獄炎の法~31~
三回目の試験は泉春宮の書庫にある一室で行われた。三回目の試験に残った三人は籤で面談する順番を決められ、何暫は三番目になった。
「籤を引くなら絶対に一番を引けよ。最後は面接官も疲れてきて適当になるらしいからな」
試験を前にして郭旦がどこから仕入れてきたのかよく分からない助言をしてくれた。なるほどそういうこともあろうとは思っていたが、自分がいざ最後の順番になってみると存外どうでもよくなっていた。
『私は私さ』
腹を括れば怖いものがなくなる。言うべきことを考えながら、じっと自分の順番を待っていた。
一人目の受験生が面談を終えて出てきた。試験が行われる部屋に入って半刻ほど経過していた。何暫よりも少し年上の男だったが、やや憔悴した表情になっていた。
二人目の受験生も面談時間は半刻ほどだった。今度も何暫よりも年長のはずだったが、涙目になって部屋から出てきた。今回も駄目だ、と独り言ちながら去っていった。
『よほど絞られたな』
三回目の試験の合否は面接官にもよる。厳しい面接官であったならば受験生の論文の不備を徹底的に追求し、言葉に詰まるとその場で落第を宣告するという。今回の面接官はどうやらかなり厳しい人物らしい。
そうなると何暫は燃えた。自分の論文に自信を持っているし、難癖をつけてこられても論破する自信があった。何暫の名前が呼ばれた。何暫は勇んで面談が行われる部屋に入った。
部屋に入るなり息が止まりそうになった。横一列に並ぶ面接官の中に夏音がいたのだ。夏音の方は自分が入っているのが分かっていたのだろう。驚きの表情一つ出さず、やや笑みを浮かべながらも挑むような視線を送っていた。
『容赦はしてくれないようだな』
望むところだ、と何暫は中央に座る面接官に促されて着席した。
「氏名と出身地を述べよ」
「何暫と申します。出身は泉冬」
「よろしい。私は民部次官補の韓黄という。右が中務の陳伍。左が大蔵の夏音だ。夏音のことは知っているのだろう?」
「はい。紀周先生の塾で同窓でした」
「先程から容赦しないと息巻いておったぞ」
韓黄がやや笑った。夏音も口角をわずかに崩していた。
「まずは論文を読ませてもらった。百礼法についてはかなり詳しいようだ。例えば百礼法において下級官吏が上役に示すべき礼法についてどう書かれている?」
まず質問をしてきたのは陳伍だった。
「官吏たるもの立ち止まって頭を垂れることで十分とす。叩頭すべきは主君のみなり」
何暫は百礼法に書かれている原文そのものを諳んじて見せた。ほう、と陳伍が感嘆の声を漏らした。
「何暫君。君は百礼法の有効性を認めつつも、儀礼についての法を定めるのに否定的な意見も示している。これについて聞かせてもらいたい」
これは韓黄の質問だった。
「礼とは本来、人と人が自然な形で行われるものだと思っています。相手に対して敬意があれば自然と頭は下がるものです。古人曰く『王に叩頭するのは圧せられたからではない。その穏やかな威光が自然と頭を下げさせた』。まさにこの言葉に尽きると思います。法によって礼を強制する時代というのは、相手に敬意を持てず、主君の威光に刺々しさがある時代に他なりません」
「人は悪性だという君らしくないな意見だな。人が悪性であれば、自然発生的な礼など行われた時代などないはずだし、いつも時代でも百礼法のような法令は必要なはずだ。その法令が今の泉国にはないのは何故だ?」
韓黄、陳伍共に何も言わなかったので、夏音が口を開いた。それは面接官が質問しているのではなく、好敵手に論陣を挑んでいるかのようだった。
「私は人を悪性だと言った記憶はないけどね。古代についてはいざ知らず、百礼法のような法令がなくてよい時代もあった。その時代のいずれもが名君がいた時代に他ならない。だから私は百礼法を定めた羽雲を名宰相だと思っていないし、時の翼公についても同様に思っている。今の泉国に百礼法のような法令がないのは君臣が良き政治を行っているに他ならないからではないか」
「今の我が国のことは理解した。しかし、羽雲の時代が名君、名宰相の時代ではなかったという意見は納得できない。そもそも……」
それから一刻ほど、ほとんどが何暫と夏音の論戦だった。陳伍は呆れながらも口を挟まず、韓黄はわずかに相槌を打ったが意見を言うことはなかった。
「その辺でよかろう。今日は何暫君の面談であることを忘れてはならん」
頃合いを見て韓黄が夏音を制した。夏音は、すみませんと声を落とした。
「若い者達の議論はいつ聞いても胸がすく。そう思いませんか、陳伍殿」
「左様ですな。熱量があるだけに多少暑苦しくはありますが、その時にしか言えぬ言葉というものがありましょう」
陳伍の言葉に韓黄は深く頷いた。
「面談はこれまでにしましょう。議論をしたいのならば後日、泉春宮で行いなさい」
韓黄の言葉が即ち及第を表すものであった。及第したのは何暫一人だけだった。




