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七国春秋  作者: 弥生遼
獄炎の法
966/967

獄炎の法~57~

 「あの時の言葉、そのとおりになったな。さぞ気持ちよかろう?」

 何暫は初めて無粛に会った時のことを思い出しながら、膝をついて控えてる無粛を見た。無粛は嬉しそうにしていた。

 「あっしの目が耄碌していなかったと喜んでおります。何暫様は次官になられ、しかもあっしを頼って来られた。これほど嬉しいことはありませんぜ」

 「私としては踊らされているようで多少不愉快だが、お前の力を借りねばならぬ時が来た。頼む、私に力を貸して欲しい」

 「旦那、頭を下げるのはよしてください。あっしのような卑しい身分の者に頭を下げたら恰好がつきませんぜ」

 「しかし……」

 「あっしらに体面なんて必要ありません。対価さえいただければ十分です」

 「金か?いくらだ?」

 「おっと、まだ依頼内容を聞いておりませんぜ。ま、旦那ですから多くはいただきません。まずは内容をお聞きしましょう」

 何暫は、蘇亥殺害の下手人を探して欲しいと言った。

 「旦那、それは無理ですぜ。蘇亥次官殺害の下手人でしょ?時間が経ちすぎていますし、旦那の読み通り、糸を引いているのが景親子だとすれば、下手人は殺されていますぜ」

 「やはりそうか……」

 「ですが、調べてみる価値はあるかもしれません。ちょいとお待ちください」

 無粛はにやっと笑った。何かしら宛てがあるのかもしれなかった。


 蘇亥次官を殺害したのは野盗ではないらしい。そのような文書が泉春宮の各省に出回り、回覧されるようになった。

 「根も葉もない怪文書でしょうが、宮城の風紀を乱すものです。怪文書の出所を調べて処罰致しましょう」

 刑部卿の尾延が丞相である景隆と式部卿となっていた景白利に進言した。本来であるならば泉春宮における諸問題は式部省の仕事である。だが、式部卿である景白利が動こうとしないから尾延が進言したのである。当然ながら尾延は、蘇亥殺害の黒幕が景親子であるということを知らない。

 「尤もなことだ。式部と共同の上で調査をするように」

 尾延とは気脈を通じているが、否と言って妙な疑いを向けられるのは面白くない。景隆としては否とは言えなかった。式部と共同でと付け足したのは、景白利が絡めばいざとなれば握りつぶせると思ったからだった。

 景隆にとって誤算だったのは、息子である景白利が文官としての能力に著しく欠いていたことと、尾延という卿がその地位に着きながらも職務遂行への誠意が微塵もないことだった。

 「いかがでありましょう、式部卿。このような悪戯に二人の卿が関わる必要などありません。我が部下である何暫は優秀な男で、いくら仕事を振っても不平不満を言わず忠実に職務を遂行する男です。彼に任せてみてはいかがですか?」

 尾延は景白利に提案した。まさかこの投書の背後に何暫がいるとは思ってもいなかった。

 「何暫という男は紀周塾の出身ではないですか?」

 景白利も投書の背後に何暫がいるとは思っていない。だが、父である景隆がそうであったように紀周塾出身の官吏には一定の警戒心を持っていた。

 「左様です。ですが、何暫という男は派閥を組み、党派を構築するような男でありません。また官位への野心が微塵もなく、単に仕事を食事のようにこなしていくような型の人間なので、そこまで警戒されることはないでしょう」

 尾延にそのように言われると、ああそうですか、と何も考えずに返すのが景白利だった。

 「丞相からそのようなお達しが来た。というわけでこの調査を引き受けてくれるか?」

 刑部省に戻った尾延は、早速に何暫を呼び出して怪文書にまつわる調査を依頼した。

 「承知しました」

 何暫は即答した。尾延は内心ほっとしながら、頼んだよ、と無責任な声で言った。

 後世、酷吏としてその名を残す何暫がその片鱗を見せるのはまさにこの時からだった。

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