黄金の瞬~93~
本当に到着した岳全翔は、実家へと向かう石硝と別れて執政官事務所を訪れた。すでに三人の執政官と禹遂の姿があった。
「待っていました、岳司令官。まずお座りください」
岳全翔が初めて聞く憲飛の声だった。思いのほか、張りと芯のあると岳全翔は妙なことに感心した。
「始めようか。大よその状況は聞いていただいているはずだ。その上で軍事上の観点から意見を戴きたい」
憲飛の視線が禹遂に向けられた。
「その前に執政官の皆様に確認したいことがある。我らはこれまで度々、執政官から軍事上の諮問を受けてきた。だが、我らの率直な意見が決定に反映された例がないように思われる。勿論、同盟の掟として軍事行動の可否を最終決定するのは執政官であるということは承知している。しかし、意見を求められて寸分もその意見を取り入れられないというのであれば、この場でのことはまったく無意味になる。帰って風呂に入っている方がましだということです」
禹遂の最後の一言に岳全翔は思わず笑ってしまった。
「総長の懸念は尤もです。私としてはお二人の意見を聞いたうえで総合的に判断したいと思っています。そのうえで我ら執政官が最終決定し、最終的な決定も我らが背負います」
憲飛ははっきりと言い切った。憲飛が言ったことは本来の執政官のあるべき姿そのものだった。石兄弟の背後に隠れて追従してきた男だと思っていたが、岳全翔は憲飛のことをやや見直した。
「それを聞いてまず安心。では、私から意見を言おう。私としては泉国の援助など有難迷惑だと考えている。どのような援助を申し出てくるか具体的には分らんが、援助した内容とその見返りが釣り合うとは思えんし、何よりも我が軍の現状では印国とは正面切っては戦えん。海上戦力は整っているが、陸上戦力は目も当てられん状況だ」
新判を得ている状況で印国と戦うとなれば、どうしても地上での戦いとなる。そのための陸上戦力は、先の戦いで壊滅的な状況にあり、傭兵の雇用も上手くいっていない。新判を守備するだけの兵力で手一杯だった。
「援助があってしても印国と戦って勝てないと?」
「勝てん。少なくとも五年は一切戦争をせずに過ごせば、あるいは十分な戦力が整う。それでようやく勝てるどうかという状況だと考えていただきたい」
念を押す憲飛に禹遂は悲観論を曲げなかった。
「総長の意見は理解した。それで最前線指揮官としての岳司令の意見を窺いたい」
憲飛が岳全翔に矛先を向けた。
『さて、どうしたものか……』
岳全翔として概ね禹遂の意見に同意できた。しかし、一方で印国に勝てる作戦がないわけではないという思いがあった。それを口にすべきかどうか、岳全翔は悩んでいた。
『私がそんなことを言えば一気に主戦論に傾く。だが、その結果として印国と海嘯同盟に泉国の支配の影が入るのはよくない』
岳全翔が純粋な軍人であったならば迷うことなく必勝の作戦を披露しただろう。しかし、岳全翔の知見は軍事だけに留まらず、政治分野にも及んでいた。軍事的な勝利がもたらす政治的な危険性というものが見えてしまう岳全翔は結局必勝の作戦を飲み込んだ。
「私も総長の意見と同じです。現場としてはこれ以上将兵を疲弊させるわけにはいきません」
「そうか……」
憲飛は覚悟を決めたように顔を引き締めた。
「私としては軍人二人の意見を尊重したい。我々は先に過ちを犯した。世の中に必勝などというものがないと知りながらも、危険な賭けを行って目も当てられない敗北をした。この過ちを繰り返してはならない」
憲飛が戦争に対して否定的な意見を述べたので岳全翔は密かに安堵した。石豪士などと比べて随分と常識人であると思えた。
『この人が首座でいる限り無謀な戦争はないだろう』
同時に印国との戦争が終わることもないだろう。岳全翔としてはそれで十分だった。
「近殿と孫殿の意見は?」
「私は首座に同意します」
「私も」
二人の執政官は憲飛に同意した。これによって泉国からの援助を断ることが決まり、その後、今後の対応について打ち合わせをして会合は終わった。
会合が終わると岳全翔は、その日の晩にである新判との定期便に飛び乗った。
「忙しいものだな。もっとゆっくりしていけばいいのに」
桟橋まで見送りに来た禹遂が名残惜しそうに言った。
「本島にいても私にはやることがありませんので……」
「それは私も同じだが、いや、前線の指揮官と同列に考えるわけにはいかんな」
「総長。執政官達は泉国からの協力を断ることで同意しましたが、泉国がこれで諦めるとは思えません。何かしら別の接触があるかもしれませんので、注意しておいてください」
「分った。やれやれ、先の見えすぎるお前さんが一番遠くにいるなんて何かの皮肉だな。私と交代するか?」
「ご冗談を。肉体労働は若者に任せください」
「人を年寄り扱いしおって」
笑いながら二人は握手を交わした。岳全翔と禹遂。年齢差があり、総司令官と前線司令官という関係性だったが、この二人には古くからの知己のような深いつながりがあった。それだけにこの時の握手が、生涯で最後の対面となるなどとは想像もしていなかった。




