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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
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蜉蝣の国~1~

 一月というのはまだ寒い。

 寒風吹きすさび、先ごろから降り出した雪が容赦なく頬に当たってきた。身を切るような寒さとはこのことであろか。薄暗くなった林道を小走りに歩く女は、開きかけた胸元の襟を正した。

 「もう少しでございます。もう少しすれば人里もありましょう」

 女は背後に声をかけた。しかし、背後に人影はない。声をかけた相手は彼女が背負っている幼子であった。勿論、その幼子に女の言葉など分かるはずもなく、自分に言い聞かせる気休めであった。

 やがて人家の灯りが見えてきた。ほっとした女は転げようにして人家の軒先まで走り、戸を叩いた。

 「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし」

 女が激しく手を叩き声を上げると、戸はすぐ開いた。中から白い髭を生やした老人が姿を現した。

 「おお、お着きになられたか。寒かったろう、さぁ中に……」

 「いえ、私を探して追手が出ているはずです。まずは若子を」

 女は手早く背負っていた幼子を下ろして老人に渡した。

 「確かに……それで貴女はどうなさるのです?」

 「このまま逃げます。どうせここにはいられません。北へ、泉国へと逃げてみるつもりです」

 「泉国か……。数年前に仮主が立っていささか混乱していると聞きます。いっそうのこと、静国へ向かわれては?」

 考えておきます、と女は答えた。静国に行くつもりはないのだろう。

 「それでは」

 「あ、待たれよ。最後にこの若子の名は?」

 立ち去ろうとしていた女が振り返った。やや戸惑いの表情を浮かべながらも、静かな声で言った。

 「淳様と申されます」

 「淳様か……。安心されよ、しっかりとお育て申し上げます」

 女はわずかに頭を下げると、逃げるようにして去っていった。老人がこの女を次に見ることはなかった。

 「伯も建国してまもなく百年を迎える。老朽化した国家が膿んでいくのは仕方のないことかもしれないが、この子には罪はないわけだ」

 老人は、幼き子がどういう経緯でこの手に渡ったか大よそ知っている。それは伯国という国が傷つき、その傷が化膿して膿を垂れ流しているからに違いなかった。

 「傷が完治し、膿を出し切るのは、あるいはこの若子であるかもしれない……」

 老人はふとそんなことを思って苦笑した。そのようなこと、この子のは母きっと思っていないだろう。

 雪が強くなってきた。周囲はどっぷりと夜の闇に沈んだ。その闇にわずかながら赤い灯がちらちらと見えた。あれは追手かもしれない。女はどうしただろうか。老人は様々なことを思い浮かべながら、兎も角もこの若子は守られねばならない。

 「ささ、淳様。寒うございますから中に入りましょう」

 老人は幼子を抱きしめた。幼子は何事もないかのように静かに眠っていた。

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