黄金の瞬~78~
篆高国と会った翌日、章堯は魏房に昨晩決意したことを話した。
「篆殿を密事から外すのですか?」
魏房は驚きながらもやや不審そうに章堯を見返した。
「そうだ。密事は俺とお前で慎重に進める。同盟での内乱未遂事件ではないが、多数の人が絡むと意図しないところで外部に漏れてしまう」
勿論、篆高国を外した真意は語らない。語れば魏房は自分の下から離れるだろう。それは避けねなならなかった。
「まぁ、一理ありますが、篆殿の警執という立場は鑑京で騒擾が起こった時に重要な役回りになります。少なくとも事前に含んでおくべきでしょう」
「それならば大丈夫だ。あいつなら言わずとも臨機応変に動いてくれる」
それについては自身があった。篆高国は章堯にとっては半身も同然だった。章堯の成そうとしていることを瞬時に理解し、その意図に沿った動きをしてくれる。
「将軍がそこまで仰るのなら臣としてはこれ以上申し上げることはありません。しかし、その前にひとつ明確にしておくべきことがあります」
「明確にすべきこと?」
「神器のあり方です」
「神器か……」
神器の存在など章堯は気にもしてなかった。
「左様です。実は私はかねてより篆殿に鑑刻宮のどこに神器があるのか調べて欲しいと依頼しておりました。何かとありましたのでまだその解答を得ておりません。おそらくは篆殿もまだ把握していないかもしれませんが、将軍が至高の地位に就くならば必要となってきます」
「そうか?俺としてはそんなものに頼る必要を感じないのだがな」
「将軍はそうでしょう。しかし、民衆というのは権力に正統性を求めます。その正統性とは個人の資質もあるでしょうが、中原においては何よりも神器です」
民衆を御するのに神器が最適な道具であることは章堯も認めるところだった。しかし、今の段階では必要性を感じなかった。何よりも篆高国を巻き込むことはしたくなかった。
「お前の言うことは分かった。一理あることは認めよう。だが、それは俺が支配者となってからのこととしよう」
左様でございますか、と魏房は納得しているのかしていないのかよく分からない表情のまま頷いた。
一日の職務を終えた篆高国は書類を整えて執務室を出た。まだ日は完全に沈んでいない。今らか章堯の屋敷によって章銀花の機嫌でも伺おうかと思ったが、その考えをすぐに打ち消した。今の状況ではどうも行く気が起こらなかった。
昨晩、突如として章堯の訪問を受けた。彼の口から語られたのは私的なこと、自分と章銀花の関係性についてだった。
篆高国が章銀花のことを好いていたのは、彼女が後宮に上がる前からだった。その頃は幼い男児が年上の女性への思慕のようなものだったが、成長するにつれてそれが男女の恋愛感情であると気付かされた。その時にはすでに章銀花―当時は篆銀花は印角の寵姫であり、篆高国の思慕が届くような存在ではなかった。
だが、印角が亡くなったことで章銀花は後宮から解放され、篆高国の前に舞い降りたのだった。
『この人は苦労されてきた……』
昔からよく知るこの女性を幸せにできるのは自分しかいないのではないか。篆高国は閃くように思った。この場合の幸せというのは生活でのことではなく、彼女の女性としての幸せのことである。こればかりは身内の章堯ではできぬことだった。その自覚と、章銀花に好かれているのではないかという妙な自惚れが篆高国を突き動かしていた。
章銀花が後宮より出てから篆高国は足しげく章堯の屋敷に通い、章銀花に会った。最初は章堯に会いに来たという口実にしていたが、ここ最近では章銀花が目当てだとはっきりと言うようになっていた。章銀花は嫌そうな顔一つせず、嬉しそうに篆高国の相手をしてくれていた。
しかし、この密会が章堯と篆高国の間に影を落としてしまった。章堯は口でこそ二人の結びつきを歓迎するようなことを言っていたが、自分の知らぬところでそれが行われていたことに蟠りがあるようだった。篆高国にも章堯に悪いことをしているという自責の念があり、篆高国の気分をやや暗くしていた。
「些細な蟠りだ。いずれ解けるだろう」
今日はどこにも寄らず帰ろうとしていると、鑑刻宮を出たところで声をかけられた。
「篆殿。ご無沙汰しています」
「魏殿……」
章堯の参謀の地位を確立している魏房だった。篆高国はどちらかといえば魏房のような男を苦手としていた。
『この男にとって章堯様は自分の才能を試すための主君でしかなく、本気で忠誠を傾けているわけではないのだろう』
だが、魏房の才能は認めねばならぬと思っていた。おそらくは篆高国では謀臣は務まらなかっただろう。
「何か御用ですか?」
「それはですね。お借りしていた金を……」
借りていた金?魏房に金を貸した記憶はなかった。
「どういうことですか?」
魏房は答えることなく懐から金子袋を取り出すと、それを落としてしまった。袋から金貨がこぼれ出た。
「ああ、これは不調法を……」
魏房が腰をかがめ拾い出したので篆高国も手伝うために膝をついた。その瞬間、魏房が囁いた。
「将軍が立たれます。神器の在り処を早急に突き止めてください」
気を張っていなければ聞き逃すところだった。はっとして魏房を見返すと、もうすでに立ち上がっていた。
「では、確かにお返しいたしましたので」
魏房は一礼すると去っていった。篆高国は呆然と彼の背中を見つめるしかなかった。




