獄炎の法~14~
試験が近づくと、講義の出席者が減っていった。自宅で試験のための勉強をする者が多い為であり、紀周はこれを特に咎めることはなかった。
何暫は通い続けていた。試験が受けるつもりでいるが、それとは別として紀周の講義が面白く、今の試験に役立たなくても将来の糧になると思っていた。
「何暫は学びの本質を知っている」
紀周はそんな何暫の姿勢を感心していた。
「学びの本質とは試験に及第するためではなく、生活に必要とするからでもない。学ぶというのは即ち教養を得るということだ。教養を得て、心身豊かになるからこそ、人は発展するのだ」
当の何暫は紀周が思うほどのことを感じていない。単なる知的好奇心が紀周の塾に足を運ばせていた。
「何暫、調子はどうかな?」
講義が終わり、何暫が書庫へと向かおうとしていると、紀周が声をかけてきた。このように紀周が話しかけてくるのは珍しいことだった。
「まずまずです」
「まずまずか……。相変わらず君は自分を辛くみるな」
法家としてはそれが正しい、と紀周は満足そうだった。
「一回で及第できるほど官吏登用試験が甘くないのは知っています。逆に私のような若輩が一回で及第できるのであれば、試験の質が問われます」
「そうかな?私は今の塾生で順位をつけるなら一は夏音、二は何暫と思っているよ」
紀周が思いがけぬことを言ったので何暫は目を丸くした。師からそのような評価を貰っているとは思いもしなかった。
「まぁ、励みなさい。君の言うとおり、官吏登用試験は狭き門だ。そこで揉まれても人は成長できる。日々、成長できるための糧と思いなさい」
紀周は何暫の肩を叩き退出していった。何暫は静かに小さく礼をした。紀周のお墨付きを貰えれば自分も夏音も及第するかもしれない。夏音に伝えれば喜んだだろうが、肝心の彼女はここ二週間ほど姿を見せていなかった。
夏音が塾に来ていない理由は試験勉強であろう、と何暫は思っていた。しかし、実情は違っていた。父である夏光から外出禁止を言い渡されていたからだった。
官吏登用試験が迫ったある夜のこと。夏音は父から執務室に呼び出された。夏光と夏音の親子関係は良好だったが、頻繁に顔を合わせて言葉を交わすようなことはなかった。夏光が一国の丞相として忙しいからであり、夏光が帰宅した時に夏音がいれば二言三言、話をする程度だった。夏光がわざわざ呼び出すというのは珍しいかった。
「いかがなさいました?お父様」
夏光は娘をちらっと見てから、座りなさい、と着席を促した。しかし、すぐには話を切り出さなかった。
「あのお父様……」
「もうすぐ官吏登用試験だな」
「はい。日々、勉強しております。田知様のように一回で及第してみせます」
「そのことだが……主上にお前を官吏に推薦した。主上は二つ返事で引き受けてくださった。来年よりお前は泉春宮の一員だ」
主上に推薦する。それは即ち縁故による官吏採用を意味していた。夏音は目の前が暗くなるのを感じた。
「お父様……そんな、私は!」
「お前が試験によって官吏になりたいと意気込んでいるのは良きことだ。だが、それで官吏になれるほど甘くはない。本当に官吏になりたいのであれば、丞相の娘という立場を存分に使うべきだ」
「私の気持ちは無視ですか!」
夏音は激高した。娘がこれほど声を張り上げて怒りを表にするところを夏光は見たことがなかった。
「音!お前の存在がこれからの夏氏の命運を左右するのだ!お前の気持ちなど、斟酌している余裕などない!」
父の思わぬ反撃を受けて夏音の表情が一瞬引きつった。そして悔しそうに唇を噛み締めながら目に涙をためていた。
「分かったなら、しばらくは外に出ずに大人しくしているんだな。紀周先生の塾に行くことも許さん」
いいな、と念を押す夏光に反論できない夏音はぽたぽたと涙を流していた。




