黄金の瞬~97~
海路をもって海嘯同盟を攻める。それは章堯がかねてより計画し、準備を進めていた作戦だった。海嘯同盟に新判を奪われて以来、印国と海嘯同盟の戦いは常に陸上で行われた。海上では数隻の小競り合い程度が偶発的に発生するだけで、本格的な海戦は三十年近く行われていなかった。
「三十年近く海戦が行われていないということで同盟も油断しております。間諜の報告では同盟はここ十年近く軍船を新造しておらず、その資金をすべて陸上戦力に費やしております。水夫の質も落ちておりましょう。海路をもって同盟の本島を攻めても十分に勝算があります」
章堯は印無須が権力を握ると即座に計画を実行に移した。軍事面では章堯を信頼しきっていた印無須は二つ返事でこの計画を了承した。章堯はすぐさま龍国に軍船を発注した。
「大型船は時間がかかりすぎる。中型か小型でいい。足の速い軍船を建造して欲しい。あと水夫の訓練も同時に行って欲しい。金に糸目がつけぬ」
章堯はこのために大金を用意した。市場価格の倍以上の資金に龍公は目を丸くしながらも章堯の依頼を引き受けた。
「まずは計画通りです。問題はどこで同盟が我々の動向を知るかです」
軍船は順調に西へ向っている。船に乗るのは初めてという魏房だったが、船酔いをしている様子はなかった。
「隗良をもって新判を攻めさせることで耳目を新判に集中させているが、同盟も馬鹿ではない。いずれ気が付くだろう。我々としては限りなく本島に近づいた場所である方がありがたいがな」
章堯は何度か小競合い程度の海戦を経験している。船酔いなど無縁だった。
「俺の予定では北進する当たりで会敵したいな」
章堯の艦隊は印国本土の沿岸を沿うようにして西進している。予定の航路では印国西端に達すると北上することになっている。その海域は波は穏やかながらもゆるやかに潮が東から西へ、そして南から北へと流れている。要するに章堯艦隊の航路に合わせて潮が流れているおり、海戦となれば章堯艦隊が俄然有利となった。
「では、今少し沿岸から離れますか?」
「そうしたいところだが、あまり離れすぎるとあらぬ方向に行ってしまう。早々に見つかってしまう危険はあるが、迷子になるよりかはましだろう」
章堯は常に印国の海岸線を視野に入れるように厳命している。これならば迷子になる危険は少なかった。
西進する怪しげな船団あり。海嘯同盟が商船からそのような報告をいち早く受けたのは本島の執政官だった。この時期、執政官達は新判の戦局に注視していたため、この報告を重要視していなかった。
「印国に属する商船が泉国へと向っているのだろう」
憲飛は判断はひどく常識的だった。通常時であれば憲飛の判断は責められるべきものではなかった。しかし戦時である。このような判断は軍事の専門家に任せるべきだった。そもそも、戦局を左右するような情報が軍事を担う禹遂のもとではなく、執政官のところに届けられたこと自体が海嘯同盟の機構としての歪さを示していた。そのことが海嘯同盟にとっての悲劇となった。
第二報が届けられて執政官達はようやく色めきだった。
「先に報告を受けた船団のうち半数が新造船で、すでに泉国への航路から外れております」 船団の詳細な位置を知るに及んで、船団がどこへ向っているかを察することができた。
「泉国へ向かうのならすでに南進しているはず。それをせずに西進を続けているということは明かに新判か本島へ向かう航路に入っているとみて間違いない」
憲飛は唸り、他の二人の顔は青ざめていた。三人の執政官はそれぞれ商人の経験がある。当然、印国の海路についてはある程度精通している。
「問題はどこへ向っているかです」
近徴が海図を広げた。報告は三日前のもの。そこから類推すれば、まもなく印国の艦隊は北進を始める頃である。まだ新判へ向かうのか、本島を目指しているのか判断はできなかった。
「新判ならば海からの攻撃にも防備があり、何よりも岳全翔がいます。ですが、本島となると防備が乏しく、陸上戦力もほとんどありません」
襲われればひとたまりもありません、と近徴は言葉をしめくくり、じっと憲飛を見た。これまで執政官達は、新判を得てからは本島が襲われるであろうことなどまったく考えておらず、防備については疎かにしていた。
「と、兎も角、禹遂総長に連絡だ。すぐに艦隊で出撃してもらう」
憲飛はすぐに禹遂を呼びにやらせた。海嘯同盟が本島近辺に係留している海上戦力は全部で十五隻。全て出撃させることができれば数の上では勝つことができる。水夫の練度からしても負けるはずがない。後は時間との勝負だった。




