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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
89/958

蜉蝣の国~9~

 樹弘が倒れた翌日、景朱麗は樹弘に呼ばれた。樹弘は用心をして未だ安静にしており、今朝の朝議にも出席しなかった。

 『どの顔をして主上にお目にかかるのか……』

 できるならばまだ樹弘と顔を合わせたくなかった。気まずさがあり、顔を合わせればまた口論が始まるのではないかという怖さもあった。

 樹弘の寝室の前では景弱が佇立していた。景朱麗を見つけると、鬼のように睨みつけてきた。

 「主上に呼ばれてきたんだが……」

 景弱は無言で頷き、樹弘に伺いを立ててから戸を開いた。

 「失礼いたします」

 中に入ると樹弘は寝台にいた。上半身は起こしており、血色も昨日より良さそうであった。

 「主上!」

 景朱麗はその場で膝を突き、頭を深々と下げた。

 「昨日は臣下として出過ぎたことを致しました。いかなる処罰をも受けるつもりでございます」

 景朱麗としては伯国に関することを譲るつもりはない。しかし、ここは臣下としては謝罪しなければならなかった。

 「顔を上げてください、朱麗さん。僕も大人げなかったと思っています。昨日のことはお互い水に流しましょう」

 そう言われて顔を上げた景朱麗はおずおずと寝台に歩み寄った。

 「しかし、主上。伯のことについては私は自説を曲げるつもりはありません」

 謝罪したとしても、それだけは言っておかねばならなかった。

 「僕も曲げるつもりはない。戦争だけは嫌だ……」

 樹弘の言葉からは確固たる信念が読み取れた。また口論か、と景朱麗がぐっと身構えた。

 「でも昨日、元亀様に色々と言われた。それで分かったのは、僕の視野がとても狭いことだ」

 甲元亀の説得は有効だったのだろうか。景朱麗は黙って樹弘の言葉の続きを待った。

 「朱麗さん、しばらく僕はここを留守にします」

 「え?それはどういう……」

 一瞬、どきりとした。動悸が激しくなり、手がかすかに震えてきた。

 「元亀様に言われたんだ。実際に伯国を見て来いって。その上で判断しろって。確かにそうなんだ。僕は伯国について何も知らない。知らないのに、偉そうなことを言うだけ駄目なんだ」

 樹弘の決意は固いのだろう。揺らぎがないのは目を見れば分かった。

 「では、景弱……いえ、無宇もお連れください」

 「いつもの巡察じゃないんだから。一人で行く。その方が自由に回れるからね」

 樹弘は首を振った。堪らなく心配であったが、一人で行くことについてもその信念を貫き通すであろう。

 「それとこれを朱麗さんに預けておきます」

 樹弘は寝台から出ると、金庫から小さな袋を持ち出した。その中には金の印璽が入っていた。泉国の玉璽であった。国家にまつわる重要な命令書―勅状には必ず玉璽が押されていた。それを委ねるということは、国家の全権を任せられるということであった。

 「主上……それは流石に」

 「伯国に関すること以外はすべて朱麗さんにお任せします。貴女ならば決して間違わないでしょう」

 朱麗さん以外に託せる人はいない、と言われ、景朱麗の涙腺は崩壊した。はらはらと瞳から流れ出る涙を止めることができなかった。

 「しゅ、朱麗さん……」

 「申し訳ありません、主上。その……私は主上に嫌われ、信を失っていたと思っていましたから、嬉しくて」

 「嫌うだなんて……。朱麗さんは僕にとって大切な人ですよ」

 樹弘にそう言われ、景朱麗の体はかっと熱くなった。その熱さの意味をまだ自分では完全に理解できない景朱麗であったが、今は樹弘に嫌われていないというだけですべてが救われた気がしていた。

 「主上、お気をつけて行ってらっしゃいませ。留守はお任せください。でも、できる限りお早くお戻りください」

 景朱麗は無意識のうちに樹弘の右手を取っていた。樹弘は少し驚いたように目を丸くしたが、もう片方の手を景朱麗の手に添えた。

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