黄金の瞬~103~
両艦隊の戦いは一進一退を繰り広げている。海嘯同盟艦隊は数で有利であるが圧倒することができずにいた。印国軍艦隊の潮の流れによる優位さと白兵戦の強さが、数による劣勢を補っていた。
印国軍艦隊の最後尾には副将として左沈令が乗り込んでいた。副旗艦というべき彼の艦船はまだ乱戦の中にはいなかった。
我が艦はどこに突入すればいいのか。左沈令は悩んでいた。章堯の年齢以上の戦歴がある左沈令も海戦の経験は乏しい。しかし、戦場における嗅覚は陸の上でも海の上でも関わりなかった。
「今からあの乱戦に飛び込んだところでさらに団子が大きくなるだけだ。それよりも敵の後背に回り脅かす方がいいのではないか?」
左沈令は艦長に意見を求めた。海での経験が左沈令以上にある艦長も賛同した。
「潮の流れはこちらが有利です。敵よりも早く動けますので、素早く敵の背後に回り込めると思われます」
「よし!」
左沈令は船首をわずかに西に向けた。乱戦となっている戦場の外側を大きく回り込もうとした。
この船の動きを禹遂は旗艦の見逃さなかった。檣楼から左沈令の船が戦線に加わろうとしていないのを発見し、背筋が寒くなった。
「あの船が離れていくぞ」
まさか単艦離脱して本島を目指すのではないか。禹遂が一番恐れていた事態だった。
「一番外側にいる船を迎撃に向かわせろ!」
禹遂は叫ぶが、この乱戦では命令を伝達させることは難しい。旗手が旗を振って一番外にいる船に合図を送り続けるしかなかった。
やがて味方の一隻が気が付いたようで転進しようと船首を西に向けた。しかし、敵味方の舟が入り乱れている中で船首の方向を変えるのは至難の業だった。強引に向きを変えようとした船は大きく傾いた。
それを近くにいた印国軍艦隊の艦船が見逃さなかった。大きく船の横腹を見せた敵船に突っ込んでいった。
「おおっ!なんたることだ!」
禹遂は味方艦船が転覆していく光景を見てしまった。そして自分の判断の誤りを激しく悔いた。
これで戦況の膠着が崩れた。海嘯同盟艦隊は単に一隻失ったわけではなかった。一隻失ったことにより艦隊全体に動揺が広がり、均衡状態だった陣形も乱れた。印国軍艦隊が海嘯同盟艦隊を包囲するような陣形へと変化していった。こうなると数の優位がなくなってしまった。
特に禹遂が乗る旗艦も四方から敵艦船に包囲される形になり、船内部に数多くの敵兵の侵入を許していた。
間もなく日没を迎えようとしている。海嘯同盟艦隊のほとんどの艦船が制圧、もしくは降伏していた。旗艦も檣楼の下には敵将兵の姿があり、禹遂に降伏を呼び掛けた。
「総長。我々は奮戦しました。ここで降伏しても恥ではありません。ましてやもうすぐ日が沈みます」
万淵は無念そうだった。禹遂も気分は同じである。勝てた戦だったのに、結果は敗北となった。
『すべては私のせいだな』
禹遂はぐるりと周囲を見渡した。すでにほとんどの味方艦船が停止し、戦闘を中止している。だが、損害は味方ばかりではない。敵戦力にも相当の打撃を与えたはずである。万淵がいうとおり、十分に奮戦しただろう。自分のたった一度の判断の誤りがこの結果になってしまった。その悔いがこれ以上戦闘を続けるだけの気力を奪っていった。
「そうだな。降伏しよう」
禹遂は降伏の意思を示すために腰に帯びていた剣を下に向って投げ捨てた。海嘯同盟艦隊が降伏した瞬間であり、海嘯同盟自体の終焉も意味していた。
海嘯同盟艦隊の降伏を知った章堯は密かに胸をなでおろした。実に際どい勝利であると章堯は思っていた。敵将の過誤がなければ未だ決着はついていなかったはずである。
「降伏は受け容れよう。すぐに航行できる艦船はどれほどだ?」
敵味方の艦船が入り乱れている状態である。これを引き離さねばならず、時間がかかってしまう。章堯としてはすぐに動ける艦船で素早く海嘯同盟の本島を制圧したかった。
「四隻です」
「よし、十分だろう。その四隻で同盟の本島に向かう。事後処理は左沈令に任せる。敵の将兵には礼節をもって接するように」
章堯は魏房に必要な指示を伝えると、動ける艦船に身を移した。すでに夜ではあったが、章堯は出発を命じた。
その翌朝である。昼過ぎにも本島に到達するという頃合いになって本国からの連絡船が至急の情報をもたらしてきた。それは隗良からのもので、新判を脱出した敵勢力が一路、鑑京を目指しているらしいというものだった。
「何だと!」
章堯は声を荒げて報告書を握りつぶした。章堯の生涯の中でこれほど焦りを感じることはなかった。鑑京にも守備兵力を残してきてはいるが、それほど多くない。鑑京には今や章堯にとって唯一の肉親である章銀花がいる。姉を危機に晒す羽目になってしまった。
「本島の制圧を急ぐぞ!それとこの話を漏らすな」
よもや鑑京が陥落することはないだろうが、と思いつつ、章堯は気が気でなかった。




