようです。女官だけではなく、手引きした家宰や宦官も処刑したと言われています。さらに不幸なことに、伯史と依妃の間に子はなかったのです」

 伯史は決して依妃のことを愛していないわけではなかった。だから伯史と依妃の間には度々性交渉はあったのだが、ついに子を成すことはなかったのである。

 「生まれた子も狙われたのか……」

 そうです、と田碧は声を落とした。だが、幸運なことに子は逃げおおせることができたのである。

 「逃げられたのか。依妃は諦めたのか?」

 「そのようです。依妃にとってはそれどころではなくなったのです」

 女官の一件があって以来、衝撃を受けた伯史は精神的に病んでしまって寝込むようになった。政務を行うこともままならず、私生活においても依妃と交渉を持つこともなくなった。

 焦燥したのは依妃であった。このまま伯史が死ねば、宮殿での居場所がなくなってしまう。それだけならまだしも追放されるか、伯史を苦しめた毒婦として処刑されるかもしれない。そういう被害妄想を抱くようになった依妃は、自らの甥を養子にしようとしたのである。

 「そんなことが罷り通るわけないだろう」

 「勿論そうです。依妃に対して、丞相であった伊賛と将軍の李志望がさっき申し上げた伯史と女官の間に生まれた男児を探し出して後継としたのです」

 依妃の周辺にもその権勢に縋る者も少なくなかった。両陣営は暗闘を繰り広げた。

 「伯史は何もしなかったのか?」

 「詳細は分かりませんが、この時すでに伯史は亡くなっていたといわれています。あるいはどちらかの手によって殺されたとも……」

 田碧は色々と書類の束を捲ったが、明確な答えは出てこなかった。

 暗闘は二年ほど及んだといわれている。最終的には伊賛一派が勝利し、依妃は謀殺され、その一族一派も粛清された。そしてその直後に伯史の死が公表され、その遺児が伯国の国主として即位したのである。

 「即位したのがちょうど一年前のことです」

 「一年か……」

 一年という歳月、樹弘は隣国で起こっていたことに対してあまりにも無知であった。そのことについては反省せねばと思った。

 「それで新しい国主はどのような人物なんだ?その治世はどうなんだろうか?」

 「名は淳というようです。人物像は残念ながら分かりません。幼年ですので政治の実権を握っているのはどうやら丞相の伊賛のようです。治世についてはお察しかもしれませんが、よくありません」

 治世がよければ、いくら泉国が復興してきても流民は発生しないだろう。樹弘は腕を組んで考え込んでしまった。

 「ますます伯国に行かなければならないか……」

 「お気をつけください、主上。伯は私達が想像しているよりも荒んでおります」

 樹弘は田碧の言葉に深く頷いた。荒んでいるだけならまだしも、伯国は戦争の準備をしている。何事か起こらない方が不思議でならなかった。

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