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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
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蜉蝣の国~2~

 三月というのは風が気持ちいい。

 樹弘は両手を広げ、爽やかに吹く風を全身に感じていた。泉春宮の中でもこの露台は風がよく通るので樹弘のお気に入りの場所になっていた。

 風だけではない。ここから見える風景も好きであった。南宮に面しているため泉春の街の様子が良く見えた。市井から生まれた樹弘からすれば、とても安心する風景であった。

 「あら、主上。こちらにおられましたか?」

 樹弘の姿を見つけ露台に入ってきたのは秘書官の景蒼葉であった。

 「さぼっていたわけじゃないよ」

 「承知してますわ。でも、景弱が捜していましたから、あまり心配かけさせないでください」

 景弱は樹弘の護衛兵の長をしている。警護対象者がふらふらしていては景弱としても気が気でないだろう。

 「まぁ、いい風景ですわね。主上が気に入られるのも分かります」

 「僕が国主となってもうすぐ三年。国民達の生活は豊かになっただろうか。ここに立つとそれが確認できるような気がしてね」

 「確認せずとも、国民の生活は以前よりずっとよくなり、みんな主上の治世を喜んでおられますわ」

 景蒼葉の言葉は決して世辞ではなかった。内戦終了からもうすぐ三年。驚く速さで泉国は復興していた。

 これは景朱麗の手腕によるものが大であった。景朱麗は樹弘より丞相に任命されると、農産業を中心に再建を図る一方で、行政組織の簡素化を進めた。

 『元来、泉国は無用な役所、役職が多かったのです。それが相房の時代になるとさらに増えました。これを極力簡素化します』

 相房は仮主になると、親類縁者や親しい家臣にしかるべき地位を与えるべく多くの役職を生み出した。当然ながらその分の経費がかかることになり、国庫を圧迫していた。景朱麗はそれに大胆に大鉈を振るった。それだけのことであったが、一年で泉国の財政を健全化させることに成功したのである。

 「朱麗さんのおかげだよ」

 樹弘の美徳して功績を自らのものとして主張しないことであった。彼の長い治世において、一度も自らの功を誇ったことがなく、すべて家臣によるものだと賞賛し続けた。

 「いえいえ、家臣の功績はすべて主上に帰するものです。それに主上も少なからず財政の健全化に貢献しておられますわ」

 それは贅沢をしていないということであった。幼年期を極貧の中で暮らしてきた樹弘は、およそ贅沢というものを知らなかった。あるいは国主となって目覚めるかと危惧していた延臣もいたようであるが、取り越し苦労であった。それについてはこのような逸話がある。

 樹弘が国主となってまだ間もない頃、夕食には数多くの料理が卓上に上った。その数は一回の食事で二十皿以上に及ぶこともあり、どれもが樹弘の見たことのない美食ばかりであった。最初から数度はわけも分からず食べていたが、食べきれる量でもなかったので辟易したところで料理長に数を減らすように指示した。

 『そういうわけには参りません。古来より、国主の食膳は朝は十五皿、昼は十皿、夜は二十五皿と決められておりますので』

 料理長はそう言って樹弘の指示を聞かなかった。ここで負けぬのが樹弘であった。

 『ならばより古来の習慣に則るとしよう。古来、人は大葉を皿として、取立ての木の実や生肉を食としていたという。明日より泉春宮で出す食事はすべてそうしてください』

 これには料理長は顔を青くして黙ってしまった。以後、食事の数は減らされたのである。この逸話は些細な、笑い話程度のことであるかもしれないが、樹弘の精神というものを如実に表していた。

 もうひとつ逸話。

 樹弘は度々泉春を出て各地を巡視に出ていた。通常、国主の巡視というのは、華美な馬車に乗って武官文官を多数引き連れていくものである。そして各地で豪奢な接待を要求するものであるが、樹弘のそれはまるで違っていた。わずかな供回りしか連れて行かず、しかも行く先の長老や有力者には何も告げず、正体すら明かさず普通に宿に泊まって去っていくのであった。

 ある時など、樹弘が道で牛が寝そべっていて困っている老婆を助けたことがあった。その老婆が助けてくれた青年が国主であると後で知って腰を抜かした、というようなこともあった。

 「国主らしくないかもしれないけど、それでいい。僕にとって国主というのは国民から任せられている仕事のようなものだからね」

 「まぁ、そんなことを言ってますと、姉さんに怒られますよ」

 それは怖いな、と樹弘は頭をかいた。

 「さて、主上。お仕事に戻ってください。姉さん……丞相から書類があがってきておりますので目をお通しください」

 そうですね、と樹弘は名残惜しそうに建物の中へと戻っていった。

 

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