獄炎の法~6~
何暫が入塾して二ヶ月過ぎた。この間、何暫は熱心に学び、紀周の教えを吸収していった。だがまだまだ新米であり、塾内で目立つことはなかった。ましてや常に多くの塾生に囲まれている夏音と交わることはなかった。
二人が初めて言葉を交わしたのは、紀周の講義が終わったある日のことだった。その日、紀周は軍法について講義した。講義終了後、塾の庭で塾生達が軍法について討議していた。その輪の中に何暫がいた。討議の内容は、
「軍法と国主の命令はどちらを上位に置くべきか」
というものであった。このような討議が行われたのには理由がある。
軍法とは軍を統制するための法である。どの国の軍にも軍法はあり、一軍の将が出師した時、法の執行者は将軍となる。たとえ国主の命令であっても、戦場においては軍法とそれに基づいた将軍の判断が優先されるというのが通説だった。
だが、紀周は講義に中でこの通説に疑義を呈した。
「私は、法は公より出でて公の上に立つと説いた。それが正しいとするならば、国主の命令であっても、戦場においては将軍がそれを跳ね付けるのも正しいとなる。だが、そうなれば将軍は国主に相当する独裁権を得ることになる。果たしてそれが法によって統制される国家として正しいのかどうか。私は今でも疑問に思っている」
紀周という法の大家は、自己の教えを絶対視してなかった。分らぬことは分からぬと言うし、疑問に思うことについては率直に弟子達に伝えた。それで弟子達に討議させるというのが紀周の狙いでもあった。
「それは当然ながら国主の命令であろう。法は国主の上に置くべし、というのが先生の教えではあるが、国主が発した命令であれば、それもまた法に等しい。将軍は服すべきだろう」
円座になっている場で高らかな声で主張したのは景尚。言わずもがな景氏の子弟である。但し、景氏の本家筋ではなく末流だった。
「それはおかしい。いくら国主に命令であれ、戦場に出て幕府を開けば、将軍は国主に相当する権限を持つ。それは古今東西の常識だ。時として国主の命令をはねつけるだけの権限がなければ、遠く国都を離れた将軍が奸臣の讒言でその職を追い落とされるようなことが発生する。歴史を学べば分かることであろう」
反駁したのは郭旦であった。この二人が討議の中心となっていた。何暫は郭旦の隣で二人の議論を聞いていた。
景尚と郭旦は喧々諤々の議論を続けた。あまりにも白熱し、他の塾生が討議の中に入れぬほどであった。そこで静かに手を上あげた人間がいた。夏音だった。
「両者の意見、面白いと思う。が、他の意見も聞いてみたいと思わないか?」
夏音は紀周の私塾の中では比較的年齢は若めである。しかし、丞相の娘という地位が彼女を塾生の首領格にしていた。
夏音に促されて座にいた塾生達がそれぞれの意見を述べる。いずれも郭旦か景尚のいずれかの意見に賛成するものだった。
何暫の番が回ってきた。何暫は入塾して初めて討議に参加することになった。
「私はいずれの意見にも賛意しません」
何暫は伏し目がちで言った。
「ほう。それは詳しく意見を聞きたいものだな」
夏音がじっと何暫を見てきた。同年代の女性に見つめられることなどなかった何暫は視線をそらしながらも続けた。
「軍法とは軍をまとめるための法です。国主の命令とは相関性はないと思います」
景尚が何事か言うとしたが、夏音が右手をあげて制した。
「最後まで続けたまえ、何君」
夏音は何暫の名前を知っていたようだった。
「例えばの話です。軍中に軍法を破る者がいたとします。その者は軍法によって裁かれなければなりません。しかし、その者は実は国主の家に連なる者で国主が減刑を求める命令を出したとします。この場合は明らかに国主の行いは僭越であり、軍法が優先されるべきです。では、次の場合はどうでしょう。国都内に不穏な動きがあって国主が遠征中の将軍に帰還を命じました。この場合は国主命令は軍法と相関性がありません。政治的あるいは軍事的な命令です。これについては将軍は国主の命令に服すべきでしょう」
塾生達は息を飲んだ。景尚と郭旦の討議はひどく抽象的な総論であった。しかし、何暫の意見は個別具体的でより法のあり方として近いものだった。後にこの討議のことを聞いた紀周は、
『何暫の思考こそ、実戦的な法官に相応しいものだ』
と多いに褒めた。そして夏音も、
「何君の意見は傾聴に値する良き意見だ。私も大いに同意したい」
と手放しに称賛した。何暫と夏音が言葉を交わした最初の瞬間だった。




