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七国春秋  作者: 弥生遼
凶星の宴
863/964

凶星の宴~9~

 失意と腹立ちと、そして諦めを内包した複雑な心境のまま譜申は極沃を去った。

 『結局、私は何をしに行ったのだ……』

 結果と呼べるものは何も得られなかった。ただ疲労感だけが残り、帰還してからしばらくは虚脱状態だった。

 もはや自分は世に成すことは何もないかもしれない。あるいはそれを肯定するための短い旅路だったのかもしれない。そう考えているうちに、次第に気分が落ちついていった。

 『自分が関わることなどないのだ』

 このまま隠遁してしまおう。気分を新たにした矢先、譜申のもとに呉江の腹心である春玄が訪ねてきた。

 「実は来月にも太子の婚姻の件で龍頭にいくことになりました。そこで譜申殿には副使として同行していただきたいのです」

 春玄に申し入れは思いもよらぬことだった。

 「春玄殿。私は無役です。それが龍国への副使には不適格かと思いますが……」

 「何を仰います。太子の元傳役で、譜天将軍のご子息でもあられる。そして何よりも有職故実にもお詳しい。私はその方面が疎いので、何かと助けていただきたいのです」

 春玄はむず痒くなるほど慇懃だった。 

 「そう申されても……」

 譜申は困惑するばかりだった。春玄が呉江の腹心であることは御館に出入りしていた者ならば誰でも知っていることだった。譜申を副使にというのも呉江の差し金であろう。分らぬのはどうして呉江が譜申に接近してきたのかということだった。

 「譜申殿。言わずもながですが、これは摂政様の意向でございます」

 春玄が譜申の疑念を見透かしたように言ってきた。譜申は春玄の鋭さに驚きつつも、それならばとこちらも斬り込むことにした。

 「それならば尚の事、どうして私に?摂政様は太子の傳役だった私のことを面白く思っていないのでは……」

 「ほほ。それは邪推というものです。世上では色々と言われておりますが、どれも取るに足りない噂です。摂政様は極国と太子の行く末を案じておられます」

 「摂政様が太子を廃し、自分が国主になるという風説もありますが……」

 「これは明敏な譜申殿らしくない。それらも摂政様の政敵が流した嘘八百でございますよ。摂政様は先代の御遺言どおり、太子にはゆくゆく国主になってもらう所存です。そして、そのためにも娶嫁の話をまとめねばならぬのです」

 譜申は腕を組んで考えた。春玄のいうことをすべて信用することはできない。しかし、だからと言って世上で流布されている噂のとおりに呉江が呉豊を廃しようとしているというのも事実ではないのではないかと思い始めていた。

 『こうなったら一度呉江の懐に飛び込んでみるのも手だな』

 もし呉江が呉甲の遺言を履行するというのであれば異存はない。譜申としては喜んで呉江に協力するだろう。その真偽を確認するためにも副使の件を受けることにした。

 「そこまで仰られて断るわけにはいきますまい。承知しました。副使の件、お受けいたしましょう」

 譜申が承知した旨を伝えると、春玄は顔を明るくした。

 「ありがたい。これで胸を張って摂政様に復命できます。これは支度金です。衣服などを整えてください」

 春玄が金子袋を差し出した。受け取るとずっしりと重かった。

 「多すぎやしませんか?」

 「そのようなことはありません。副使でございますから。では、十日後までに極沃にお越しください」

 春玄は役目を終えると、満足そうに帰っていった。

 


 春玄の訪問から三日後、譜申は極沃に向かった。今度は寄り道せずに息子である譜乙の家を訪ねた。譜乙が現在住んでいるのはかつての譜申の屋敷であり、極沃の郊外にあったが、かつての太子の傳役に相応しい広さを持っていた。いずれ譜乙が嫁を貰い、家族を築いた時のために下げ渡していた。

 勝手知ったる道を進むと屋敷が見えてきた。夕刻なのでまだ帰っていないであろうと思ったが、屋敷の庭に人影があった。もう帰っているのかとやや安堵して声をかけようとした。しかし、庭先にいたのは見知らぬ女だった。箒をもって庭の落ち葉を掃き集めていた。

 『これは……』

 若い女だった。下女に相応しくないほど容姿に優れ、肉感的な四肢をもっていた。女が譜申の視線を感じて振り向いた。

 「あ、ひょっとして譜申様ですか?」

 「そうだが……」

 「私、鳴々と申します。先日より譜乙様に雇われ、お屋敷のお世話をしております」

 鳴々と名乗る女は丁寧にお辞儀をした。その所作に美しさがあった。

 『単なる下女ではあるまい』

 おそらくは情女として囲っているのだろう。息子ながらやるものだと譜申は少し嬉しく羨ましかった。

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