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七国春秋  作者: 弥生遼
獄炎の法
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獄炎の法~7~

 先の討議以来、何暫は塾生の中で一目を置かれる存在になった。師の紀周も、

 「何暫は入塾して間もないが、法の根本を理解している」

 と何暫を評価した。そして塾内の空気を変えたのは夏音だった。

 「私は先の何君の意見に大いに感銘を受けた。法の道を志すにはあのようでなければならない」

 夏音がそのように評価すると、阿諛追従して夏音の歓心を買おうとする塾生がいる一方で、夏音に評価された何暫を嫉む者も少なからずいた。

 「ちょっと夏音様から評価されたからと言っていい気になるなよ」

 彼らは面と向かっては言わず、何暫が目端に映ると、ひそひそを陰口を叩いた。

 当事者である何暫はあれ以来、評価されつつも快く思われていないことも察していた。郭旦などは入塾して早々の何暫が嫉まれているのを心配してくれたが、何暫はどこ吹く風だった。

 「私はここに法を学びに来ました。人から褒められるために来たわけではなく、嫉まれるために来たわけでもありません」

 あまりの素っ気なさに、郭旦も流石に呆気にとられた。何暫は万事この調子であったから、他の塾生と深く交わる様なこともなく、淡々と勉学に励んでいた。


 夏音とも会話を交わすことがなく過ぎていたが、あの討議から一ヶ月過ぎたある日のことだった。紀周の講義終了後、何暫が塾にある書庫で過去の法令集などを読んでいると、夏音も書庫に入ってきた。何暫は一瞬だけ夏音を見ただけで書物に視線を落とした。

 「君はあまり他者と討議をしないのだな」

 夏音は書物に目もくれず、何暫の前に座った。何暫は何も言わず書物を読み進めた。

 「君は少し変わっているな」

 夏音は返事をしない何暫に怒ることなどなかった。寧ろ声色に喜色が込められているような感じだった。

 「ここの塾生は事あるごとに私に寄ってくる。どうしても私と誼を結びたいらしい。最近では私目当てで入塾してくる者もいるという。その点で言うと君は相当変わっている」

 「私はここに学びに来ただけですから」

 何暫は顔を上げて言った。丞相の娘。美貌の女性。男が寄って来ない方がおかしいのだろう。だが、何暫は興味がなかった。今はただ紀周のもとで法を学ぶことが楽しく、その他のことは余事でしかなかった。

 「それは尤もなことだ。私もそうだ。だが、雑音が多くてどうにも最近は勉学に打ち込めない」

 「ご自宅でなさればいいでしょう?」

 「自宅は自宅でうるさいのだ」

 夏音にはにっと笑った。その笑顔の意味が分からず、何暫は再び書物に目をやった。

 「なんだ……折角会話が成り立ってきたのに、また無視をするのか?」

 「夏音様は勉強をなさりに来たのですか?それとも私をからかいに来たのですか?」

 「夏音でいい。様付けはしないでくれ」

 夏音は何暫の質問には答えなかった。

 「ここでは私はあくまでも一介の塾生だ。他の塾生にもそう言っている」

 「丞相の娘とは難しいものですね」

 ふふっと夏音が笑った。

 「何がおかしいのです?」

 「いや、失礼。確かにそうだ。丞相の娘とは難しいものだ」

 だからこそ私はここに来たんだ、と夏音は言った。何暫は顔を上げた。そこには夏音の真剣な顔があった。

 「一人娘である私はいずれ婿養子を取らねばならない。私はそれが嫌なんだ。家のために好きでもない男と結婚することなど耐えられない。だから勉強して私自身が夏家を継ぐ。そう決めたんだ。勉強して知識をつけて、誰にも文句をつけさせない政治家になるんだ」

 夏音の言葉に偽りなどなく、真摯さしか見えなかった。身分の高い家に生まれた者にはその生まれにしか分からぬ苦悩というのがあるのだろう。それを知れたことは何暫にとっては収穫ではあった。

 「貴女も相当変わっていますね」

 何暫が言うと、夏音は目を丸くしてからくすくすと笑った。

 「知っている。だから君のような男に声をかけてみたんだ」

 夏音の反撃に何暫は何も言い返せずに、黙って読書に戻った。夏音はまだくすくすと笑っていた。

 

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