表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七国春秋  作者: 弥生遼
凶星の宴
872/963

凶星の宴~18~

 「婚姻とは家と家が行うもの。それなのに家の代表者がおらぬというのはいかにも不手際でございましょう」

 譜申は話を進める。譜申にいっていることは明かに詭弁だった。家の代表者ということであれば袁垂がおり、呉一族である呉江の信託を受けた春玄がいる。国家間での婚姻ということであれば、それで十分成り立つ。袁垂も春玄もそのように反駁することもできたが、譜申の力強い語気と湧き水のように流れ出る言葉がそれを許さなかった。

 「かつて翼国の賢人宰相といわれた里渓は、時の国主である羽中にこのような諮問を受けました。里渓よ、我が太子に必要な妃とはどのようなものだろうか?探してきてくれまいか?里渓はこう答えました。主上よ、それは翼家の家の問題です。家臣が口出すことではありません」

 譜申は得意とする故実を持ち出した。この里渓と翼中の会話は有名なもので、知識人なら知らぬ者などいないほどだった。


 その昔、翼国に羽中という国主がいた。凡庸な国主であったが、里渓という丞相を得て、円満な治世を全うした。羽中には羽惇という太子がいた。これもまた凡庸な男であり、なかなか妃に来てくれる女性がいなかった。羽中は各国の国主に声をかけたが、羽淳の凡庸さを聞いて首を縦に振る国主が現れなかった。

 厳密にいえばいないわけではなかった。泉公が自分の公女を出しても良いと言ってはいた。ただ、その公女は齢三十を越えており、不器量という評判だった。まだ二十歳にもなっていない羽惇にはあまりにも不似合いだと羽中は二の足を踏んでいた。そこで羽中は、すでに賢人として名高かった里渓に諮問した。里渓は即答した。

 「主上。妃を迎えるのは家の仕事でございます。臣下に下問してはなりません。もし臣下に悪心あれば、その者にとって都合の良い女性を推奨されるでしょう。そうなれば社稷は軽んじられ、家も悪い方へ向かいでしょう」

 里渓の発言に得心した羽中は、結局その泉公の公女を太子の妃として迎えることを決めた。この妃は非常に聡明で、羽惇をよく助けて治世を明るくさせた。

 譜申が詳細を言わずとも、臣下が妃を決めるという危険性を里渓が説いたというのは誰しもが知るところであり、明かに呉江への牽制であった。

 「ましてや太子である呉豊様は次期国主となられる御方。今回の婚姻は、家と家の繋がりであると同時に国家と国家の繋がりにもなってきます。それなのにこの場に太子はおらず龍家の人間もいない。これをもってして家にとっても国家にとっても大事な話を進めるというのはいかにも手落ちでございましょう」

 「た、確かに……しかし、我が主上はあのように老齢で……」

 「太子がおられるでしょう」

 龍国にも当然ながら太子がいる。青張といい、すでに初老の域に入っているが、国政に携わっており、健在である。冷静に考えてみても、この場にいないことがおかしかった。

 「その太子にも子がおり、孫もいるとのこと。太子の妃に相応しい年齢の女性はいるはず。よしんば丞相のご息女を妃にするとしても、龍公か太子の養女としてから送り出すのが筋ではござりませんか?」

 畳みかける譜申の言葉に袁垂は顔を歪めた。閣僚の娘が他国の国主の妃となった例は数多くある。但しその場合でも、もともとその閣僚が国主家の血を引いているか、あるいは国主の養女となることが多い。臣下の娘という地位のまま嫁ぐ場合は、妃ではなく妾として嫁ぐか、力関係的に格下の国に限られていた。

 「しかし、貴国の太子は鯨飲の毎日で、政治にも参加していないと聞いておりますが……」

 「我が国の太子が連日盛り場で痛飲しているのは事実です。ですが、政治に参加していないのはその地位を与えられていないからです。それについては我ら極国家臣団の落ち度でありましょう。帰国次第、善処いたしましょう」

 譜申は横目で春玄を見た。春玄は喜怒哀楽がまったく読めぬ表情をしていた。

 議場が静まり返った。誰も譜申の発言に異論を出せなかった。譜申の言っていることは正論だった。だが、その正論は決して現実的ではない。先述した通り、現実の政治の中では家臣達の間で国家間の婚姻がまとめられるという先例は数多あり、批判されることではなかった。

 それでも理想論とも言うべき譜申の説く正論は聴衆は黙らせた。故事を習った政治家達からすれば、譜申のいうことが政治としてあるべき姿だと知っているからだった。反論をすれば、故事を知らぬ教養のない人間であると思われてしまう。だから誰しもが口を噤むのだった。

 「ご意見がないようでしたら、この話は一度双方持ち帰り、我が国の太子と貴国の太子によって決すべしということでよろしいでしょうか?」

 すでに場の空気は譜申が支配していた。極国の他の人員は勿論、龍国の面子も、これが直諫をもって名を馳せた譜申であるかと見直した。ある者は好意的に見直したが、多くの者は否定的に捉えていた。

 『敵を作ってしまったか』

 譜申はその空気を敏感に察した。しかし、今更引くこともできず、譜申は会談を終結させた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ