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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
91/963

蜉蝣の国~11~

 雲彰という老人は、古沃近郊で商売をしているのだと紹介した。

 「元々は娼屈を経営していた」

 雲彰がそう言った時、紅蘭はわずかに嫌な顔をした。職業に貴賎をつけるつもりはないが、それでもまっとうな堅気の商売ではないことは確かであった。

 「しかし、真主様のご政策により、娼屈を辞めることを条件に無利子無担保で金銭を貸していただけのだ。それを元手に今では宿と運送を仕事にしている」

 紅蘭は真主がそのような政策を行っているとは知らなかった。無利子無担保での貸付とは思い切ったことをするものだと多少は真主のことを見直した。

 「それでご商売のほうは?」

 「まずまずですかな。今も商用の帰りだ」

 紅蘭が乗り込んでいる荷台には酒樽のようなものが数個積まれていた。これを古沃で売るのだろうか。

 「ご老人ひとりでは無用心ではないですか?」

 「ほほ。相房の世ならいざ知らず、真主の御世では盗賊はほとんどおらんよ」

 それが事実であることは、女で一人旅をしている紅蘭は一番よく知っていた。

 「お嬢さんは何を?」

 「気ままな旅を。でも、目標はある」

 官吏になることだ、と紅蘭は高らかに言った。

 「官吏……」

 雲彰は怪訝な顔をした。無理もないことであった。泉国で庶民が官吏になることができたが、難関な登用試験を受けねばならなかった。過去に女性が合格したこともあったらしいが、非常に稀な例であり、過去百年では一人しかいなかった。しかも現在の真主は、国庫の支出を抑えるために官吏の登用を制約している。さらに狭き門なのである。

 「官吏になって、政治をしたい」

 自分の手で国家の政治を動かしたい。紅蘭にはそのような壮大な夢があり、その第一歩は官吏になることであった。

 『景朱麗様のようになりたい……』

 紅蘭は丞相景朱麗に憧れていた。泉国の名家に生まれたが故に女ながら丞相となった景朱麗であったが、その実力は間違いないものであった。真主の政治は景朱麗によって支えられていると紅蘭は見ていた。

 「壮大な志だが、旅ばかりして勉学をしていない御仁が試験に受かるとも思えないが……」

 「私にとって旅が勉強なんだよ」

 雲彰に痛い所を突かれたが、旅が勉強だというのは本気であった。政治というのは、机の前で本を捲って分かるものではないという信念があった。


 雲彰の馬車に揺られて三日。紅蘭は古沃に到着した。

 「ありがとう、雲彰さん」

 紅蘭は荷台から降りた。雲彰はこのまま近くの街まで行くらしいので、ここで別れることになった。

 「ほほ。ここから大通りをまっすぐ行くと儂の娘がやっている宿がある。さっき荷下ろしした使用人に言付けているから今晩はそこに泊まりなさい」

 雲彰という老人は最後まで世話を焼いてくれた。世話を焼かれた者は、その恩返しのように誰かに世話を焼くのだろうか。そうだとすれば、真主の政治は単に政治や経済だけではなく、人の心も変革しているのだろう。

 「私が丞相になったら、雲彰さんを政商にしてあげますよ」

 紅蘭が軽口を叩くと、期待しているよ、雲彰は手を振りながら馬車を進めた。

 雲彰の馬車を見送った紅蘭は、教えられた宿を探した。宿は比較的すぐに見つかった。

 「へええ」

 新規に始めたためかまだ外装は綺麗であった。その軒先に一人の女性が佇んでいた。大人びた美しい女性で、あの老人の娘とは思えなかった。

 「紅蘭さんですか?」

 「は、はい」

 「雲彰の娘の雲華と申します。父の相手をしていただいたようで、ありがとうございました」

 「いえ、こちらこそ。助かりました。そのうえで泊めていただけるなんて」

 「どうぞこちらへ」

 雲華に案内されて中に入ると、小さな女の子が人形を抱えて遊んでいた。その隣では屈強な男が愛おしそうに女の子を眺めていた。雲華と男が夫婦で女の子は二人の子供なのだと思っていたが違っていた。

 「あちらは兄の雲札、そして私の娘です」

 紅蘭が問うよりも先に雲華が紹介した。雲札はあまり接客に向いていないのか、紅蘭に軽く会釈しただけで奥に引っ込んでしまった。一方の娘のほうは非常に人懐っこく、こんにちは、と大きな声で挨拶してきた。

 「こんにちは」

 紅蘭は女の子の頭を撫でてやった。女の子は嬉しそうに破顔した。かわいい子ですね、と言うと、ありがとうございます、と雲華は嬉しそうに答えた。

 「お部屋は二階です。ご案内します」

 雲華が鍵を取ってきて階段を上ろうとすると、二階から誰かが下りてきた。狭い階段なので紅蘭と雲華は下で待った。

 下りてきたのは紅蘭とそれほど年の変わらぬ男性であった。大人しそうな顔をしていて、まだ少年の面影をどこかに残していた。

 「あら、樹さん。おでかけですか?」

 「はい。ちょっと散策してきます」

 樹と呼ばれた男性は紅蘭にも丁寧に頭を下げ、宿から出て行った。何事か気になり彼の後姿を見送ったが、雲華に呼ばれて紅蘭は階段を上っていった。

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