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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
852/963

黄金の瞬~110~

 章堯の病状は快癒の方向には進まなかった。それでも熱がない時は寝台で政務をこなし、印国の政治に停滞を生むことはなかった。だが、不都合もあった。章堯は国主になってから行政の長とも言うべき丞相を置かず、自らが兼任していた。卿や官吏は細かな行政上の裁可を得るためにわざわざ章堯の寝室を訪ねばならず、時として章堯の寝室の前に長蛇の列ができるほどだった。

 「これではお体に障ります。ご改善ください」

 医師にそう言われた魏房は善後策を章堯と諮った。

 「それならばお前が丞相となれ。私の病気を治したいのなら、拒否するでないぞ」

 章堯に半ば命じられた魏房は、警執を兼任したまま丞相となった。


 章堯が病床について以来、章銀花は献身的に章堯を看病していた。

 「姉上……姉上には高至の世話があります。私の看病など無用に願います」

 章堯は姉が章高至の育児も行っていることを知っていた。そのための気遣いだったが、章銀花からすればその気遣いこそ無用だった。

 「あなたは国主である前に私の弟なのです。看病させてください」

 章銀花が優しく言うと、章堯はそれ以上何も言わず姉の看病を受けた。

 その晩、章高至を寝かしつけた章銀花は章堯の寝室を訪ねた。控えていた侍女に章堯の様子を聞いた。

 「お食事は全部召しあがられました。今は少しお休みになられています」

 「そうですか……」

 安堵した章銀花は章堯の枕頭に座った。弟は気持ちよさそうに眠っていた。

 『この子の人生は、誰のものだったのかしら……』

 章堯の人生は壮絶だった。幼くして後宮に入れられ、時として後宮の住人達の慰め者になった。後宮を出てからは武人として戦に明け暮れ、武功をあげて将軍になり、挙句には簒奪して国主となった。章堯の凄惨な幼少期が反動となって国主の座を簒奪するまでに至ったのだろうが、それは自発的に成し得たわけではなく、常に誰かに翻弄された結果ではなかったか。章銀花にはそう思えて仕方なかった。

 『これからは自分の思うように生きて欲しい……』

 そのために章銀花が成すべきことはひとつしかなかった。

 「姉上……おいででしたか……」

 気配を察して章堯が目を開けた。兵車に乗り、印国を駆け抜けてきた若者らしくない弱弱しさがあった。

 「堯……。私に国主の座を譲りなさい。静養して病気を治すことを最優先に考えなさい」

 章堯は目を見開いて驚いていた。しかし、否とも諾とも言わなかった。

 「魏房様はあなたの跡を継げるのは私か高至しかいないと言っていました。そのとおりだと思います。ですが、高至にはまだ荷が重すぎます。私が継ぎます」

 「私は……国主を譲るのなら魏房が相応しいと思っていましたが……」

 「魏房様は不世出の才人です。ですが、余人をまとめることができないでしょう。私にもできるとは思っていませんが、章堯の姉という存在がその役割を担うことができましょう。何よりも魏房様があなたの後継は私か高至しかいないと申しております」

 章銀花にとって意外だったのは、章堯が魏房という男を国主の座を譲りたいと思うほどに信頼していたことだった。

 魏房は確かに異才の人であり、章堯が国主となり得たのは彼によるところが大きい。しかし、その才能に煌びやかさはなく、陰湿さを含む謀略だった。国主に相応しいとは思えず、人臣が慕うことはないと断言できる。寧ろ魏房が国主になれば、印国は再度混乱するだろう。

 「そうですか……姉上が言うからにはそうなのでしょうね。しかし、姉上が国主を譲れと言い出すとは思っていませんでした」

 「私として鑑刻宮に来て長いのです。政治的なことも多少は理解しておりますし、覚悟もあります」

 「姉上は強い……」

 章堯は乾いた笑いをすると、何度か咳ををした。

 「大丈夫?」

 「大丈夫です」

 と言いながらも章堯は咳を繰り返した。

 「医師を呼びます」

 「大丈夫です。もう、治まりました」

 章堯はぜえぇという息をした。咳は治まったようである。

 「堯……」

 「姉上……。国主の座をお任せしたいと思います。ですが、それは私の死後のこととしてください」

 「死後なんて……不吉な。それに私が譲れと言ったのはあなたに静養して欲しいからであって……」

 「我儘をお許しください。姉上のお気持ちを踏みにじるようで申し訳ないのですが、最期まで国主にいさせてください」

 それが私の矜持です、と章堯は言った。章銀花はもう何も言わなかった。

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