黄金の瞬~83~
決起部隊が鎮圧された三日後、章堯は大将軍の職務を辞任する書状を華士玄に提出し、私邸に引き籠ってしまった。今や章堯は印国軍を束ねる存在というだけではない。多くの人々とっては国主を助け、印国をまとめあげる象徴となっていた。
「どうして章将軍が辞任する必要がある。大将軍という立場上、何かしらの処罰は必要であるが、それこそ辞められるほどのことではない。もし、主上と丞相がこの辞任を認められるのであれば、我らも揃って職を辞するつもりだ」
章堯が辞表を提出した翌日、右中将の左沈令は閣僚が居並ぶ朝堂でそう宣言した。それには←中将の松淵や右少将の隗良なども賛同した。仮に彼らが揃って軍を去れば、指揮官としての実力と名声をもった人物がいなくなり、印国軍が崩壊してしまうことは誰の目から見ても明らかであった。
「待て待て!」
華士玄は青い顔をして左沈令を制止した。ここ数日、華士玄は不眠不休状態だった。すでに肉体的にも精神的にも華士玄は限界に近づいており、彼の手腕ではこの事態を収束させるのはほぼ不可能であろうというのが他の閣僚の見解だった。
『これはいよいよ章堯の時代が来るな』
目端の利く者などは早々に華士玄に見切りをつけていた。彼らはすでに章堯が印無須と華士玄をゆすぶるための芝居に入っているということに気が付いており、いかに上手くその芝居に乗るかを考えねばならなかった。閣僚のほとんどがその気分の中にあり、彼らは口々に章堯を擁護し始めた。
「将軍達に責任を取らすのなら、相も同様であろう」
「主上はいずこにおられる?大将軍が辞しようとしているのに主上が朝堂におらぬというのは前代未聞ぞ」
「丞相。すぐに主上のご意向をお聞きに参られてはいかがか?」
「し、しばらく……」
閣僚達に突き上げられるようにして華士玄は印無須に目通りしなければならなかった。
華士玄が朝議でのことを印無須に伝達すると、不機嫌そうに口を歪めた。印無須はまだ寝室におり、寝台に腰をかけながらよく冷えた酒をあおった。寝台には寵姫の裸体がいくつか見えた。
「大将軍の辞任は許さん。速やかに職務に復帰するように伝えろ」
「しかし、国都で騒擾が発生したのは確かです。国軍の長として何かしらの処罰はあってしかるべきです」
「俺が俺を罰するのか!」
印無須が杯を投げつけた。印無須の顔色は悪く、目が座っている。酒を浴びるように飲み、女を抱いていればそうなるだろう。思考力も随分と低下しているようだった。
「ち、違います。章堯将軍のことです」
「国軍の長は国主の俺であろう!」
確かにそれはそうなのだ。しかし、今はそのような建前の話をしているわけではなかった。
「章堯将軍のことを言っているのです。かの男は律義にも国軍の将軍として責任を感じているのです。彼自身が罰を望んでいるのですから、何かしら与えるべきだと申し上げているのです」
なぜそのようなことをわざわざ理論立てて言わなければならないのか。少なくとも国主となる前の印無須ならこの程度の事言わずとも理解してくれていたはずである。
『国主になってこの方は変わってしまった……』
あるいはこちらが本性なのかもしれない。華士玄は頭がくらくらしていた。
「ふん。ならば半年の減給でよかろう。それで仕舞だ」
去れ、と言わんばかりに印無須は寝台に潜り込んだ。複数の女性の嬌声を背にして華士玄は朝堂に戻っていった。
さらに状況を混沌とさせる事態が発生した。鑑京での騒擾が飛び火したかのように地方でも軍事的反乱が勃発したのである。




