黄金の瞬~112~
章堯の死は瞬く間に印国に広がった。多くの者が嘆き悲しみ、ある種の喪失感を抱かせた。
「海嘯同盟が消滅して一年も経たないうちに章堯が亡くなるなんて……誰がそんな未来を予想したでしょうか?」
訃報は新判で商人になるための準備をしていた岳全翔にも届けられた。彼の傍らには石硝がいた。岳全翔と石硝は近々婚姻する予定となっていた。
「誰もが分からなかっただろうね。未来なんて誰しも分からないものだ。私だって軍人になるなんて思っていなかったし、海嘯同盟がなくなると思っていなかったし、商人になれるとも思っていなかった」
岳全翔の目の前には商売の拠点となる店舗があった。中古の物件で大きくはないが、新判の港付近にあり立地はよかった。
「私と結婚することもですか?」
「そうだよ」
石硝のからかいに照れ笑いを浮かべた岳全翔は、鍵を開けて建物の中に入った。まだ家具や備品は揃っておらず閑散としている。近日中に様々なものが納品される予定になっている。
『ここから私の人生が始まる……』
今までの人生は自分の人生ではなかった気がする。何かに翻弄され、不本意なことをし続けてきた。それに耐えてきたからこそようやく自分が望む人生を歩めるのだと思えた。
『章堯はどうだったのだろう。彼の前半生は知らないが、若くして国主の地位を得たのだ。それでも良き人生だったのだろうか……』
岳全翔と章堯は一度しか対面していない。それでも章堯のことを思うと、長年の知己を失ったような喪失感があった。
「これから印国はどうなるのでしょうか?」
「さてね。国家の経営がどうなるか分からないけど、私達は私達だ。商人は利を求めて海原に出ればいい。同盟はなくなってしまったけど、商人の独立不羈の精神は失っていない」
もはや岳全翔にとって印国は単なる属する国家でしかなかった。岳全翔は商人として自分の人生をようやく歩み始めることができた。
黄金の瞬 了




