獄炎の法~18~
泉国の朝議に各省の次官が参加するようになった。大蔵次官の田知だけではなく、各省にも次官がいるのだが、試験採用されたのは田知のみ。他は縁故によって次官になったものばかりだった。彼らのすべては景隆の与党というわけではないものの、若くして次官を務めている田知にいい顔をする者はいなかった。閣僚における田知の頼るべきは丞相の夏光しかいなかった。
田知には官吏になってから密かに構想していた政策があった。それは泉国全土での検地の実施と租税改革だった。
泉国では公族貴族、功績のある臣には領地が授けられる。領地を授かった者はその食邑から収穫される穀物を一定数国庫に納めることになっている。国庫に納めるべき租税額は時代によって異なる。泉勝の時代は、その年の収穫高の三割が租税となった。ただ、この租税率の決定には欠陥があると長年言われてきていた。つまり、実際の収穫高よりも低く申告すれば、それ分だけ国庫に納める租税が少なくて済み、食邑の主はその差額を不正に取得することができた。これらの不正は公然と行われており、取り締まるべき人物達も率先して行っている状況で手が付けられない状態になっていた。
そこに斬り込もうというのが田知の考えだった。具体的には全土で検地を行って実際の田畑で収穫高を正確に導き出し、豊作の年は検地によって算出された収穫高の四割、不作の年は実際の収穫高の三割と変動制を取り入れようというのが田知の政策だった。これによって食邑の主達の不正を根絶し、安定した税収を得ることができた。当然ながら食邑をもっている公族貴族達からの反発は必至だった。
「だが、この改革によって塗炭の苦しみを経てきた泉国の五十年が無駄ではなくなる」
翼国の侵攻から五十年。戦は終わっても泉国は経済的に苦しめられてきた。君臣一体の取り組みによって何とか経済的な危機を脱することができてはいる。だが、ここで気を緩めては元の状態に戻ってしまう。今こそ五十年前の精神に戻り、泉国をさらに飛翔させるには権力に立つ側の人間が最大の痛みを感じて抜本的な改革をしなければならない。そのための検地であり、租税率の改定であった。
大蔵省の中には田知に同調する官吏が少なからずいる。他の省にも田知と同じく試験採用された官吏達は田知と志を同じくしていた。だが、その勢力は未だ小さい。田知がこの改革を実現させるには強大な後ろ盾が必要だった。
「丞相しかおるまい」
というのが田知の見立だった。丞相夏光は開明的であるし、田知のような試験採用の官吏に目をかけてくれている。何よりも泉勝の覚えもめでたい。取り入るなら夏光しかいなかった。
それでも田知は自分の改革案を夏光に開陳するのを躊躇っていた。田知が政策案を提示するのであれば職制上、大蔵卿である采庚が最初でなければならない。いきなり丞相に持ちかけるのは明かに越権だった。尤も采庚は自分を無視されたところで怒ることはないだろう。
「私はやはり恐れている……」
躊躇っている理由は明白だった。いくら夏光が開明的であり、試験採用の官吏を気にかけているとはいえ、やはり公族貴族の一員である。自分達に不利となる政策を容易には認めないだろうという猜疑も心のどこかで生じていた。
「あまり好きではないが、外堀を埋めるための根回しをするしかないか……」
それについては絶好の人物が田知の懐にやってきた。夏光の一人娘夏音である。まだ官吏になったばかりの彼女を利用するのは気が引けるが、それも社稷を充実させるためだった。
田知は夏音に打ち明ける前に同志の一人と相談することにした。刑部省の官吏である蘇亥だった。蘇亥は田知と同じく亡命を共にした紀周の弟子のひとりだった。田知より二年遅れで官吏採用試験に合格していた。泉春宮において田知が最も心を許している相手だった。
紀周は自分の弟子から官吏になった二人についてこう評していた。
『田知は沈毅にして思慮がある。その分、動きがやや重いところがある。蘇亥は機略家ではあるが、粗忽なところがある。官吏として大成するのは田知であろう』
紀周の目から見ればまるで性格が真逆な二人の弟子だった。
田知は仕事終わりに大蔵省の中にある書庫に蘇亥を呼び出した。勤務時間外なら人が訪れることがないので二人が密談する時によく使う場所だった。
「それは得策とは言えないのではないか?」
蘇亥は田知の租税案自体には賛成している。しかし、それを夏音に打ち明けて夏光に協力を得るという手段には賛意しなかった。
「どうしてだ?」
「丞相は我らに理解を示しているが、公族の一員だ。自分達が明かに不利になる政策に賛意するとは思えない」
「丞相はそのような方では……」
「確証があるのか?仮に丞相に政策案を示し、協力を仰いだとして賛成してくれなければ、その場でこの案は潰される。俺もお前も泉春宮から政治的に消されるぞ」
丞相である夏光も公族の一人であり、多くの食邑をかかえている。そこから得られる収入が減るような政策に夏光が頷くだろうか。蘇亥はそのことを疑っていた。
『丞相ならば頷く』
田知は言い切る自信はなかった。あくまでもそうであって欲しいという願望でしかなく、確証あるのかと迫られれば自信をもってあると答えられなかった。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「俺に考えがある。ふふ、俺達で泉春宮を震撼させるんだ」
蘇亥は自信満々だった。その自信に田知は蘇亥の粗忽さを見たような気がした。




