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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
92/962

蜉蝣の国~12~

 泉春を人知れず出発した樹弘は伯国のある南へと向かった。当初はそのまま伯国へと入ろうと思っていたのだが、考えを改めてひとまずは桃厘を目指すことにした。

 『伯国に対する知識を仕入れたい』

 それには伯国に最も近い都市である桃厘が最適であった。その道中、古沃で泊まることになった。そこで驚かされたのは、以前娼屈で出会った雲札と雲華がいたことであった。

 『まずい……』

樹弘は建物の軒先で掃除をしている雲華の姿を見かけると、咄嗟に物陰に身を隠した。

 雲華と雲札には樹弘という名前で会っている。彼らの知る樹弘が真主となった樹弘と同一であるとは思うだろうか。常識的に考えれば思わないだろう。樹弘という名前も多くはなかろうが、ないわけではない。樹という苗字も、弘という名前も珍しくはなかった。

 「まぁ……別にばれても黙っていてもらえれば……」

 などと考えていると、背後から肩を叩かれた。

 「樹弘じゃないか!」

 樹弘が振り返るよりも早く、大きな声が天から落ちてきた。

 「雲札さん……」

 振り返り見上げてみると、そこには雲札の姿があった。

 「久しぶりじゃないか。元気にしているようだな。さぁ、こんな所でこそこそしてないで、俺らの所に来いよ。妹も喜ぶぞ」

 「あ、あの……」

 有無を言わさず、雲札は樹弘の手を取り、雲華がいる方へと歩いていった。その様子から察するに、雲札は樹弘が真主であるとは思っていないようだった。

 「雲華!懐かしいお客様だぞ」

 軒先を潜ると、雲華が机に座って帳面を捲っていた。雲札の声に顔を上げると、はっと驚きの表情を浮かべた。ただその驚きには懐かしみなどなく、ただただ驚いているという感じであった。

 「どうした、雲華?懐かしいだろう……」

 雲華は兄の言うことを聞かず、机から離れると樹弘の前で膝を突いた。

 「畏れながら真主さまでいらっしゃいますね」

 雲華は気がついたようであった。雲札は妹の突然の行動に不思議そうな顔をしていた。

 「おいおい、どうしたんだよ」

 「兄さん……畏れ多いわよ。早く膝をついて」

 妹にそう言われて雲札は初めて表情をこわばらせた。

 「樹弘……真主も樹弘……まさか……」

 「顔を上げてください、雲華。今の僕は単なる樹弘です。真主は別の人ですよ」

 「しかし……」

 「昔なじみの樹弘ですよ。雲札もそんな顔をしないでください」

 樹弘は手を取って雲華を立たせた。雲華は戸惑いながらも、樹弘の手を借りて立ち上がった。

 「そういうことなら……」

 ようやく雲華は相好を崩した。どうぞ座ってください、と椅子を勧めてきたので、樹弘は腰を下ろした。

 「そうだよな。真主様がこんな所をうろついてるわけないもんな」

 雲札は事態を理解したのかどうか分からなかった。ただ深く考えるのをやめたようで、樹弘の隣にどかっと腰を下ろした。

 「今は宿をやっているんですね」

 「はい。父と私と兄で。あ、でも、もう娼婦はおりませんけど」

 雲華は冗談を言って微笑した。あの時よりも年をとっているのに、より美しくなったように思えた。

 「雲彰さんは?」

 「宿だけではなく、運送業も営んでおりまして、父はそちらを主にしております。今は泉春に行っております」

 二人の父である雲彰とは行き違いになったようである。少し会ってみたい気もしたので残念ではあった。

 「手広く商売をしているようですね」

 「これも真主様のおかげです。礼を言います」

 「今の僕は真主じゃないですよ」

 そうでしたわね、と雲華がころころと笑った。

 「そうですわ、樹弘さん。しばらく泊まって行ってはいかがですか?父もしばらくすれば帰ってきますので」

 雲華の申し入れは嬉しかった。急ぐ旅ではあったが、古沃は泉国南部では桃厘、貴輝に次ぐ都市である。伯国の情報も入るかもしれない。

 「じゃあ、二三日世話になるよ」

 「それでは良い部屋を用意しますね。お代は結構ですから」

 「そういうわけにはいかないよ。商売を始めたお祝いだ。受け取ってください」

 では喜んで、と樹弘が差し出した代金を雲華が押し頂いた。雲札は相変わらず不思議そうな顔をしたままであった。

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