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七国春秋  作者: 弥生遼
獄炎の法
920/962

獄炎の法~11~

 夏音が案内した店は紀周の塾からほど近い裏路地にある小さな料理屋だった。丞相の娘であるからもっと豪勢な店かと身構えていただけに拍子抜けしてしまった。

 「ここは我が家に勤めていた料理人が引退してから始めた料理屋なんだ。私はその味が好きで今でもよく通っている」

 夏音が何暫の心境を読み取ったかのように説明してくれた。何暫が相槌を打つ前に店の扉を開けた。

 「順さん。今晩は」

 店の中は狭かった。お世辞にも綺麗な店内とはいえず、机が三つ並んでいるだけで客はいなかった。とても一国の丞相の御令嬢が足しげく通う店とは思えなかった。

 「お嬢様。よくおいでくださいました」

 厨房から品のよさそうな老人が出てきた。夏音の前に進み出て丁寧にお辞儀した。

 「今日は頼む。こっちは私の友人の何暫だ。美味いもの食べさせてくれ」

 承知しました、と言って順老人は厨房に引き返していった。案内されるわけでもなく、夏音は厨房に一番近い席に座った。ここが特等席なのだという。何暫は夏音の正面に座った。

 二人が席に着くと次は老女が姿を見せた。順老人の夫人なのだろう。やはり丁寧に夏音に挨拶をした。

 「お嬢様。今日はよくおいでくださいました。お飲み物は何になさいますか?」

 「今日の料理に合うのを頼む。ああ、この前来た時に桃厘から届けられた果実酒があると言っていたな。あれはどうだろうか?」

 「はい。ご用意して参ります」

 順夫人は何暫には何も聞かず厨房へ下がっていった。酒以外のものを頼もうと思っていたので少し狼狽した。

 「私は酒を飲んだことないぞ」

 何暫は声を潜めた。

 「まだ酒を飲んだことないのか?」

 「私はまだ十六ですよ」

 「私は十七だが、二年前から飲んでいる。別に酒を飲む年齢を縛る法令はないんだ。尤も、家では飲ませてくれないけどな」

 夏音はからからと笑った。見目が美しい女性なだけに、どうもその言動と隔たりがあるように感じた。

 「一つ聞きたいんだけど……」

 「何だ?君から質問をするとは珍しいな」

 「夏音は本当に丞相の娘なのか?先生の塾に通うならまだしも、裏路地にある料理屋に一人で足しげく通っているなんて……ほら、警護とかもなさそうだし……」

 「ははは、確かにおかしいな」

 夏音は他人事のように言った。

 「最初の頃は警護がついていたな。私が煩わしくて逃げるようになったら付かなくなった。父も呆れていたよ」

 そこへ順夫人が木椀に入った果実酒を持ってきた。自然と乾杯をし、何暫は恐る恐る一口飲んだ。甘酸っぱい味が口に広がった。

 「どうだ?美味いだろう?」

 「うん。まぁ、美味いのかな」

 よく分からない、と言うと夏音は、君にはまだ早かったかな、と言った。

 料理が運ばれてきた。夏音が自慢するだけにどの料理も美味しく、自然と酒も進んだ。二人は料理をつまみながら、時には真面目に学びの話をし、その合間には他愛もない雑談をした。

 どれだけの刻限が流れただろうか。口直しの果物が出てきた頃にはかなり酔っぱらってきて次第にろれつが回らなくなっていった。

 「いやぁ、楽しい時間だった……。まったく帰るのが名残惜しい」

 夏音は頬が机につきそうなぐらいに顔をさげていた。それでいて果物をむしゃむしゃと起用に食べていた。

 「これは馬車を呼んだ方がいいんじゃないですか?」

 何暫は夏音の様子を見に来た順夫人に言った。順夫人は厨房で洗いものをしている順老人に駅馬車を呼ぶように頼んだ。

 「何暫さんは大丈夫ですか?」

 「はい。大丈夫のようです」

 順夫人が微笑んだ。

 「何暫さん、今日はありがとうございます」

 「いえ、こちらこそ。美味しかったです。また着たいです」

 「ぜひお嬢様と一緒においでください。実はお嬢様が誰かとここに来るのは初めてなんですよ。それだけ何暫さんに気を許しているんですよ。こんな楽しそうなお嬢様、本当に初めてです」

 順夫人の眼差しは孫を見る祖母のようだった。実際にそのような関係であるかもしれない。何暫は夏音を見る自分の目が少し変わった気がした。

 

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