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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
96/1001

蜉蝣の国~16~

 牛紀と呼ばれた男は、馴れ馴れしく紅蘭の隣に座った。どうやら旧知の仲ではあるらしいが、当の紅蘭は実に迷惑そうな面構えをしていた。

 「こっちは?」

 「雲札に樹弘だ。縁があって一緒に旅をしている」

 「樹弘?」

 やはり牛紀は樹弘の名前に食いついてきた。すかさず紅蘭が同姓同名の他人だよ、と説明を入れた。

 「そうだよな、真主がこんな所にいるはずないもんな。俺は牛紀。紅蘭とは命を分け合った仲だ」

 「ほう。それは男女の仲って奴か?」

 「違う!」

 雲札の冷やかしに対して、紅蘭はむきになって否定した。

 「男女の色恋の仲なんて、俺達にとっては小さいもんだ。強いて言えば戦友ってところかな?なにしろ俺達はあの公子淡の反乱に参加したんだぜ」

 雲札は自慢げに言うが、紅蘭はそう思っていないらしく無言のままそっぽを向いた。

 「でも、あの公子淡は偽者だったんだろう?」

 樹弘は口を挟んだ。その渦中の近くにいた身としては、偽公子淡の陣営にいた人間の話を聞いてみたかった。

 「その話だけどさ。その偽者というのは嘘で、実は本物であったらしい。相家が公子淡を恐れて偽者だと言いふらしたというのが真実らしい」

 真相を知っている樹弘としては、そのような虚偽の噂が巷説されていることに興味を覚えた。尤もそのような嘘をいつまでも流布させておくわけにはいかない。泉春に戻れば善処させようと樹弘は思った。

 「それで紅蘭はどこへ行こうとしているんだ?」

 「何も考えていないよ」

 紅蘭は素っ気無かった。どうやら紅蘭は旧友とはいえ牛紀のことを快く思っていないようだった。

 「俺は伯へ行こうと思っている」

 牛紀は杯を乾して、樹弘達が頼んだ酒を断りなく注いだ。

 「伯?伯になんて何があるんだ?」

 紅蘭とは対照的に雲札はどういうわけか牛紀に友好的であった。

 「ここだけの話、どうやら泉国は伯を攻めるらしい」

 牛紀の発言に樹弘はぎょっとした。すぐにでもそれは嘘だと言ってやりたかったが、ぐっと堪えた。

 「またそんな根も葉もない噂に翻弄されているのか?それが本当なら今頃桃厘は兵士だらけだぞ」

 紅蘭が的確な指摘をした。彼女の言うとおり伯国を攻める場合、最大の拠点となるのは桃厘なのである。そこに兵士を集めていないのは樹弘が戦争をする気がない最大の意思表示であった。どうやら牛紀という男は風聞に踊らされやすいらしい。

 「真主がどう考えているかは知らん。しかし、伯の連中は本気でそう考えているようだ。すでに泉国との国境に李将軍を派遣し、兵士を集めているようだ」

 これは本当だ、と牛紀は念を押した。樹弘はまたしても自分の無力と無知を思い知らされた。いくら自分が戦争をする気がなくても、相手にその気があるのなら戦争はなりたってしまうのだ。

 「貴様!泉国の国民ながら敵国に身を投じるのか!」

 紅蘭が杯を机に叩きつけて怒りを顕にした。紅蘭の怒声に酒場は一瞬静かになったが、男女の痴話喧嘩とも思われたのだろうか。すぐに喧騒が戻った。

 「本当に戦争になるとは限らないだろう。あくまでも防衛のためだ。兵士になればただ飯も食えるし、給料もいい。いや、仮に戦争になって活躍すれば大隊長ぐらいにはなれるだろう」

 樹弘は牛紀の声を聞きながら言い様のない虚無感を覚えた。国民一人一人の生活を豊かにするために身を粉にしてきたのに、牛紀のような男もいることに衝撃を受けていた。

 「だからよ、紅蘭も一緒に伯へ行こうぜ」

 「断る。少なくとも貴様とは行きたくない!」

 紅蘭は即座に断った。つれねえな、とぼやく牛紀の隣に座っていた雲札が重そうに口を開いた。

 「牛紀とやら、俺も連れて行って欲しい」

 「雲札!」

 今度は樹弘が声を荒げる番であった。

 「俺も泉国の国民だ。真主には返しきれない恩がある。でも、俺には宿屋の番頭なんて向いていないんだ。剣をとって戦うほうが性に合っている」

 だったら禁軍にくればいい、という言葉をどれほど言いたかったか。そう言えない無力さを樹弘は感じていた。

 「よく言った兄弟!供に行こう!」

 牛紀は馴れ馴れしく雲札の肩に手を回した。

 「雲札。考え直せ」

 「すまない樹弘。華に会うことがあったら、馬鹿な兄だったと言っておいてくれ」

 「飲みなおそう、兄弟。俺達の前途を祝そうじゃないか」

 牛紀は雲札を立たせて、肩を組んだまま酒場を出て行った。樹弘も腰を浮かした。張り倒してでも牛紀と雲札を止めるべきだと思ったが、紅蘭が樹弘の袖を掴んだ。

 「やめておけ。牛紀はああいう奴だ。人の言うことを聞くような男じゃない。多分、雲札もな」

 「しかし……」

 すでに牛紀も雲札も姿が見えなくなっていた。樹弘は唇をかみ締めながら座るしかなかった。

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