凶星の宴~50~
「譜申!」
呉頗は譜申に詰め寄り胸ぐらを掴んだ。
「貴様だ!貴様のせいだ!貴様のおかげで俺が国主になるという夢が絶たれた!」
どうしてくれる、と叫んで呉頗は譜申を突き放した。譜申はよろめいた。
「私は会盟の場で呉豊様を国主としてお認めくださいと申したはずですが……」
「忘れていたわ!そのような約束!いいであろう、お前の望み通りに呉豊が国主となることを泉公が認めてくださったぞ」
これで満足か、と怒鳴り声をあげた呉頗だったが、語尾には力がなかった。
「呉頗様はどうして国主になろうとなさるのですか?」
「ふん。貴様には分からんだろう。呉家に生まれた者として自らに器量があると自惚れれば国主にならんと欲するのは当然であろう」
「ということは呉家に生まれなければ国主になるという野心は湧かなかったと仰るのですね」
「養子の貴様には理解できないだろうがな」
呉頗は力なくその場に座り込んだ。
「呉頗様。私は確かに極国の名臣といわれた譜天の養子です。ですから常に養父と比べられて生きてきました。譜家の人間として束縛を受けてきたという点では呉頗様と変わりないかもしれません」
「……国主と家臣を一緒にするな……」
「私は私であると思って生きてきました。養父は極国の臣としていかようにあるべきかという心構えは教えてくれましたが、生き方を強制しませんでした。それで今の私があるのです」
譜申は懐から複数の書状を取り出した。
「これらは例の書状の残りです。ひとつだけは極沃に保管しておりますので、帰り次第お返しいたします」
呉頗は譜申の手から書状を奪い取ると中身を確認した。本物であると知れると、懐に捻じ込んだ。
「約束は守るのだな」
「当然です。但し、その書状は極沃に戻るまでお捨てにならないよう呉頗様の懐に入れたままにしておいてください。呉頗様の気が変わらないようにするためのお守りとして」
「お守りか……足枷の間違いだろう」
「さて、参りましょう。泉公の主催の宴に送れるわけにはいきませんから」
「貴様が一番の曲者よ!これほどのことをしておいて平然としていられるだからな!」
呉頗は顔を真っ赤にした。対照的に譜申は実に涼しい顔をしていた。
泉国の宿営地がにわかに賑やかになった。会盟が無事に終了したことを祝して樹元秀主催の宴が行われることになった。場所は主催者の宿営地である。
「佑に宴の裁量を命じます。主催者として恥じぬ宴を準備してください」
樹元秀は宴の準備を樹佑に命じた。樹佑にとっては各国国主を前にして任された初めての大きな仕事である。緊張しながらもはりきって仕事にとりかかった。
「急げよ。主上の名を辱めるようなことがないようにな」
会盟の終わりには宴が行われるのが慣例となっており、それを主催するのは会盟の主催者が行うというのも慣例となっていた。そのため樹元秀は泉国から食材を運ばせ、料理人も帯同させていた。樹佑は厨房にも顔を覗かせ、料理人達を激励して回った。
宴が行われる天幕に机や椅子が揃えられ、続々と料理や酒が運ばれてくる。気の早い招待客はすでに到着しており、宴の始まりを今か今かと待ちわびていた。
そこへ樹元秀が姿を見せた。作業をしている者達は一瞬だけ手を止めて黙礼した。本来、料理人などの雑役の身分の者はいくら作業中であっても国主を見かければ、平伏しなければならなかったのだが、泉国では先代の樹弘の代から禁止となっていた。樹元秀も彼らに対して丁寧に会釈をし、労をねぎらった。
「主上、お早いご到着で……」
樹佑が慌てて駆け寄ってきた。本来、主催者となる国主は最後に登場するものであった。
「佑がちゃんとやれているかどうか気になってしまってね。どうやら杞憂だったようだね」
樹元秀は宴の準備具合に満足しているようだった。
「恐縮です」
「佑はこの会盟で何事か得たことがありましたか?」
まめまめしく働く雑役達を眺めながら樹元秀が問いかけてきた。
「得たことですか……」
樹佑はしばらく考えたが、答えが思い浮かばなかった。
「お恥ずかしいことですが、今は何も思い浮かびません。本国に帰り、しばらく考えてみれば何事か分かるかもしれません」
「自信家の佑にしては素直な感想ですね。それでいいと思いますよ」
樹元秀は樹佑の素直さを喜ばしく思っているようだった。




