獄炎の法~44~
戦闘の最中、ひとつの事件が発生していた。
戦局の終盤、泉国軍の兵士が敗走する翼国軍に帯同していた女性の看護兵に暴行を働き殺害したのである。看護兵は非戦闘員であるため戦場では殺傷してはならないというのが中原での常識となっていた。それを破られたのである。武人としての矜持を持ち合わせている蘆文洪が激怒したのは言うまでもなかった。
しかし、その殺傷した兵士の上司が蘆文洪に助命減刑の歎願を申し入れてきた。
「戦場での勢いのまま仕出かしてしまったことです。それに我が国には戦場において発生した非戦闘員についての処罰規定はありません。どうか将軍におかれましては賢明なご判断をお願いいたします」
その上司からの嘆願書を一読した蘆文洪は、なるほど一理あると思い悩み始めた。蘆文洪は何暫を呼んで意見を求めた。
「どうしたものなか、法官殿。ぜひとも専門家としての意見を聞きたい」
すでに事件のあらましを知っていた何暫は迷う素振りもなく即答した。
「確かに我が国の軍法には戦場において非戦闘員を殺傷したことへの処罰規定はありませんし、過去の範例にもありません。そうなると主上より斧を授かっている将軍の判断によります」
「ふむ。だからこそ迷っている。看護兵に乱暴した挙句、殺したとなれば畜生にも及ぶ所業だ。しかし、我が国の兵士となれば命をもって処罰するというのも忍びない」
「将軍。私は武人でありません。ですが、武人の矜持なるものを多少は今回の遠征で知ることができました。その武人の矜持として、非戦闘員を殺傷した者を生かすことが正義であるかどうかと問われれば正義ではないと愚考します。ましてや将軍は今回の防衛戦で活躍し、泉国だけではなく中原の耳目を集めています。どうか泉国軍にとって恥とならぬ判断をなさってください。それが先例となり、泉国軍軍法の良き判例となります」
何暫の言葉を聞いた蘆文洪は目が覚める思いがした。このまま非戦闘員を殺傷した兵を生かしとなれば泉国軍の恥となり、将来に対しての悪しき先例となる。蘆文洪は何度か頷き判断した。
「法官殿の言うとおりだ。戦闘中とはいえ非戦闘員に乱暴したうえに殺害するような者は我が軍の兵士ではない。我が名において処刑を命じる」
蘆文洪は即断し、その兵は即座に処刑された。加えて蘆文洪は乱暴された死んだ看護兵の遺体を丁重に翼国に送り届け、遺族に慰謝料として金銭を渡した。この一連の蘆文洪の行動を泉勝は激賞し、中原においても武人としての矜持ある将軍だと称賛された。
敵の将軍であった趙理季も後日になって事件のことを知り、蘆文洪の処置を大いに褒め称えた。
「蘆将軍こそ矜持を知る誠の武人であろう。それに敗れたならば私としては悔いはない」
余談ながら敗北した趙理季は一時的に将軍の座を追われることになるが、軍内部から復位を求める運動が起き、羽武が渋々ながらこれを認めて将軍に返り咲くことができた。その後は一度も戦場に立つことはなく、後進の指導に尽力した。
こうして蘆文洪は凱旋した。泉冬には勅使が待ち受けており、泉勝の言葉を伝えた。
「蘆将軍は戦場に立てば冷静な判断と恐れを知らぬ戦闘指揮を行い我が領土を守り抜いた。また戦後の非戦闘員をめぐる処置についても武人としての矜持に乗っ取った見事な処置であった。泉国の国主としてまことに鼻が高い。近く将軍を国都に招き、杯を授けるだろう」
「ありがたいお言葉です。ですが、今回の勝利は私のものというよりも忠勇無双の将兵によるものです。ぜひとも彼らにも褒詞と恩賞をお授けください」
「尤もなことであろう。きっと主上にお伝えしよう」
「加えまして翼国の非戦闘員殺害については赤面を禁じ得ません。本来であるならば起こってはならぬ事件です。主上の軍に泥を塗ってしまったわけですから。それにも関わらず褒詞を得て恐縮の限りです。それに処置につきましては、同行していた刑部省の法官何暫殿よりご助言をもらいました。彼にも褒詞をお授けください」
蘆文洪の言葉に勅使は意外そうな顔をした。きっと何暫なる法官が泉冬にいることすら知らぬだろう。
「左様か。それにきっと主上にお伝えするだろう」
「ありがたき幸せです」
蘆文洪は助言してくれた何暫に深く感謝していた。二人の間に不思議な誼が生まれることになった。




