獄炎の法~4~
何暫は紀周の私塾へと向かった。紀周は入塾志願者には必ず会って面談した。面談の結果、有能だと判断すれば農民の子であっても入塾を許可し、無能であると思えば公族の子弟でも入塾を認めなかった。
「まずは国辞を暗唱なさい」
紀周の面談は中原の歴史書である国辞の暗唱から始まる。文字を知り、固辞を知らねば法は学べぬというのが紀周の考えであり、一文字でも間違えると半年間は面談が許されなかった。何暫は造作もなく暗唱してみせた。
「ふむ。では『清風政談』の第三節を要約できるかね」
清風政談は古代の賢人といわれる子仲が書き残した政治哲学の書物である。子仲は泉国、翼国の二国の宰相を務め、人臣でありながら覇者に相応しいとされた人物である。何暫の時代であっても理想の政治家とされていた。
「翼公に献策した時、我曰く、主よ罪人を何と思し召しや。主曰く、法を犯したる者なり。我曰く、さにあらず、罪人は世を乱す者なり。という箇所ですね」
何暫はその一節を暗唱した。これには紀周は唸った。紀周の私塾の門を叩く者の中で国辞を諳んじることができても、清風政談を諳んじられる人間はそういなかった。
「どういう意味か解説してみなさい」
「法とは世の中を平穏にするために作られたものです。罪人が罰せられるのは法を犯して罰せられるのですが、その本質は世を乱そうとしたから罰せられるのです。言い換えれば、世を乱そうとする者がいなければ法はいらず、世を乱すとする悪人がいるから法が必要なのです」
「ほう……」
これにも紀周は唸らされた。この問答をした時、普通の志願者は法が存在する前提として世の中の治安維持があると答える。何暫もそのように答えたのだが、そこからさらに一歩踏み込んで法の存在意義にも言及した。今までの志願者はそこまで答えることはなかった。
「何暫と言ったか。君は性悪説を信じているのかね」
「完全にと言うわけではありませんが、基本的には人は悪性だと思っています。初代の義王の時代から法の原型はあったとされています。その時代から人は法によって縛られなければ世の中の秩序を維持できなかった。いえ、それでも世は乱れたこともあったのですから、時として法すらも無力であると考えています」
何暫は率直に答えてから、はっとした。ひょっとしてそのようなことを言えば、不合格になるのではと思った。
「実に興味深い答えだ。私は人はそこまで悪性だと思っていない。しかし、君が言うように法があっても法を犯す者がいて、世の中が乱れるのは確かだ。それは何故かと思うかね?」
何暫の心配は杞憂だった。むしろ紀周は嬉しそうに再度質問をした。
「人心ではないでしょうか。人心が豊かであれば法を犯すような者はおらず、人心が貧しければ法を犯す者が増える。そういうことではないでしょうか」
「君にしてはひどく曖昧な答えだな。人心とは法の及ばぬ範囲だ。また法をもって人の心を制御することもできん。ここでは人心までは教えられんぞ」
何暫は動揺した。今度こそ失言したと覚悟した。
「そういう顔をするな。君はどうにも他の志願者と違うようだ。私としても興味が湧いた。よろしい。入塾を許可しよう」
何暫を顔を明るくさせた。
「ありがとうございます」
「君が求めている答えが見つかるとよいな」
こうして何暫は生涯の師というべき紀周の門下生となった。
紀周の私塾には常時二十名ほどの塾生がいた。彼らは週に二回ほど塾に通って紀周の講義を聞くことになっている。それ以外の日は自宅で自習してもよいし、塾に来て他の塾生と談義したり、紀周の所蔵している書物を読み漁ることもできた。
比較的自由な塾風であるが、二つだけ鉄則があった。ひとつは官吏になれば退塾せねばならないこと。もうひとつは塾に通う時は黒衣を纏わねばならなかった。
『官吏ともなればその瞬間から身は公のものとなる。塾などに通っている暇はないはずだ』
ひつとめについて紀周はそのように言っていた。黒衣については、
『黒とは何者にも染まらぬということだ。法官が着る衣装にこれほど相応しい色はないだろう』
と説明した。
何暫は紀周と面談した翌日には叔父の何申に黒衣を調達してもらい、塾に通うことになった。そして何暫は生涯の師と崇める紀周の塾で運命の出会いを果たすのであった。




