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七国春秋  作者: 弥生遼
凶星の宴
865/963

凶星の宴~11~

 極沃に三日滞在した譜申は、下賜された資金で身支度を整えた。龍国への使節として出発する前々日には御館に出仕を命じられた。譜申にとっては久しぶりの御館だった。

 そこで儀式的な任命式を行った後、譜申は呉江の執務室に招かれた。

 「久しいな、譜申。一献傾けていくがいい」

 呉江は部屋の上座で端座していた。呉江という老人は矮躯である。しかし、その小さな体からは滲み出るような覇気があり、譜申でさえ呉江の前に出るとやや委縮した。

 「頂戴いたします」

 「今回の使者の件、くれぐれも頼む。二十歳となられる太子に妃がおらぬというのはどうにも外聞が悪いからな」

 譜申は両手で杯を持ち、呉江から酒を受けた。

 「そのことで確認したいことがあります。世評では太子の妃には龍国の袁丞相の娘がよいという意見と、龍公の娘を貰うべきだという意見がございます。龍国との間ではどちらの話が進んでいるのでしょうか?」

 呉江は手酌で自分の杯に酒を注いだ。譜申の質問にその手が一瞬だけ止まった。

 「実のところ、龍国で意見は割れているのだ」

 意見が割れているのはこちらではないのか。譜申は言い掛けて口を噤んだ。

 「袁丞相の息女をという声が大方を占めているが、龍公の息女という声もあるし、そもそも龍国から妃を出す必要がないという者もいる。なにしろ太子の御評判はよろしくないからな」

 「我が国でも意見は割れていると聞きます。摂政様のお考えはいかがでしょう?」

 杯に口をつけようとした呉江がぎろりと譜申を睨んだ。

 「我が国が龍国と対等であろうとするなら龍公の息女が相応しいだろう。しかし、今の我らは風下に立たされている。この状況下で龍公の息女を妃に迎えるのは難しい。袁丞相の息女でひとまず満足すべきかと考えている」

 やはり呉江は袁垂の娘を太子の妃として迎え入れたいのだろう。龍国の袁垂にとっても自らの娘が極公の妃になるのは歓迎すべきことに違いない。呉江と袁垂が共謀すればこの娶嫁話はすぐにまとまるはずである。それなのにまとまらないというのは龍国側にも何事かの党派争いがあると考えてもいい。龍国にいくのだからその点についても探ってみるべきだと譜申は密かに思った。

 「私の意見はそれとして、譜申の考えはどうだ?どちらがよいと考えている」

 思わぬ呉江の下問に譜申の体に緊張が走った。

 「しばらく無役で、御館から遠ざかっていた身です。正直、どちらがよいと申されても分かりませぬ」

 譜申は韜晦した。実際にどちらがいいのか判断がついていない状況では何も言わぬ方がいいだろう。

 「私としては元傳役としての意見を聞きたいのだ」

 「そう申されましても……」

 「いや、元傳役というだけではない。私は今の極国の中でも譜申ほどの見識を持った人物はいないと思っている」

 「買い被り過ぎでございますよ、それは……」

 「本心を申せ。お互い年を取っての腹の探り合いなど、疲れるだけだろう」

 譜申は呉江の腹を探る為に副使を引き受けた。呉江もまた同じことを考えているようだった。

 「確かに、腹の探り合いは疲れるだけです」

 「ほう」

 「ですが、分らぬというのは本心です。長く無役ですと世上に疎くなりますし、太子も私が知る姿と随分と変わられました。何が相応しく、何が相応しくないかまるで分らぬのです。ですから、今回の副使は私の見聞を取り戻すための旅であると思っております」

 「はははっ。見聞を取り戻す旅か。上手く言ったものだ」

 呉江は豪快に笑った。

 「それでこそ名将譜天に息子だ。副使をお願いした甲斐があったというものだ。ぜひとも春玄を助けてやってくれ」

 今宵は飲んでくれ、と呉江がさらに酒を勧めた、断れぬ譜申はついつい杯を重ねた。


 御館を出た譜申は呉江が用意してくれた馬車を断り、徒歩で譜乙宅に帰ることにした。少し夜風に当たりたかった。

 呉江と会話したことで多少ながらも考えを知ることができた。少なくとも呉江の行動理念は極国をいかに存続させるかにあるとみて間違いないだろう。呉江はそのためならば呉豊を力で抑え込むことをしかねないだろう。自分と縁続きの袁垂の娘を呉豊の妃に迎えようとしているのはその証左だった。

 だが、譜申が今思っているのはそのことではない。呉江が自分を想像以上に高く評価していることだった。

 「譜天の息子か……」

 それが過大評価の大半を占めていることだろう。譜天の息子という目で見られるのはこれまでもあったことであり慣れてはいた。しかし、ここにきて父の名前の偉大さがこうも重く圧し掛かって来るとは思っていなかった。

 「余計なことに関わってしまったのかもしれんな……」

 譜申は天を仰いだ。自分を宿す星がどれなのか。まだ分からなかった。

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