凶星の宴~55~
譜申の遺体が極沃に戻った。極沃の民衆は嘆き悲しみつつも、譜申の行動を称賛した。
「譜申様は命を賭して逆賊である呉親子を排斥した。まさに国柱というべきではないか」
「許せんのは呉親子よ。奴らは自ら国主になりたいがために領土を龍国に差し出そうとした。売国奴め」
「譜申様こと名臣の中の名臣。流石は譜天将軍が見込んで養子にされただけのことはある」
人々は口々に譜申を褒め、呉江呉頗親子を罵った。これは呉豊が事前に会盟での出来事を極沃に流布させて世論工作をしたためでもあった。
「譜申の本意ではないかもしれないが、会盟でのことを最大限に活用させてもらおう」
呉豊はまもなく国主となる。龍国だけではなく、会盟において樹元秀のお墨付きをもらったようなものであり、呉豊の国主としての地位がもはや揺らぐことはなかった。だが、その前にしなければならない問題があった。呉江の処分である。これについては樹元秀から一任されていた。
『泉公は俺を試そうとしているのだ』
樹元秀は極国の法に照らして処分せよと言った。極国には反乱に対する罪科は定められているが、それに対して一族が連座するかどうかは定められていない。呉江は呉頗と袁垂の企みについては知らなかったと言っている。それが真実であるとすれば呉江を裁く罪状が極国にはない。だが、今の状況で呉江を完全無罪にすることはできなかった。もしここで呉江を許せば逆に民衆の反感を買い、呉豊の名声に傷がついてしまうだろう。
『だからと言って死罪にはできまい。俺の一存で呉江を処分しなければ……』
世論工作は呉江を処分しやすくするためのものでもあった。世論を呉江憎しとしておけば、いかなる処分を下しても世論は納得するだろう。これから極国を治めるためにも必要なことだった。
呉江の身柄も極国に戻されており、屋敷で軟禁されていた。呉江は一切の抗弁もせず、呉頗のために服喪しているという。
「呉江は終身遠島を申し付ける。但し、刑の執行は呉頗の喪が明けてからとする」
呉頗の喪が明けるのを待ってというのが呉豊が示した最大限の寛容さだった。
一年後、呉頗の喪が明けてから呉江は極国南方にある孤島に流された。そこで二年後に死去している。
会盟が終わって十か月後、呉豊は龍国から公孫の青久を妃として迎え、同時に国主に就任した。結婚式と国主就任の儀式が同時に行われ、各国から国主もしくは使者が慶賀に訪れた。泉国からは太子の樹佑が国主代理として駆けつけた。
「この度はお越しいただきありがとうございます。祝辞も佑太子からいただきまして光栄でございます」
呉豊は来賓席に座る樹佑の前で膝を降り、丁寧に礼を言った。
「こちらこそ私が代理で申し訳ありませんでした。我が主は行く気満々だったのですが、直前で風邪を召されまして……」
「いえいえ、泉公は多忙でございますから。ご帰国されたらよしなにお伝えください」
社交的な会話が終わると、呉豊は次の来賓に挨拶に向かった。呉豊に続いて閣僚達が挨拶に来た。いずれも呉豊によって新任された者ばかりだった。
『譜申の息子は閣僚に入らなかったらしいな』
呉豊は当初、譜申の息子である譜乙を閣僚に迎えようとした。しかし、譜申は固辞した。
『私は父が命を賭している時に何もできませんでした。私には閣僚を務めるほどの力量はなく、父の七光りで閣僚になったと謗られることに耐えられません。どうかご容赦ください』
呉豊としては譜乙には閣僚を務める力量は十分にあると思っていたのだが、再三の要請にも関わらず譜乙は固辞し続けた。その後、譜乙は地方官となり、そのまま生涯を終えたという。
『私は新任されたそれぞれの閣僚がいかなる人物か知らないが、極国と極公を支えるだけの人物がいるのだろうか……』
亡くなった譜申は呉豊の傳役時代は直諫の臣だったという。呉豊はそれを疎ましくて譜申を退けたと聞いているが、今の呉豊に必要なのはそういう臣ではないのだろうか。そして、呉豊が取りそろえた閣僚の中に譜申が如き人物がいるのだろうか。
『所詮は他国のことだ。しかし、これは我が事として考えねばならん』
樹佑はいずれ国主となる。すでに太子として泉国の政治軍事の仕事を任されている。周囲には樹佑直属の家臣も多く、いずれ彼らが樹佑が国主となった時に閣僚になる者達だ。だが、彼らの中にずけずけと樹佑に意見を言う者はいなかった。
『父上には劉嘉丞相がいる。丞相は父上の友人でありながらも、率直な意見を言い、時として諫言することも辞さない。父上もそれを素直に受け入れている。私にはそういう臣がいない』
樹佑は自分の危うさに気がついた。同時に気が付いたのが国主になる前でよかったと思った。
「あの、樹佑様。いかがなさいました」
名も分らぬ極国の閣僚が不思議そうに尋ねてきた。きっと樹佑は心ここにあらずという状態だったのだろう。
「いえ、何でもありません。ただ、これが極国にとって良き宴になるであろうと嬉しく思っていただけです」
それはありがたい言葉です、と閣僚は大いに喜んでいた。樹佑はお世辞を言える自分に戸惑いながらも、気分を変えるために窓の外を見た。星が暗く見えていた。




