凶星の宴~41~
呉頗が視察から帰って来ると譜申は龍国へと出発した。表向きは龍国にいる親戚を訪ねるというものであったが、実際には范程に会って今後のことを協議するためだった。
「今のところ呉頗は自分の屋敷に賊が入ったことに気が付ていないようだ。しかし、いずれ書状がないことに気が付くかもしれん。その時は何があっても無視し続けるんだ」
譜申は田解にそのように言い含めておいた。
譜申が調べたところ、呉頗の方では屋敷に賊が侵入したことにまだ気が付いていない。警備兵が矢を放ったのも、雨で木の枝が大きく揺れた音に反応してしまったということになっているらしい。しかし、呉頗が例の書状を確認すれば、それらが盗まれたことに気が付くはずだ。その時、焦って動かぬように田解に釘を刺しておく必要があった。
「はい……」
鳴々の死後、田解は覇気が抜け、譜申に従順になっていた。それはそれで不安ではあったが、この様子では軽挙することはないだろう。譜申はひとまずは安心して龍国に向かった。
何事もなく龍頭に到着した譜申は早々に范程と面会した。譜申は包み隠さず、袁垂の書状を范程に見せた。書状を一読した范程は目に見えて顔を紅潮させた。
「なんとも恐ろしい計画を……。もし実行されていたら、我が国は中原中から侵略者の誹りを受けていただろう」
よくぞ報せてくださった、と范程は心底感謝するように頭を下げた。
「私は未だにこれが偽書ではないかと疑っているぐらいです」
「いや、心当たりがあります。ちょうどこの時期ぐらいに我が軍の一部が炎城近郊に集結しておりました。演習と聞いていましたが……」
状況証拠だが、書状の内容を裏付けることはできた。後はこの書状をどう活用するかである。
「范程殿に相談というのは他でもありません。この書状をもって呉親子を一気に御館から追い落とすこともできるのですが、それでは貴国にも迷惑がかかる可能性がある。どうすべきか迷っているのです」
「我らとしても袁垂を排斥するよい機会だと思うのですが、実は近々、会盟が行われるという噂があります」
「会盟?次の会盟まではまだ一年あるはずですが……」
会盟とは中原の各国の国主が一堂に集まり、中原の諸問題について話し合って解決しようというものである。通常は二年に一回行われており、それ以外では特筆すべき問題が発生した時に臨時で開かれることもあった。
「左様です。臨時の会盟です。主題は旧界国でできつつある難民を受け容れる機関についてのようですが、そこで極国のことも議題に上がるのではないかというのです」
そこで袁垂の書状を明かにすれば効果は絶大だろう。譜申は息を飲んだ。
「開かれるというのはまだ決定ではないのですか?」
「翼国と斎国が連名して会盟の開催を申し出ています。後は泉公次第でしょう」
現在の泉公―樹元秀。中原の誰しもが認める覇者であった。
樹元秀は父の跡を継いで国主になって十数年経過していた。
名君の誉れ高かった父以上の名君。過去現在未来すべての時代において名君の中の名君。樹元秀は様々な形容の仕方でその治世を称賛され、当世から名君として中原中から畏敬の念を集めていたが、本人には驚くほどその自覚がなかった。樹元秀こそ覇者であるという世評を耳にしても、
「僭越なことだ。私などよりも有徳の人だった父すらも覇者を名乗ることがなかった。非才である我が身が覇者であるはずがない」
やんわりと自身が覇者と呼ばれることを否定した。その慎み深さもまた樹元秀が他者から畏敬される要因でもあった。
樹元秀のもとに臨時の会盟を開いて欲しいという胸の書状が翼公と斎公の連名で届けられた。この頃、泉国では樹元秀が即位してから行っていた農地改革がひと段落していた。秋になるころには空前の収穫が得られるという報告を聞いていたので、かねてよりの懸案であった中原の難民政策について進めてみてもいいと考えていた。
すでに樹元秀の発案によって旧界国の領土に難民を一時的に保護する施設を建設していたが、樹元秀からすると不徹底だった。これをさらにより良きものにしたいと考えていたところだった。
「臨時で会盟を開くのは良いかと思います。私の方から他の国主に書状を出しましょう。しかし、極国の国主に関する話は極国の問題であり、会盟において議論するのは内政干渉にあたると思います」
樹元秀は翼国の使者に対して丁寧な口調で応対した。書状には極国の後継者問題についても議論すべしと書かれていた。
「お言葉でございますが、極国がいくら半島の先にあるとはいえ、国主がおらずに国政が不安定になると難民も増えましょう。と言うのが我が君も考えです」
翼国は海を隔てて極国と接している。極国の難民が翼国に流れ着く可能性もあった。
「なるほど。そう言われてみせればそうですね。承知しました」
樹元秀はあっさりと使者の言い分を認めた。相手が陪臣であっても、理がある発言であるならばそれを認める素直さもまた樹元秀の名君たる所以だった。




