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七国春秋  作者: 弥生遼
黄金の瞬
806/964

黄金の瞬~64~

 段至瑞軍の敗報。章堯軍による追撃を知った岳全翔は矢継ぎ早に命令を出した。

 「敗残兵は新判に収容して治療にするように。斥候を出して敵の追撃進路を明確にするんだ。そのうえで兵の配置を決める。それと本島に至急連絡を」

 岳全翔としては本島からの増援を期待してはいなかった。もともと自前の戦力が乏しい海嘯同盟軍は各地からやってくる傭兵を雇うことでそれを補ってきた。しかし、今回の敗北で傭兵達は海嘯同盟軍として働くことを躊躇うだろう。本島が短期間で戦力となる傭兵をかき集めるのは不可能であろう。

 『敗残兵もそれほど期待できない。ここにある戦力だけでなんとか凌ぎ切るしかない』

 戦力的には章堯軍とは十倍近い差がある。普通の軍人ならば気が狂いそうになる状況が、岳全翔は平静でいられた。これは岳全翔の性質と言っていい。岳全翔という不世出の軍人が誕生したのも、どのような状況になっても図太い精神力をもって取り乱さず、最善の手を打つことができたことにもよる。

 敗残兵が続々と新判に駆け込んでくる中、追撃してくる章堯軍のことも次第に分かり始めた。

 「敵は南方から三軍。北方から一軍をもって新判を包囲しようとしています」

 石硝が集まった情報を整理して岳全翔に伝えた。想像通りの布陣だった。

 「私はこの前、次に新判を攻めてくるとしたら章堯将軍ではないと言ったが、その読みは外れた。しかし、その他についてはほぼ想像通りだ」

 「ですが、ここまでの大軍とは……」

 「この際、兵力差はあまり関係ない。一万で来ようが、五万で来ようが、実際に戦闘できるのはせいぜい五千名だ」

 敵軍が新判に迫るには山と山の間にある狭隘な道を行くしかない。通行可能な戦力は限られてくる。海嘯同盟に勝機があるとすれば、その地理的に優位を頼りにするしかなかった。

 『だが、勝てる戦ではない』

 岳全翔は口外こそしないが、章堯軍に勝つことは不可能だと思っていた。せいぜい新判に進軍するのを足止めする程度であり、章堯が根負けして撤退するのを期待するしかなかった。

 『章堯将軍が根負けしなかったら終わりだ』

 岳全翔としてはそうなる前に本島からの何かしらの行動を期待するしかなかった。しかし、本島から何の訓令もないままついに章堯軍が襲来した。


 章堯は、一度北側より新判を肉薄した経験があるので、新判近郊の地形をすでに把握している。その時は岳全翔の奇襲にあってしまったが、状況はかなり違っていた。以前は一部隊を指揮する将軍しかなかったが、今や印国軍の全権を握る大将軍である。

 「前回はこちらは小勢だったので北方に進出したが、今回はその必要がない。敵も北は警戒しているだろう。松淵に牽制させて本軍は南から攻める」

 章堯は奇襲や奇策を好むと思われがちだが、それは非常の場合であり、本来戦とは敵よりも多くの兵を揃えて挑むものだと考えていた。そういう意味では今回の戦は章堯が望む展開となっていた。

 「しかし、あまり有利な地形とは言えせん」

 参謀として傍らにいる魏房が進言した。言われるまでもなく章堯もそのように感じていたが、攻めるにはこの狭隘な道を行かざるを得なかった。

 「隗良には十分に気を付けるように再度訓令を出せ。狭い道に犇めく大軍に奇襲。これは戦の常道だからな」

 心のある武人なら誰でもそうする。章堯はそう考えていて、狭隘な道のどこかで必ず攻撃があるだろうと予測していた。

 先陣を行く隗良は章堯の訓令を待つまでもなく、用心を怠っていなかった。

 「両側の山から攻撃があろう。細心の注意をもって進め。少しでも怪しい動きがあれば、進軍を停止して備えるんだ」

 隗良はくどいほどに全軍に撤退させた。よく訓練された将兵達は、常に両側の山系に目を配り、慎重に進んだ。しかし、どれほど進んでも敵兵どころか一矢も飛んでこなかった。

 「奇襲はないのか……」

 隗良は左右に目をやり、注意深く観察した。敵兵の姿は見えない。ひょっとして敵は全軍を新判に籠め、そこで徹底的に抗戦するつもりなのかもしれない。

 「大分と入り込んできましたので隊列が長くなっています。連絡を密にしませんと」

 副官の進言に頷こうとした時だった。隗良の頭にはっと閃くものがあった。

 「まずい!これは罠だ!」

 後方が騒がしくなった。同時に奇襲、奇襲と叫ぶ声が聞こえてきた。

 「警戒しろ!」

 隗良の声で付近の将兵が気を引き締める前に左右の山の中腹部から矢の雨が降ってきた。間髪容れず、どこからともなく敵兵が躍り出てきた。

 「防げ!」

 隗良自身も剣を抜いて応戦した。このまま奇襲を受けたまま後退すれば、後方の味方ともみくちゃになり同士討ちの可能性も出てくる。ここで堪え凌ぐしかなかった。

 しかし、敵兵はすぐに山の中へと帰っていった。短時間の戦闘ではあったが、隗良軍の損害は無視できないものだった。

 「何だあれは……山塊の物の怪か……」

 「将軍。損害を確認しませんと……」

 「そうだな。全軍に停止を命じる。それと章将軍に報告だ」

 隗良にとっては不本意な進軍停止だった。

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