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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
838/964

黄金の瞬~96~

 西進する隗良は各地からの部隊を吸収して総数二万名の兵力を率いた。新判を攻めるには十分な陣容であった。一介の下級貴族の子弟でしかなかった隗良が、今や印国の軍事を束ねる身になっていた。

 『あの時、我が身をかけて魏房を守り、章堯様に近づいたのが正解だった……』

 勿論、あの時は立身出世のために章堯に近づいたわけではなかった。盟友である魏房を助けたい一心でしかなかった。だが、結果としてわずかな年月で章堯は国主となり、隗良は大将軍となり、大軍を率いるという栄誉を手にした。

 だからと言って隗良は浮かれてはいない。彼に課された任務は大軍をもって新判を攻め落とすことになかった。

 「名誉ある出師かと思いますが、真の役目を考えれば、どうにも気が抜けそうになります」

 隗良の兵車で御者を務めているのは隗大という青年だった。隗良にとって遠縁にあたり、急激に出世して自己の家臣を持ち得なかった隗良が親戚筋をあたって見つけ出してきた。多少軽率なところはあるが、馬を御する能力には非常に長けていた。

 「あまり大きな声で言うなよ、大。気持ちはわかるが、我らの行動如何で作戦の成否が決まる」

 「はい」

 隗大は聞き分けよく素直に返事した。彼は一族の中で稀有な立身出世を遂げた隗良のことを心酔しきっていた。

 隗良に与えられた任務は新判を攻めることで海嘯同盟の耳目を集めることだった。必ずしも新判を落とす必要はないが、こちらに攻め落とす気がないと悟られると、作戦の真意を見抜かれてしまう。その加減が非常に難しかった。

 「精々、暴れてみせよう。が、油断はするなよ。今の新判は主上ですら落とすことができなかったのだ」

 隗良は自分に言い聞かせるように言った。


 隗良軍が新判南方にするまで岳全翔は静観を決め込んでいた。この戦いにおける勝機は敵から攻めさせることにある。岳全翔の方から動けば、全軍を要塞化した山系から引きずり出され、圧倒的多数の敵に包囲されて全滅させられるだけである。

 「敵に策があるかもしれないが、こちらから迂闊に動かないことだ。じっくりと様子を見て行こう」

 岳全翔はそのことを全軍に徹底させた。どのような策を弄されても、山系に頼った戦いをすれば、負けることはないという自負があった。

 気になっているのは敵軍に章堯の姿がないことだった。章堯は国主になったのだから、戦場に出ないというのは不自然なことではない。しかし、章堯という男は常に最前線にあり、戦ってきた。国主になったからといって、鑑京の奥に引っ込んだままでいるとは思えなかった。

 「間諜の報告では章堯は追って出撃すると宣言しているらしいが、章堯ほどの男が他の誰かの後を付いてくるような真似をするだろうか。国主になったのならなおのこと……」

 率先して己を示すために最前線に来るのではないか。といって今の岳全翔にできることは、当初の戦術を貫徹することだった。


 隗良軍から遅れること二週間後、章堯も鑑京を出発した。その数は二千名も満たない。誰しもが先行する隗良軍と合流するものとばかり思っていた。しかし、章堯は一度西に進むと、途中で南進を命じた。

 「南進?」

 何も知らない将兵は不思議に思っただろう。だが、進軍の先に港町である鑑津と知ると、彼らは確信した。自分達は海路を行くのだと。

 章堯は大将軍時代から密かに軍船を作らせていた。但し、印国国内で作ると海嘯同盟に露見する可能性があるので、龍国に委託して製造していた。

 「全部で六隻発注していたが、間に合ったのは五隻か。ま、十分だろう」

 章堯は居並ぶ軍船を満足げに見上げた。軍船の建造と合わせて水兵の訓練も龍国で行わせていた。彼らが船上できびきびと働いていた。

 「これら新造軍船の他に旧来より保有している軍船と合わせて全部で十三隻。数の上ではほぼ五分ですが、海上では同盟の方に一日の長があります。あとは水兵の質というところですか?」

 魏房も眩し気に軍船を見ていた。元来、警執である魏房は鑑京に留まるべきであったが、海嘯同盟本島を占拠した時の事後処理のために一時的に警執の職を辞して同行していた。

 「水兵の訓練分も含めて龍国に大金を払ったんだ、相応の成果を見せてもらわねばな」

 章堯としては海上を行くのは初めてである。章堯の指揮能力よりも、訓練された水兵の実力が勝敗を分けることになるだろう。

 「それでも主上はお行きになられると?」

 「当然だ。国主になったからと言って鑑京に引っ込んでおれば、余人に笑われるだろう。それに高国に合わす顔もない。俺は前に進むしかないんだ」

 行くぞ、と章堯は船に乗り込んだ。

 


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