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七国春秋  作者: 弥生遼
凶星の宴
859/963

凶星の宴~5~

 「太子、お久しぶりでございます」

 譜申は怒りを抑え込んで慇懃に挨拶をした。呉豊はかつての傳役が突然現れてぎょっとした様子だったが、すぐに顔色を改めた。

 「久しいな、譜申。何をしに来た?」

 傳役を離れて三年経つだろうか。すっかりと大人になっていて、鷹揚に構える様も大人のそれだった。

 「亡き妻の墓参りと息子の様子を見に参りました」

 「そうか」

 呉豊の目が据わっていた。周囲は静まり返り、二人の対峙を見守っていた。

 「それと太子のご様子を……。ご乱行のこと、お聞きしておりましたので」

 「乱行な……。これほど楽しきことが乱行とはつまらぬことを言う男だ」

 だから馘にしたのだ、と呉豊は少し鼻で笑った。

 「太子、私は情けなく感じております。傳役を務めておりまして、何故このようななられたのか、本当に情けなく思います」

 「貴様!無礼であろう!」

 呉豊に隣にいた男が譜申に食って掛かろうとした。呉豊の腹心である白如正である。同じくしたたかによっているのか、顔が赤い。負けじと譜申は白如正を睨みつける。

 「止せ、如正。そのような男に構っていては興覚めになる」

 飲み直そう、と呉豊は背を向けた。白如正が忌々し気に譜申を一瞥した。

 「太子!もはや私の声は聞こえませんか!」

 「聞こえておるぞ、聞こえておるから飲み直すのだ」

 呉豊は大きに笑いながら流恋の中に消えていった。譜申は無念のあまりしばらくその場から動けなかった。


 妓楼『流恋』の三階にある大路が見える部屋。そこが呉豊の指定席だった。白如正が窓際に張り付き外の様子を窺っていた。

 「譜申はまだいるのか?」

 「いえ、今しがた諦めたのか踵を返した」

 「そうか……」

 呉豊は少しだけ酒をなめた。美味くない酒だった。

 「よろしいのですか?太子。折角、譜申殿が訪ねて来られたのに……」

 白如正が呉豊の前に座った。先程打って変わって生真面目な態度だった。

 「構わん。今は大事な時だ。譜申を巻き込むわけにいかん」

 呉豊は杯を置いた。とてもこれ以上飲める気分ではなかった。

 「確かにそれが太子のお考えですが、譜申殿はきっと我らの力になってくれます」

 「だからこそだ。譜申は俺にとって最後の切り札になってくれる。そのためにはぎりぎりまで巻き込むわけにはいかない」

 現在の呉豊の立場は危うい。まだ国主という立場になく、極国の実権は叔父である呉江に握られている。その呉江は自身と縁のある龍国丞相袁氏の娘と娶らせようとしている。もしそれが実現してしまえば、呉豊が国主になっても実権を呉江に握られたままになってしまうかもしれない。そうさせないためにまずは袁氏との婚姻を破談にせねばならず、そのために乱行を装っているのだった。

 「しかし、譜申殿があのように騙せているのなら、我らの擬態は成功しているとみていいでしょう」

 「どうだろうな。譜申は私の傳役だったのだぞ。羽文の逸話も譜申から教えてくれたのだ」

 呉豊のいう羽文とは、かつて翼国に存在した名君のことである。

 羽文は国主に即位してから間もなく、酒を浴びるように飲み、姫を侍らせて周囲を困惑させていた。延臣達は誰も注意できず、とんでもない暗君が即位したものだと嘆き、羽文を無視して政治を進める者達もいた。

 ある時、雁寒という臣が羽文の前に進み出てこう発言した。

 「主上。ひとつ聞きたいことがあります。大樹の下で泣き叫ぶだけで飛び立とうとしない鳥はどうなりましょう」

 これまで羽文に諫言する者はほとんどいなかった。羽文は気が荒く、ちょっとしたことでも怒り狂うことがあった。しかし、この時の羽文は雁寒をひと睨みするだけだった。

 「その鳥が小鳥であれば野犬に喰われるか猟師の餌食になるだろう。しかし、大鳥であればやがて美しい歌声となって大空高く飛び立つだろう」

 羽文はそれだけ言って雁寒を下がらせた。雁寒も納得したように笑い引き下がった。その後、羽文は酒を飲まなくなり国主の仕事を全うするようになった。進言した雁寒を丞相に引き上げ、自分のことを無視した延臣や諫言して来なかった近臣などを悉く馘首し、翼国の一時代を築いた名君となったのだった。

 「譜申ならば私の仮痴不癲を見破っているかもしれんぞ」

 もしそうであるのならば、ますます譜申を極外に置いておかねばと呉豊は思った。

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